第42話 ~不老長寿薬被害者友の会~ 民子の語り

『しくじったな。そいつは真識じゃねえ』


 不幸を顔面に張り付かせたみたいなスーツ姿のおっさんが、あたしを見るなり誘拐犯の三人に言った言葉だ。

 

 なんなのよ、あたしハズレだったわけ? 誘拐され損? 変な薬を嗅がさて、気絶までしたってのに?


 なんだそれ。


 間違いならさっさと家に返せとおっさんに要求すると、間違いだけど使えそうだからまだダメだと言われた。


 なんだそれ。


 仕方なしに利用されるとか、どんだけ可哀想なのよあたし。

 学校からの帰り道、若造にいきなり道を塞がれたと思ったら、後ろからハンカチで鼻と口を覆われた。美容院みたいな匂いがして、気を失った。目が覚めたら、プレハブ小屋のような部屋の床に転がっていた。腕と脚をガッチリ縛られて。


 部屋には小さな窓が二つあるけど、もう夜らしく、外は真っ暗なだけで何も見えない。だから、ここがどこかは分らない。


 あたしを攫った奴らは三人だった。若いのが二人と、中年が一人。全員、男。

 三人は後から来たスーツのおっさんと交替こうたいするように、あたしとおっさんをプレハブ小屋に残してどこかへ行った。


 扉に近い窓の上の壁に、シンプルな時計がかかっている。針が狂ってないければ、三人が出ていったのが二〇時半くらい。今は二一時だ。まだ一人も帰ってきてきていない。どこで何をしてるんだか。

 

 ……それにしてもお腹が空いたじゃありませんか。

 鞄の中に飴があったけど……鞄ごと落としてきたみたいだし、持って来れていたとしても、両手が塞がってたんじゃ食べられないか。


 ぐううう。と腹が鳴った。あたしの体ってば、大ピンチでもご飯を忘れないみたい。


「あー、肉まんくいてぇ」


 心の声がこぼれ出た。すると、折り畳み椅子に座ってスマホをいじっていたおっさんが、ふと顔を上げる。


「もうそんな時間か」


 ぼそりと言ったおっさんは、おもむろに立ち上がると、机の上に置いてあったコンビニのビニール袋を漁りはじめた。中から取り出したのは、なんとオニギリ。


 おっさんは無言でフィルムをめくって海苔に包まれた中身を出すと、驚くべき事にそれをあたしの口元に持ってきた。


「食えよ」


 オニギリをあたしの口に近付ける。


 くっ。見知らぬ人間に餌をちらつかせられている犬ってこんな気分なのかしら。メチャクチャ食べたいけど、自尊心と警戒心が邪魔をする!


 ジレンマに陥っていると、おっさんは「毒なんか入れてねえぞ」と言ってオニギリを半分に割った。片方にかぶりつき、もぐもぐと咀嚼する。


 しまった! あたしのオニギリ、半分持ってかれた!


 これ以上は絶対に渡すまいと、もう半分に急いでかぶりつく。梅干オニギリしだった。ちょっと嫌いなやつ。でも、背に腹は代えられない。我慢して残りも食べる。でもやっぱり、後味が嫌。


「お茶ありませんか」


 飲み物を要求すると、おっさんは「ふてぶてしい娘だな」と顔をしかめた。でも、ビニール袋から緑茶のペットボトルを出して、飲ませてくれた。

 多少なりとも空腹が満たされたあたしは、おもわず「ありがとう」とお礼を言いかけ、口をつぐむ。


 やべえ。あたしちょっと、餌付けされてる? めちゃめちゃチョロイじゃん。


 自分で自分が恥ずかしくなった。


 誰か助けに来てくれるかなあ。連れ去られた時、後ろに先輩とミっちゃんとスギちゃんがいたから、警察に通報してくれてるかもしれないけど。

 でもこいつら、拳銃持ってんだよなぁ。どこから密輸したのか知らんけど。撃ち合いになったらヤだなあ。お母さん、先陣切って突入してきそうだし。


 コンビニの袋の横にある、黒い金属性の塊を見つめたあたしは、どうかこれが使われませんように、と祈った。

 まあ拳銃が使われなかったとしても、ナイフくらいは隠し持ってるかもしれないんだけど。つまり、あたしはこいつらについて、まだ何も知らないんだ。そもそも、誘拐された理由すら分ってないし。

