魔王が世界を救うまで

@tukiyobakari

第1話 魔王が現れた日、勇者が立つ日

 当代の魔王、メディウムの現れた日。

今から50年前、前代の魔王オーゲオが人間族の連合国軍による侵攻により、北大陸南部の大平原カルバサにて戦死した時に魔王は来た。

 すぐにあかい雨が降った。戦場を包む怒号と轟音は間も無く狂乱の叫びへと変わった。

 あかき雨は、大地にいる兵士を、魔術師を、指揮官を貫き、その血が更に大地をあかく染め上げた。敵にも味方にも平等に降り注ぐ突然の暴力は戦場を混乱の渦におとしいれた。

 紅き雨が止んだ後、そこには多くの死者と負傷者があったが、それでも人と魔族は戦いを止めなかった。それを見たメディウムは「カルバサの大厄災」と呼ばれる凶事きょうじを引き起こした。

 それは再び空から落ちてきたが、それは雨ではない、青と緑の鮮やかな雪だった。皆、その不気味さを感じながらもその場を離れることができなかった。それは戦場の戦士としての使命感からか、ただそれぞれの生涯で初めて見る光景に見惚れていたのか。

 そして、その雪が大地とその上に有る全ての生物に舞い落ちた瞬間、天をも裂くような絶叫が響き渡った。あるモノは身体中に発疹ほっしんが生じてそれをきむしり、あるモノは身体中から血を吹き出し、あるモノは息苦しさを訴えて潰走かいそうを始めた。そこは勝者の栄光も、敗者のほまれもない、ただの死地と化した。

 ほとんどの戦士は母国に、故郷に帰れなかった。

 人間と魔族の決戦として語り継がれるはずだったこの戦争は勝者のない、忌むべき厄災日となってしまった。

 この日、メディウムは古き友オーゲオとの約束により魔王となることを宣言した。

 多くの魔族はこれまで隠遁いんとんの身にあったこの厄災を疎ましく思った。しかし、カルバサで失われた戦力は余りにも大きく、あらゆる種族及びその中の氏族が牽制けんせいし合い、反目し合う魔族に、他に魔王を擁立ようりつする余裕はなかった。

 当代の魔王は、人間族からも魔族からも意志ある厄災として、憎まれおそれられながら、この世界に現れることとなった。


ーあれから50年、

 人間族も魔族もカルバサでの傷を相応に癒やし、人間がほとんど存在しない北大陸を除く各地で小競り合いが起き始めるようになった。

 魔族ははじめメディウムがその力を使って人間族の国々へ攻め入り、彼らをことごとく討ち滅ぼすことを望んだが、その願いは、希望はことごとく裏切られた。

 魔王は王城と各種族の城や街、村落を行ったり来たりするばかりで一度として人間と戦火を交えることはなかった。

 魔族の多くは魔王メディウムに絶望した。

 魔王の城にいた多くのモノは去り、謁見えっけんを望むモノはいなくなった。かつてのきらびやかさも、はなやかさも失われた魔王城ミニマルよりこの物語は始まる。 


「魔王様、玉座で居眠りはおやめください。それか寝室にお戻りになられてはいかがでしょう?」

 魔王の数少ない従者にして側近そっきんであるフルクサスが珍しく口を開いた。


 これまでの先例せんれいとして即位そくいした魔王は、みずからの種族のモノ達を大勢引き連れて魔王城に入り、それらに身の回りの一切をやらせるのが習わしとなっている。その中で魔王メディウムは、その種族も、氏族も、信仰も、性別すらも知らせず、また知られぬままに即位した。

 それでも初めは多くの種族がこの強大な新魔王に取り入ろうと、またあやかろうとして、従者となるモノ達を王城に送った。しかし、多くの種族は間も無くこの新王に見切りをつけて全ての従者を引きげた。

 その結果、200をゆうに超える部屋数を持つこのミニマル城の従者は今やたったの21人であり、更にそのほとんどが他種族の動きをうかがうための間諜スパイである。フルクサスも魔王城での奉公ほうこうを命ぜられた時には、狼人族ろうじんぞくからの従者として、裏の仕事をこなしつつ、従者として魔王の信頼を得ようと思っていた。しかし、その想いはたったの3日でつゆと消える。部屋のほとんどは清掃も修繕しゅうぜんもなされることなく壊れ、すたれ、従者のほとんどは表向きの仕事すらままならないほどの無能で、城の警備、経理、物資の輸送から道に迷った訪問者の案内まで城主たるメディウムがかろうじてこなしているような最低最悪の状況であった。

 今は日々の調理とその配膳はいぜん、最低レベルの清掃以外の業務をメディウムとフルクサスで折半せっぱんして回している。夕方には魔王とフルクサスが城中のロウソクに火を灯そうと駆け回り、就寝前には警備を兼ねて消しに回る。だれかに任せて城を燃やされても困るし、いずれかの種族の従者が暗がりで怪我けがをすれば責任問題せきにんもんだいになる。従者のほとんどは各種族の名家の末っ子(長男もいる)や分家の子なのである。

