第7話 嘘だらけの職場

『本日から宜しくお願い致します』


そこは地元では有名なとある焼肉店。

求人情報の時点でも女性が全体の2割程しかいない男性メインの職場だ。

不安な気持ちはあるものの、もう実家は簡単に頼れる程の距離では無くなったし、1人でやって行くんだと言う気持ちで私は初出勤した。


配属された支店は自宅より自転車で15分程の距離にある繁華街。

齢30歳くらいの男性が店長を務めていた。


『私ちゃんだっけ。宜しくね。まず自己紹介からしよっか』


店長がそう言うと調理場から2人の男性が出てきて、それぞれに名前と役職を言った。

料理長と副料理長。

〝お願いします〟と私が頭を下げると、店長はじゃあ仕事についてだけど……と話を進めて行く。


社員は私を含めたった4人しかいなかった。

しかも女性は私1人。まさかの残りは全員パートさんだったのだ。


『……休みは週1回、月曜あたりに何処が休みになるか伝えるからね』

『え?』


耳を疑った。

従業員数にも驚いたのに、まさか大事にしていた休みまでも思っていたものと違うなんて。

私は思わず口を出さずにはいられなかった。


『えっと、火曜休みじゃ無いんですか?』

『うん。うち、年中無休だから。休みはローテーション』

『ごめんなさい。私、それだと困ります……。求人の内容と全然違いますし……』


仕事を失ってしまうかもしれない。

そんなことが頭をよぎったものの、一番大事だったのは声優の夢を叶える事だ。

その為に養成所に通う。どうしてもこれだけは譲れなかった。


『なんで困るの?』

『私、養成所に通う予定で。だから、求人にお休みが火曜の記載があったここを選んだんです』

『養成所?なんの?』

『声優です』

『声優……。なるほどね……わかった。一度社長と相談してみるから。とりあえず仕事内容について話していくね』


店長はあくまで〝相談する〟と言ってくれただけで、休める様にすると言ってくれた訳ではなくて、私の心中は不安で仕方がなかった。

ダメだと言われたらどうするか。新しい仕事は見つかるのか……

色んなことを考えたが、返事は次の日にもらうことが出来た。


答えとしては、休むのは難しい。

ただ、レッスンのある日の午前中のみレッスンに行っても良いという許可が出たのだ。

正直腑に落ちない部分がない訳じゃ無かったが、レッスンを通わせてもらえる以上私も何もいうことが出来なかった。


そしてわたしは朝から晩まで働いた。

ハローワークから高校に来ていた求人の内容だと、焼肉店という事もあり、夜がメイン。

出勤はお昼頃で、夜まで働くといった8時間労働だった。

確か13:00〜22:00その様な記載だったと思う。

しかし蓋を開けてみれば、配属されたお店の近くにある姉妹店でランチ営業をしており、朝の出勤は10時。

姉妹店のお掃除を軽くしてランチ営業。

その後配属店の掃除、雑用を行い、22時過ぎまで働く毎日。


家に帰るとクタクタで、お風呂に入ってはただただ寝るだけ。

休みも固定で貰えるわけじゃ無かったので、遊びの予定なんて立てられる筈もなく、私は疲弊していった。

そしてこの頃、高校の時に付き合っていた彼氏に不満を抱く様になっていった。


1番の原因は私のストレスだと思う。

彼も彼で高校卒業後は、専門学生として整体やスポーツトレーナーの仕事を目指し頑張っていた。

高校生だった頃とは変わった環境でそれぞれに大変な事はあった筈なのに、私は彼を労わる事はできなかった。

自分はこんなに大変な思いをしてるのにって思い込んで、彼の悩みに耳を傾ける余裕も無く、休みの少ない私に何で合わせて会いに来てくれないのか。

そんな自分本位な考えばかりを思う様になってしまっていたのだ。


そしてそんな生活が2か月程経ったある時。

私に限界がやって来た。


元々アトピー性皮膚炎を持っていた私。

この病気は年齢とともにだんだんと落ち着き、かくいく私もこの頃には殆ど薬を使わなくてもいいくらい落ち着いていたのだが、恐らくはこのストレスのせいだろう。


