終 よろしい腹をくくりましょう
父親と継母、異母妹からは当然のように疎まれて日々貶されるだけであった。
死別した母も、確かに愛情は注いでくれたものの、頼りない父の存在もあってか愛情を感じる以上に教育がスパルタだった。
ルイゼリナ自身を顧みるより、娘もラード家のために、という思いが強かったのだろう。愛人にうつつを抜かす無能な父親の代わりに奮闘していた母を思えば、それも当然だった。
周囲の使用人には恵まれたものの、どうしても主従関係がある限り弁えなければならないものはある。
つまりそういう背景もあり、ルイゼリナの内面まるっと受け入れてもらう。なんていう経験は今まで皆無であった。
わずかに疼いた心を見なかったことにして、パン! と自身の頬を叩いて気合を入れ直した。
そんな奇行を目の当たりにしてもアランは愉快そうに笑うだけだ。それどころか満足そうに目を細める。少しの疎ましさも浮かべない顔に、なんとも言えないムズムズとした居心地の悪さを感じたが、その気持ちをギュギュッと奥底に押し込めて蓋をした。
それなのに。
「俺はルイーゼを前にしてこれまでにない興奮と胸の高鳴りを感じているし、これ以上の思いはこの先もありえないだろう。ということで、絶対に逃がさない」
うっとりとした最高にいい笑顔で、そんな恐ろしいことを言った。
横の従僕青年なんて、完全に引いた目をして主人であるはずの男を見ている。
それなのに、ルイーゼときたらせっかく蓋をしたものがガタガタと音を立てて飛び出しそうになるのを抑え込めるのに、精一杯だった。
だってアランの言葉は、裏を返せば生涯にルイーゼただ一人であると宣言するも同義であったから。
政略とはいえ妻がいる身で、囲った愛人にばかりうつつを抜かす父。――もしかしたら継母以外にも遊び相手はいたのかもしれない。しかも、そういう貴族の男は少なからず他にも存在するだろう。
ルイゼリナの父親が突出して珍しいわけではない。
アランだって言っていた。ルイゼリナの境遇を「典型的な」と。
なのに、そういった男たちのようにはなりえない。という宣言にすら、ルイゼリナには聞こえてしまったのだ。
「……っ!」
思わず、ギュウッと胸元を握りしめる。
ほんの少し熱くなった頬を感じて向かいの男を伺い見たら――即座に目を背けてしまうほど恍惚とした顔で見つめられていて、やはりこいつはやばい。と背筋は寒くなったのに、心臓の鼓動はひと際大きく跳ねた。激しい情緒の高低差にルイゼリナ自身ついていけず戸惑ってしまう。
そんなルイゼリナの内心を知ってか知らずか、アランが畳みかけるように追い打ちをかけてくる。
「ラード領は国に返還されるだろうな」
「それは……そうなるでしょうね」
没落してしまう以上は仕方がない。母が必死に守ってきたラード家と領地の末路に、チクリと胸が痛む。
そうして目を伏せたルイゼリナの様子に構わず、アランは続けた。
「けどそこは追々また手に入れてやる。それと使用人については、良さそうな奴リストアップしてくれ。うちで雇う」
「……え? いいのですか?」
驚くルイゼリナとは反対に、アランこそなにを言っているんだとばかりに首を傾げた。
「あの地はなかなかの穴場だぞ? あの能無しが馬鹿な統治してたおかげで目立たなかったけどな。他の狸爺たちに目を付けられる前に取る」
なにやら色々と巡らせているだろう男が、やけに楽しそうな顔で口角を上げた。
「あと使用人は、単に人手不足だ」
「ほぼアランデリン様のせいですけどね」
「だよなー、知ってる」
「自覚があるのならなんとかしてください」
うんざりしたように従僕青年が言う。
「……あ、奥様。確かに激務ですし当主がこのように癖の強い人物ではありますが、報酬は確実に上がりますのでラード家で使用人をされていた方々にも悪い話ではないと思います」
「大抵のことは金出しとけば解決するからな」
ぼうっと呆けてしまったルイゼリナをどう思ったか、従僕の青年がフォローを入れてくれるがアランが身も蓋もないことを言う。これがまた善意や良心からくる言葉などでは欠片も無く、きっとすべて彼の本心なのだろう。端々から性格の悪さが滲み出るのは、逆に感心する。
――だが、すでにこれがルイゼリナの夫らしい。
元来思い切りの良い彼女は、グッと拳を握って心を決めた。
夫がやばい奴ならば、それに並び立てるほど自分も恐れられる公爵夫人となればいい。
「わかりました」
家令のセドリックをはじめとした、世話になった使用人たちの行く末を憂う必要もなくなった。もう思い残すことなどないではないか。
迷いをすべて断ち切って、腹をくくったルイゼリナは背筋を伸ばしてアランと向き合った。
改めて見ると、整った顔の造形に透き通るようなシルバーの髪と紫色の瞳は、やはり見惚れるほどの美丈夫である。
涼やかな雰囲気は鋭利さを兼ね備えた知性を感じさせるのに、本性はゲスで無神経を通り越して神経が存在しないサディストだ。正しく生きてきたルイゼリナにとっては、人として嫌悪感を抱くほど褒めようがない男である。
だがきっと彼は、ルイゼリナという存在を内面までこのまま嬉々として受け入れるのだろう。
家族にひたすら疎まれていたルイゼリナを、生涯逃がさず求めるのだろう。
「領地と使用人たちの件、感謝いたします。そして私もすでにナイトレイ公爵家に嫁いだ身、なれば精一杯務めさせていただきましょう!」
言い切ったら、なぜかアランがテーブルに突っ伏した。
「あああっ、もおおおぉっ、ルイーゼええぇぇっ!」
「…………え」
身悶える夫のつむじを驚愕の眼差して見下ろしていたら、従僕青年のため息が聞こえた。
「申し訳ありません。奥様のお可愛らしさに喜びを抑えきれなかったようです」
まったくそのようには見えないけれど、とルイゼリナが呆れ果てていると、持ち直したアランがむくりと起き上がった。両肘をテーブルについて、組んだ指に顎を乗せると微笑みを浮かべる。
「今夜が楽しみだなぁ、ルイーゼ」
欲望滾らせた目を剥き出しにして。
「よろしい。受けて立ちましょう」
どうしてもゾワッとしたものが身体を駆け抜けるが、すでにこの最低としか言いようのない男の妻である。
――そして、嫌いではあるが困ったことに悪い気もしない。
ドンと胸を叩き受けて立てば、もう一度「うっ」と呻くような声とともに悶えられた。
以降、ナイトレイ公爵夫妻は知らぬ者がいないほどにその名を轟かせる。
ただでさえ一目置かれていたナイトレイ公爵が、ひとつの伯爵家を潰してでも娶ったと噂された妻は、夫に負けず劣らず苛烈であったからだ。噂にたがわず公爵の溺愛ぶりは人目をはばからなかったが、あしらう妻の冷淡さは周囲が恐れるほどであったという。
そんな夫婦共通の敵と見做されれば震えるほど容赦がなく、強制労働となった妻の父親、厳しい修道院に投げ込まれた妻の継母と異母妹といった家族の末路も噂の追い風となり、夫妻の名を轟かせた。
妻の元家族たちは何度か恩情を求めて縋ったらしいが、少しの情けも無くことごとく跳ね返されたらしい。
しまいには悪魔の公爵夫妻とまで呼ばれたのだが――彼らの子供たちが揃ってまっとうに育った紳士淑女であったということは、意外と知られていない。
ひどい家族だと思っていたら求婚してきた相手もひどかった 天野 チサ @ama_chisa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます