第4話 地獄の小学生時代

私の地獄は今度は家の中だけでは無かった。

再転入した小学校はいじめの巣窟だったから。


そして再転入した私はいじめの格好の的になった。

原因なんて当時は分かるはずも無かった。


『戻ってきてんじゃねぇよ』


ただただ罵倒され、殴られた。

殴られて殴られて、蹴られて、そして持ち物は壊された。


『ボロ蛙みたいな肌だな』

『鼻啜るんじゃねぇ、煩えから』

『気持ち悪い』

『近寄るな』

『菌がうつる』......etc


アレルギー体質で、アトピー性皮膚炎を持っていた私に浴びせられた言葉。

正直言われた言葉なんて、数え切れないくらいにあり過ぎる。

言ってる本人たちはどう私を傷つけるか、それが楽しかったのだろう。


私のいじめは女子同士では無かった。

男子が束になって、私を取り囲む様にいじめた。

殴っては、罵声を浴びせ、ゲラゲラ笑う。

〝リンチ〟の様な状態だ。学校に安寧出来る場所なんて1mmも存在しなかった。


今で言えば、こんな事すぐに問題になるのかもしれない。

でも当時は大きく取り上げられることは無かった。

それくらいにいじめが横行していたからではないかと思う。


知ってる人もいるかも知れないが、バスケットボール部女子の女の子が自殺した事件。

アレは私たちの世代に起きた事件だ。

私たちの学校では無かったが同じ県内で起こった事件であり、後々に知るが、やはりこの世代には〝いじめ〟は数多く存在していたらしい。


こんな時代背景もあってなのだろうか、私の学年で、小学校の卒業アルバムに載ってない子は6名ほどいる。皆、いじめにより不登校となってしまった子たち。


だがそんな私が、実は卒業アルバムにはちゃんと載っているのだ。

理由は1つ。いじめられていた私だが助けてくれた女の子が居たから。今もその子とは友達だ。

家が近所で、小学生の間ずっと一緒に登校していた女の子。

帰り道だって一緒に帰る事が多かった。

身長が高く、綺麗な顔立ちで、まるでモデルさんみたいなその女の子はいじめられてる私から離れていくんじゃなくて、そっと側に居てくれた。


そして、その子が居たから、他の女の子だって少しずつ私に近づいてくれた。


〝守る〟とかそんな事をしてくれた訳じゃ無かったけど、私にとってその子の存在は凄く大きかったのだ。

家の中ですら居場所が無くて、学校にも安寧の地は無かった私のたったひとつの光だった。


そんな頃だったと思う。

里美と父親にも流石に学校からいじめの存在については話があったのだ。


何故かというと私物が壊されたから。


『こんなもん、着てきてんじゃねぇよ』


新しい服を着てきた事をいい的にした。

いじめの集団はそれを理由に私の服をボールにしたのだ。

ボールの様に投げられて、壁にぶつかった衝撃で壊れたアウター。

確か、お婆ちゃんに買ってもらったと記憶があるそれは、1ヶ月とて持たなかった。


服が壊れた事は悲しかったが、もしかしたら先生からの電話で何か変わるかも知れない。

私は自分からいじめのことで両親を頼る事が出来なかったけれど、流石にこの時ばかりは両親だって動いてくれんじゃないかと少しだけ期待した。


先生から両親に告げられた内容を私は詳しくは知らない。

しかし服のボタンが壊された事、いじめにあってる事は恐らく告げられたのだろう。


流石に泣いた私を見て、壊れた現状を知って、担任は私の両親以外に束になったいじめ集団(男子6人組)の両親にも電話を入れた。


しかし直接謝りに来たのは1組。

それ以外電話のみが2組それだけだった。


残り3組の両親からは何も無かった。


なのにこの状況を知っても尚、里美も父親も何も動きはしなかった。

自体は何一つ変わりはしなかった。

勿論私を守ろうと動いてはくれず、私は2人にとってせいぜいその程度の人間だったと思い知らされた。

後々、その事を父親に問いたが『余計にいじめがひどくなると思ったから』その一言だけだった。


自分が母親となった今、私は思うが、やはり愛情は余り無かった気しかしない。

自分の子どもが何か酷い目に遭ってると知った親なら、少なからず行動はする。

本人に〝大丈夫〟かと聞いたり、心配するはずだ。

それがやはり私の両親には無かったのだ。


そんな事件もある中だったが、私は友人のお陰もあり(単に、家が嫌いだったからもあるかも知れないが)学校には通い続けた。

他にも事件は色々あった。

鳩尾を何回か殴られ、息が出来なくなったり、卒業制作を知らない間に壊され、私は1人だけ卒業制作を失ったり。


それでも何とか卒業まで、通い続けた。


この努力はある意味誇りかもしれない。

でもこれが出来たのも、そばにいてくれた友人が居たから。


未だにこの友人に私は、感謝しかない。


そして卒業も間近にか迫った、そんな頃だったと思う。

自宅に一本の電話が鳴った。


prrrr.prrrr.prrrr.......


『はい、もしもし……』

『父親に代わってくれ』


その声は忘れもしない、宗のものだった。

電話越しなのに肩が震えた。慌てて父親を呼びに行った。


『………居ない、だから、知らない』

『貴方……』


何やら言い争う様な声、5分ほどの短い電話だったが長く感じた。

電話が切れ、父親の顔を見る私。


『……どうしたの?』

『お前のお母さんが居なくなったんだって』

『え?お母さん子供がいたって……』

『その子供も一緒に居なくなったって。だからうちに居ないかって』

『お母さん……』


驚きはしたが、正直納得してしまった。

あの宗の暴力性を目の当たりにしてきたから。

そして本当の母親とはもうこの時点で連絡する手段を私は失った。

名前はかろうじて覚えているものの、生きてるのか死んでるのか、どうなってるのか、私は知らない。


宗と母親の間にできた子供に関しても、今どうなっているのか、私は知らないのだ。

もし知る機会を作れるのなら、私は知りたい。

そう思って、TVのドキュメンタリーに応募した事もあるが、未だに使われたことは一度もない。

探偵を雇えばいいのかも知れないが、流石に家庭を持った今、どのくらい掛かるか不透明なものを使う気も無く、半ば諦めている現状だ。


そんな事もありながら、私は小学校を卒業したのだ。

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