 フルクサスはメディウムに何度か

「全ての従者を帰らせて、代えて頂いてはいかがでしょうか」と懇願こんがんした。しかしメディウムは決まって

「今、従者を帰せば代わりが来ることは絶対にないし、各種族のメンツをつぶしかねない。私は貴君きくんや狼人族との関係を疑われかねない。何もしないことが最善(さいぜん)だ」と返す。フルクサスは、メディウムのその冷静な物言いも、女性である自分に対する貴君きくんという呼び方も(メディウムは誰にでも貴君と言う。魔王としての立場を意識している数少ない要素である。)、またそこから人の名前を全く覚える気がない態度がけて見えるのも気に入らない。そして何に対して憤慨ふんがいしているのか分からなくなった自分に嫌気が差して、フルクサスから話を止めるのがお決まりのパターンである。彼女は自分がどうして城に居続けるのかたまに分からなくなるくらいには魔王のことも、城のこともどうでもいいと思っている。

 そんな彼女が魔王の居眠りをとがめたのである。何も知らないモノが見れば無能な王を有能な従者がたしなめるそれだけの光景に見えたかもしれない。しかし、今や城の悲惨ひさんな環境を甘受かんじゅし、日々の雑事ざつじ黙々もくもくとこなして働かない従者に異次元の寛容かんようさを見せる魔王にも慣れたフルクサスが、魔王の居眠りをとがめたのである。


 魔王はまず目を開けぬままに思案しあんした。目を開ければ玉座の前の階段の上り口に彼女は片膝かたひざをついているのだろう。ただ寝たフリをするのもバツがわるい。カレは薄目を開けて、

「寝てない」と答えてまた目を閉じる。それを見てフルクサスの髪と尻尾の毛が逆立つ。近くにいれば何かがブチンと切れる音が聞こえたかもしれない。

「いえ、魔王様は本日、朝食を取られてその玉座にお座りになってからこの瞬間までお休みになっておりました」その顔は怒りでほおがうっすらと紅潮こうちょうするほどであったが、それでも魔王に対する最低限の礼節れいせつを欠かさぬところは流石さすがである。メディウムはここでやっと目を開けて

「貴君は、 私が目を閉じてうなずいたり、うつむいたりするのを見て、私が居眠りをしたなどと思ったのかもしれないが、この頭の中で魔族と人間族の今後について思いを巡らせていたのだ。これは魔王として当然の務めであり、正当な業務と思うが如何いかに」

 魔王はそれらしく言葉をつむぐが、従者に居眠りをしかられて魔王がいいわけをする絵面えづらに変化はない。このやり取りを見ているモノがいたならばちょっとしたスキャンダルにもなりそうだが、他の従者達は狩りに出ていて不在である。城での食事は城の調度品、装飾品等を売り払って得た金で調達した分以外は、自分でどうにかするしかない。従者達はその日を生きるために日中、遅くとも日が落ちるまでに獲物をらねばならない。これまで狩りなどしたことがなかったモノ、狩りが致命的ちめいてきにヘタなモノなどは、従者としての業務などそっちのけで狩りに明け暮れる。そんな残酷ざんこくな現実がそこにはある。話は魔王と従者の不毛ふもうなケンカに戻る。

 魔王のマヌケないいわけにも彼女は真面目まじめに返す。

「もしよろしければ目を閉じてどの様な業務をなさっていたのかお聞かせください。今日の朝から真昼までですから、とても語り尽くせるものではないとは存じますが」正確な時間はわからない。高そうな時計は全て売ってしまったし、止まったものは全て捨ててしまった。全てゼンマイ時計だったからネジさえ巻けばいくらでも動くのだが、そんな知識を持つモノは場内には魔王も含めて誰もいない。

 このフルクサスの問いに魔王は顔色一つ変えずに返す。

「うむ。先のカルバサでの一戦から10年、人間族も魔族も徐々に力を取り戻しつつある。『相手の準備が整うより前に先手を打ちたい』と双方が考えていることだろう。ここで2つの問題があってだな。1つ目は人間族はどの様な手を使ってくるかということだ。前回の様に大軍勢での侵攻をすれば返り討ちになるのは目に見えている。では人間族はどんな手に出るかということだ。2つ目だが」

 当然ながらこれはメディウムが居眠りの間に考えたことではない。この10年間、メディウムが思い悩んできた一端いったんである。その高尚こうしょうな悩みを居眠りのいいわけとして打ち明けるとは、いよいよもってマヌケな魔王と言わざるを得ない。この弁舌べんぜつにフルクサスは微笑ほほえんでこう返す。

「しかしながら、魔王様は先ほど『ハチミツを食べたい』などと寝言ねごとの様なものをおっしゃられましたので、まこと僭越せんえつながらお声がけした次第しだいです」

「え、うそ!?」

「はい、嘘です」

今度は魔王の方が顔を真っ赤にした。今日の魔王は青髪の人間の青年の様な姿に白いローブをまとっていたので一層いっそうその真っ赤な顔がえる。

 魔王は、その日の気分によりその姿を変える。そしてそれを常に解くことがないから、誰もカレの種族も、性別もわからない。そして永続的えいぞくてきな魔法などこの世界には存在しないはずであり、その原理も全くわからないからカレ以外には誰にも解くことができない。こうしたメディウムの秘密主義ひみつしゅぎも魔族の拍車はくしゃをかけた。

 加えて最近では人間族に化けることも多いことから、一部の魔族からの評価が最悪なのが手に負えない。

「貴君はこ、こ、こんな居眠りなんてどうでもいいことで私に恥をかかせてどうしようと言うのだね?」魔王がえる。こんなに恥ずかしいえ方をされると目も当てられない。

「ただでさえ周囲からその資質ししつを疑われてあるのですから、身なりと態度たいどだけでもしっかりして頂かないと困ります」この一言は究極的きゅうきょくてきに分かりやすい地雷じらいだった。フルクサスも顔に「しまった」と書いてある。

「皆から疑われているのか。それは都合つごうがいい。フルクサス、私は本日をもって退位するぞ。式典の準備だ。各種族の王、長達を呼べ」

「落ち着いてください。その様に軽々(けいけい)な判断をされては魔族全体が混乱します。それに今、その様なことをおっしゃられても各種族の王は冗談じょうだんか、世迷言よまいごとと思って取り合ってくれないと思います」

最早もはやフルクサスも取りつくろうことをあきらめた。

「あああ、聞きたくない。午後からは皆、休務きゅうむだ。城を開けろ。私はその間に必要な準備をする!!」

またまた面倒めんどうなことになったと、フルクサスが顔をしかめた時、

バンッー!!

と玉座の大扉を開いて鉄鼠族てっそぞくの男一体が入ってきた。

(何を騒がしい!魔王の御前と知ってのことか!?)

といつものフルクサスなら言っていただろうが、当の魔王が手のつけられぬ程にさわがしいから機をいっした(後にフルクサスはこのチャンスを逃したことを後悔していた)。

鉄鼠族てっそぞくの男はフルクサスの姿にならって右ひざをつき(実際にはフルクサスは左ひざをついておりそちらが正しい。)、開口一番かいこういちばん

「魔王様ッ。本日明朝、南の大陸の小国フロッタージュにて勇者一行の壮行式そうこうしきが執り行われましたッ!勇者一行は本日夕から明日の朝方にも出発するものと思われますッ!!」と伝えた。

貴君きくん、名前は?」

「へ?勇者のですか?」

「いや、貴君の名を聞いている」

あっけに取られる鉄鼠族てっそぞくの男の横で、フルクサスは開いた口がふさがらない。メディウムは、一大事そうなこの瞬間に、「多くの者の尊敬と信頼を集めるため、まずは相手の名前を聞くように」とのかつてのフルクサスのアドバイスを、愚劣ぐれつすぎるほど愚直ぐちょくに守っているのだ。名前は覚える気もないくせに。

「へ、へえ。シアンと申しやす」

「貴君、まずは南大陸からの長旅ご苦労であった」

「身に余るお言葉、ありがとうございやす」

(そこぐらい名前で呼べばいいでしょう?)と従者はツッコミたいところだが、シアンは真面目に応じる。

「さて先ほどの内容について1つ聞いておきたいのだが」

「な、何なりと聞いてくだせえ!あっしで答えられることなら何でも答えやす!!」

このやり取りで評価されれば、自身の出世、果ては種族の繁栄につながると信じる村男の模範的もはんてきな回答は、フルクサスに不安しか与えなかった。

「それでは貴君に聞こう」

 シアンなゴクリとつばを飲む音が横にいたフルクサスにも聞こえた。こういう無駄な溜(た)めをメディウムが多用するのがフルクサスは大嫌いだ。そしてフルクサスの不安は的中する。

「貴君の言った勇者だっけ、だったか。それはどのようなものか教えてはもらえまいか」

フルクサスは身体中の血が沸騰ふっとうすると同時に、全身の毛が逆立つのを感じる。事実、これ以上なく逆立っていた。

「シアン様ァ!!」

「へへへへ、へいぃぃいい!!」

フルクサスの声に、横にいたシアンが飛び上がった。

「誠に恐縮きょうしゅくなのですが、私はこれから魔王様と大事なお話がございます。…少し、ほんの少しだけ席を外しては頂けませんか?」

「ははははは、はイィッ!!喜んで!!!」

シアンはしどろもどろになりながら玉座の間から飛び出ていく。当然後を追うモノも待ち受けるモノもいない。メディウムはシアンが城内で迷うか、他の従者に食い殺されないか心配になった。

が、それも一瞬のこと、

「魔王様ァ、勇者が何なのか。この私が骨のずいにまで叩き込んで叩き込んで差し上げますから、ご覚悟ください」

 勇者が立った日。その日、魔王は魔王を辞めようとして、そしてその後、従者から死ぬ程にシバかれることとなったのだった。

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