顔が真っ赤に腫れ上がった。

特に皮膚の薄い瞼からは皮がポロポロと剥がれ落ちるほど酷くなり、化粧なんて出来なくなった。

瞼を開くのも大変だと感じる日々。

接客業というお客様と顔を合わせなきゃいけない仕事が、苦痛で仕方がなかった。


そして私は仕事をしながら、涙を流した。

お店の準備中。

耐えられなくなったから。

一度溢れた涙は止まらなかった。

仕事中に泣くなんて、正直どうしようもなく情けない事だと思う。


社会人としてそんな弱くては行けないだろう。

今となればその弱さに嫌気が差すが、当時はまだ社会人として数ヶ月。

そんなことはわかるはずもなかった。


涙する中で、店長と料理長がそれぞれに私の話を聞いてくれた。


しかし、業務改善がされるはずはない。

過酷な労働条件が変わることもなかった。

そしてその頃にはもう私の中で〝退職〟の文字が浮かばない日は無くなっていた。


携帯の転職サイトを使って、事務、正社員を探す日々。


〝営業事務〟もその中には含まれていた。


〝高卒〟というなんの取り柄もない私だったが、まだギリギリ10代。

若さという面では誰にも負けなかった。

また人と話すこと自体は嫌いではなく、集団のような人の目がたくさんあるような面接でない限り、お話をすることは出来ていた。


それもあってなのだろうか。

否、そうじゃないかもしれないが……


次の仕事は簡単に決まった。

私は飲食店を働きながら次のお仕事の採用を貰うことができたのだ。


そして、新しい会社には今の仕事との兼ね合いもあるため1ヶ月の猶予期間を貰った。

私の退職の意思が固まった瞬間だ。


正直新しい仕事に不安はあったものの、それよりも今この状況から少しでも変われるんじゃないかという嬉しさの方が当時は確実に勝っていた。そう思う。


そして、ネットで退職届の書き方を調べる私。

まさか2ヶ月と少しでこんなことになるなんて思わなかった。

そんな事を思いながら筆をしたためた。


翌日。


『店長。ごめんなさい。お店を辞めさせて下さい』


頭を下げて渡した〝退職届〟

色んな不安が駆け巡った。


しかし、頭にかけられた言葉は私の想像を遥か超えていた。


『まだ2ヶ月でしょ。これからだから。大丈夫。退職なんて考えないで』


〝大丈夫〟とは何の事なのだろう。

意味がわからなかった。

そして空を切る〝退職届〟

受け取ってもらうことはできなかった。


その後も私の退職相談なんて無かったもののように扱われた。話にすら触れてもらえなかった。


なんで?どうして?受け取ってもらえないの?この苦しさがわかってもらえないの?


私は給料日まで心を無にして働いた。

その会社は給料が手渡しだった。給料日に社長自ら社員を一人一人呼んで、個室で話をしながら手渡し。


私はその給料を貰った日、お店の鍵を店長のポケットに返してお店を飛んだ。

正直を言えば、半月分くらいだろうか、働いたお金はある。

後々に知ったことだが、企業として例え退職した人間だったとしても働いた分のお金は請求出来るらしい。

でも当時、まだ知識の浅かった私はそんな事知るはずもなく、タダ働きをしてでも辞めたかった。

退職届さえ受け取ってもらえていればこんなことなかったかもしれない。


次の日、携帯が鬼のように鳴り響いた。

頭がおかしくなりそうで着信拒否設定を初めて使った。


無断で休むことなんて無かった私。


お店側がその後どういう対応をしたのか、私は知らない。

でもそれから10年以上経った今もお店自体はあるから恐らくうまく乗り越えてきたのだろう。


そんなこんなで、私の初めての職場は幕を下ろした。

そして新しい職場に働くことになるのだが、ここでも私は社会の闇を知ることになるのだった。

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