 おっさんや他の奴らが時折口にしてる『ましき』っていう謎単語。これが関係してるようだけど。


「ねえ。ましき、って何?」


 答えてもらえるかどうかは別として、とりあえず質問してみた。

『ましき』を知らないのが相当意外だったのか、垂れ下がっていたおっさんの瞼が大きく持ち上がり、丸い眼球が露出する。


「なんだ。お前、真識を知らずにあいつらと付き合ってたのか」


 知りませんよ。適当な漢字すら当てられないくらい存じ上げませんよ。ていうか、あいつらってどいつらよ。

 ふくれっ面を作ると、おっさんは『やれやれ』といった具合にかぶりをふった。


 なんか、呆れられてる。なんかムカつく。


 おっさんはあたしの隣にどっかりと腰を下ろすと、「大昔だからな。もう忘れちまった事も多いんだが」と前置きをして、『ましき』について語り始めた。



「いいか小娘。真識の奴等はみんな、独特の雰囲気を持ってやがるからな。見りゃすぐに分かる。あいつらは老若男女関係なく、美しく神秘的だ。顔の造作じゃねえぞ。内から出るもんだ。そんで山でも川でも、自然の中に入るとすっと溶け込んじまう。そういう変わった人種なんだよ」


『真識』についての講釈が始まってどれくらい経っただろう。おっさんは終始、饒舌じょうぜつだった。暗い顔をしてなければ、憧れの俳優やアイドルについて語るファンにも似ている。羨望と憎しみを、両方抱いているみたい。

 確かに、記憶があやふやなところもあるようだ。おっさんが『真識』の人を殺してしまうきっかけになった言葉の詳しい内容や、その人の名前はもう思い出せないみたいだし。けれど『真識』に対するイメージと執着だけは強くて、少なくとも、このおっさんにとって『真識』は、良くも悪くも特別なんだと分った。

 その証拠に、おっさんは私を見ると「おまえさんは普通だな。普通の人間だ」とつまらなそうに言い捨てた。俗物で悪うございましたわね。


「谷原クンも普通の人間だよ。ちょっと変わってるけど」


 悔し紛れに言い返すと、おっさんが鼻で笑う。と、その時、車のエンジン音が聞こえた。外出していたメンバーが帰ってきたようだ。

 小屋に入ってきたのは二人。若いのが一人足りない。その上残りの二人も、ひーひー言いながら部屋に入ってくるなり、床にごろんと転がった。

 どうやらひと悶着あったようだ。

 よく見ると、二人とも全身ボロボロだった。顔や腕には毒虫に刺されたみたいに腫れあがった個所かしょや、ズボンが破けた脛には、犬か何かに噛まれたような歯型までついている。

 ジャングルでも走って来たのか? こいつら。


「何があった?」


 スーツのおっさんが訊ねると、二人は口々に、蜂に襲われたとか、狐が噛みついてきたとか猪に追いかけられたとか、被害報告をした。それから、昼間に見つけておいたはずの村への入り口が、どこにも見当たらない、と。


「『真識』の奴らが何かしやがったんだ。そうに決まってる」


 中年の男が忌々しげに言った。

 ちょっと待ってよ。いくらなんでも、虫や野生動物をけしかけるなんて、無理に決まってんじゃん。


「あんたらがドンくさかっただけでしょ。何でもかんでも他人ひとのせいにしちゃダメだよ」


 スーツのおっさんと話して気が緩んでいたせいか、うっかり責めてしまった。やっちまった、と失態に気付いた時には、若い奴に頭を思いきり叩かれていた。


「おい、滝口たきぐちさん。この小娘、真識じゃねえんなら生かしておいても無駄だろ。邪魔だし始末しちまおうぜ」


 若いのが私の頭を叩いたその手で、机の銃を手に取る。

 待ったをかけたのは、滝口と呼ばれたスーツのおっさん。


「この娘は真識の一人と友人関係だ。あいつらは仲間意識が強い。牽制けんせいに使う分には丁度いいだろう」


 もう一人の中年男も、滝口のおっさんに「それがいい」と同意する。


 やべー。あたし、殺されるところだったー。


 あたしは、記憶する限り人生で初めて、冷や汗というものを額から流した。

 戻ってきた若造は短気。滝口のおっさんは頭脳派だけど粘着気質。もうひとりの中年は多分。被害妄想が強い? ろくな奴がいやしねえ。

 とにかく、滝口とのおっさんとの会話で唯一分ったのは、こいつらが全員、真識の不老長寿薬を飲んだ超長生きさんで、谷原クン達を殺したいほど憎んでるって事だ。

 完全に逆恨みじゃん、ってあたしは思うけど。


 ったく、どいつもこいつも『世界一の不幸を背負ってます』みたいな暗い顔をして、目だけがギラギラ気持ち悪く光ってて。


 あー気に入らない。マジで気に入らない。ガチで気に入らない。

 あたしはこの辛気臭い顔をした野郎どもを『不老長寿薬被害者友の会』と勝手に名付ける事にした。もちろん、皮肉だ。


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