第28話 ~名取のハングリー精神~ 愁一郎の語り

 学校の正門に通じる坂道を登りながら、僕はぼんやり考えごとをしていた。

 同じく通学中の学生たちが、ゆっくり歩いている僕を追い越し、お互い朝の挨拶をかわしつつ正門を通過してゆく。


 昨日のジャムパンは、名取相手でも流石にちょっと多すぎたかな……。色々選んでたら、どれにしたらいいか分らなくなって、あるだけパンに挟んだんだけど。


 しかも、父さんに手伝ってもらって。

 


 父さんと誠人さんは、土曜日の昼前に大屋敷に帰って来た。名取が倒れた次の日の事だ。一月ぶりに見た二人は、送りだした時に比べて若干痩せたようだった。


 ハンターは、大人しく話を聞いてくれる事はまず無いし、下手をすれば刃物を突きつけられる。断薬を始めたら始めただで、錯乱して暴れ出す人もいる。

 大人の男二人がかりでもこんなにゲッソリして帰って来たんだから、今回の患者も大変だったんだろうと僕は推測した。


 誠人さんは族長に業務報告した後、すぐに家に帰った。『真利亜が飯作って待ってくれてるんで』って嬉しそうに。

 父さんは、誠人さんを見送るとすぐにベッドに倒れ込み、日が暮れるまでぐっすり眠った。

 僕と浅葱が斎藤さんの話を父さんにできたのは、その日の夕食時だ。


『ご本人にも族長にも了解はとってあります。一度、診てもらえませんか』


 鹿肉のシチューを食べながら斎藤さんの問診表に目を通す父さんに、浅葱が頭を下げた。

 僕は斎藤さんの説明を全部浅葱に任せていた。俺が担当なんだから俺が話す! と浅葱が断固主張したからだ。僕が検査した結果だけは、僕の口から伝えたけれど。


『本人さえ良ければ、今からでも部屋に行けるがどうする?』


 問診表から顔を上げるなり、父さんが言った。父さんのフットワークの軽さは、疲れていても変わらない。


 父さんの診立ては、やはり甲状腺機能低下症だった。



 次の日の夜。浅葱が月曜日の為の仕込みを終えた後の厨房で、僕と父さんはせっせとジャムパンを作りながら斎藤さんの病状について話し合った。僕らの目の前には、大量のジャム瓶とコッペパンが並んでいた。


『斎藤さんの症状、結局全部が甲状腺につながってくるの?』


『完全にとは言わないが。とにかく彼女は、ホルモン代償療法を試すのが一番いいだろう。免疫系が抗体を作って、甲状腺ホルモンが働く前に無効化してる可能性がある。代謝が改善されたら、骨折部位も治癒していくはずだ。同じような症例が文献にあるから、後で読ませてやるよ』


『仙尾関節は?』


『仙尾関節については、今は髄膜にかかっているストレスを他の場所で分散できているみたいだ。だがいずれ、カバーできる限界を越える可能性は十分にある。あとは、事故の衝撃で負ったブロックだな。この二つはきちんと取り除いておいた方がいい』

 

『それ、僕がやっていいかな』


 ダメもとで整体担当に名乗り出ると、父さんがふっと笑った。


『今回は、念のため真利亜にやってもらえ』


 やっぱりか、と僕は肩を落とした。相手は若い女性で、しかも整体にトラウマを持っている。検査をさせてもらえただけでも有難かったんだ。

 僕は潔く諦めた。


『それよりお前は友達の方に気を使うべきだな。口止め料にしても、多すぎないか? これ』


 父さんは、包み終わったジャムパンの山を見て顔をしかめた。

 確かにパン屋が開けそうな量だとは思うけど……


『名取なら腐る前に食べきれるんじゃない?』


 そう結論付けた。

 僕なら多分、二日くらいで完食できる。


『父さんだって、若い頃は結構食べたんじゃないの?』


『四〇〇年以上前だぞ。腹いっぱい食えるなんて稀だったさ』


 父さんは笑って答えた。

 父さんは織田信長と同じ時代の人だ。殆ど山に籠りっぱなしの族長と違って、現代社会に馴染み過ぎてるから、僕としてはイマイチ実感に欠けるんだけど。

 

 斎藤さんのホルモン代償療法は、父さんの処方で今日から始まった。朝に一回、薬を服用するらしい。

 結果を出すまでには時間を要すかもしれないそうだ。だから、仙尾関節と事故による機能障害の矯正を終えたら通院に切り替えるか、村への通院が難しければ、ホルモン剤を処方してくれる別の病院を探す必要があると、父さんは言っていた。

 僕が覚えた喉の違和感は、斎藤さんの不調に体が共鳴したからだって。気功を経験してる療術士には、特にこういう現象が起きやすいそうだ。

 食餌療法に関しては、『今は食べたいものを食べさせてやれ』だって。不満そうな浅葱の一方で、斎藤さんはちょっと嬉しそうだった。

豆花とうふぁが食べたいです』って、さっそく浅葱にリクエストしてたな。材料がないらしくて、浅葱は頭抱えてたけど。


 ★


 浅葱と斎藤さんの和やかなやり取りを思い出してにやけていると、後ろから肩を叩かれた。

 名取だ。肘と膝に救急処置で貼られたパッドが、普通の絆創膏に貼り替えられいる。


 名取は「おはよう燦々さんさん~!」と片手を上げて珍妙な挨拶をすると、僕にランチバックを返してきた。


「とぉっても美味しくいただきました。ごちそうさま~。お手紙もすごく勉強になったわ」


 どういたしまして、と空の袋を受け取ると、中でカラカラと音がした。


「ん? 何か入れた?」


 名取はニマニマ笑いながら答える。


「ええ、入れましたとも~。お礼にクッキー焼いたのよん。さんに、渡してね」


 語気を強めたところをみると、手紙の差出人が僕だと気付いたみたいだ。いやまあ、別にいいんだけど。一応婦人科疾患だから、気を使って女性(真利亜さん)の名前を借りただけだし。

 僕としては、毎月大変なんだろうな、って同情しただけで。


「酷いんなら、真利亜さんの施術受けてみる?」


 歩きながら、何気なしに提案してみた。

 横に並んだ名取が、首を傾げる。


「酷いって何が?」


「生理痛。あれって、本来は殆ど無いものだから」


「ええっ!? そうなの!?」


 驚いた声がやたらでかい。僕はキーンとなった耳を塞いだ。


「骨盤と子宮のアンバランスが原因の一つらしいよ。真利亜さんは婦人科にも強い柔整師だから、一度診てもらったらいいんじゃない?」


「生理痛の無い人生かぁ。天国かも……」


 一人うっとりと呟いた名取。けれど、すぐに「はっ!」と何かに気付いて、身を乗り出してきた。


「ねね。谷原クンもできるの?」


「できないことはないけど」


「じゃあさ、谷原クンに施術してもらうってのはダメ?」


「……凄い記者根性だね」


 もう、賞賛の言葉しか出てこなかった。

 どうせ大屋敷の代わりに、こっちを記事にしようとか思ったんだろう。


 僕としては、私情をはさまず施術できる自信はある。でも、あなたそれでいいんですか? より適切な施術ができる女性セラピストが近くにいるっていうのに、部活の為なら自分の婦人科系疾患を同級生の男友達に嬉々として扱わせる事が出来る女子高生って……。いくらなんでも、そこまでハングリーになんなくてもいいと思うよ。


 あー頭が痛い。

 ホント父さんが言った通り、僕はまずこの人をなんとかしないと。


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