第8話 ~人選を誤ったようだ~ 愁一郎の語り

「ほー。こやつがお前のストーカーか」


「ストーカーじゃないってば。人の話聞いてた?」


 二人だけのがらんとした夜の食堂。

 クラス写真を見ながら言った浅葱の台詞に、つい先日まで庭で虫をついばんでいたはずの唐揚げを箸から取り落とした僕は、向かいに座っている大男を睨んだ。

 誓って言うけど、食事をしながらおよそ三十分に渡り行った客観的説明の中で、僕は名取さんをストーカー呼ばわりした覚えは一度も無い。


「なんか、饅頭にイソギンチャク生やしたような子だな。……よく見りゃそれなりに可愛いじゃねえか」


 浅葱はいつものふてぶてしい顔で、問題解決の糸口にさえなりそうにない、実に主観的な意見を二つ並べてくれた。

 いつもは好感の持てる浅葱のマイペースさだけど、今日に限っては少なからず腹立たしさを覚えてしまう。


「美醜のコメントは要らないんだよ。ていうか、イソギンチャクとか明らかけなしておいてから舌の根も乾かないうちに可愛いってどういうこと?」


 マイペースな大男は「ふん」とニヒルに笑うと、クラス写真を空になった味噌汁のお椀の上にペラリと置いて返してきた。

 そして、ずっと脇に置いてあったA四サイズの紙の束を手に取り、読み始める。


「なにそれ?」


 僕が身を乗り出して覗きこもうとすると、浅葱は「お前にゃ関係ねえ」と書類を頭上に掲げて避けた。

 怪しい。


「見せろ」


「見せねえよ。お前はイソギンチャクの撃退法でも考えてろ」


 隠し事など滅多にしない浅葱が。ますます怪しい。

 これは是が非でも書類の内容を確認してやらねばならない。

 僕は、古典的な戦法を使う事にした。


「あ! 栗原○るみ!」


「え、どこどこ?」


 食堂の窓を指さして浅葱の大好きな料理家の名前を叫んでやると、単純バカは見事にひっかかってくれた。

 注意がそれた隙に、書類を奪う。


 思った通り、問診表だった。


 二十四歳の女性。事務職。

 四か月前に自転車を運転中、自動車と接触し転倒。その時に左第二中節骨を不完全骨折。いまだ癒合せず。傷創しょうそうも完治せず。また、疲労感、集中力の欠如、月経不順、消化不良などの愁訴しゅうそがある。骨折の治癒不良以外は医師の診察でも異常が見つからなかった。

 他にも、病歴や家族歴や手術歴、嗜好品や睡眠時間などが記されている。

 特に大きな病歴はないし、手術歴も無い。やや睡眠時間が長い気はするけど、疲労感があるなら当たり前か。


「循環が悪そうだなぁ。エネルギー不足というか、なんとなく呼吸が浅い感じもするから胸郭から……いややっぱ頭蓋骨から全体をチェックして……」


 ぶつぶつ言っていると、頭頂部にゲンコツをお見舞いされた。問診表も取り返される。


「浅はかな診断してんじゃねえぞ。ど素人が」

 

 どっ……。言ってくれるじゃないか。


「解剖と運動学に関しては浅葱よりも精通してるつもりだよ」


 聞き捨てならない事を言われ、僕は即座に言い返した。

 食餌療法専門の浅葱に文句言われてたまるか。

 大体さ。本人見なきゃ分んないだろ、実際のところ。


 僕も施術チームに入れろと要求すると、族長命令だと却下された。


「お前は学校があるし、もうすぐ期末テストじゃねえか。整体が必要なら他の奴に任せるから、お前は地理でも勉強してろ。中間で一番点数低かったんだろ?」


「それでも八〇点取ったよ。テストなんて赤点取らなきゃいいんだから、評価くらいさせてくれたっていいだろ?」


「患者は実験台じゃねえぞ。お前は学生らしく、イソギンチャク生やしたアンコロ餅と遊んどけ」


「はああ!?」


 なんで撃退したい相手とたわむれなきゃなんないんだよ!


「アンコロ餅は浅葱だろ!」


 このズングリムックリめ! と言い返してやったら、浅葱は明らかにムッとした顔になった。


「俺は固太りだ。ふにゃふにゃのアンコロ餅と一緒にすんじゃねえ! せめて焼きまんじゅうにしろ!」


「怒るポイントそこ!?」


 予想外過ぎた返し文句に、僕は仰天した。

 付き合い長いけど、浅葱が固太りにポリシーを持ってるなんて、今初めて知ったよ。


 浅葱がフランクフルトみたいな人差し指を、僕にビシッとさして来る。


「とにかくな! 俺は優しいから話を戻してやるが、お前は『嫌だ!』って意思表示が緩いんだよ。傷つけたら可哀想だとか考えず、もっと毅然と突っぱねろや!」


「きっ、毅然?」 


 痛い所を突かれてしまい、撲はたじろいだ。

 確かに浅葱の言うとおりかもしれない。この二日間、なんだかんだずるずると名取さんの接近を許しているのは事実だ。もっとはっきりきっぱり拒絶したら、彼女も諦めてくれるはず。例えば、強引なセールスを断る要領で……


「『おいメス豚。大概にしねえとハム製造工場に売り飛ばすぞ』がベストだな」


「却下!」


 思わず拳で机を叩いてしまった。

 浅葱一押しの拒絶文句は、もはや突っぱねる域を通り越して、侮辱×恫喝だ。こんなのを僕が同級生の女子に言うとしたら、それはもう完全に自分を見失っている時でしかない。ていうか、しつこいセールスマン相手でもムリだ。


 間髪いれずボツにした僕を、浅葱は太い眉を寄せて「ん~?」と覗き込んできた。


 何だよその思いっきり人を疑うような目つきは。

 

 僕が、ジャイ◯ンを実写化したような顔面アップと、ぐりぐりほじくってくるような視線に耐えかねて身を引いたところで、浅葱ははっとした表情を作った。そして、僕より素早い動作でさっと身を引く。


「お前もしかして……」


 脇をしめて両拳を口元に当てて、まるで汚らわしいものを前にしているかのような、浅葱の態度。

 もしかしてどうしたんだよ。ていうかそのキモいポーズ、いまどき女子すらしないよ。


「ホントは追っかけ回されて嬉しいんじゃ」


「変態みたいに言うな!」


 完全に頭にきた僕は、今度は両手で机を叩いた。現時点をもって、相談は終了。三十分を超えた徒労は、無駄になって終わった。


 お椀の上に置かれたままだった写真をパーカーのポケットに入れて、唐揚げの最後の一個を口に放り込むと、食器を手早く重ねた僕は厨房の流し台へ向かった。 

「冗談の通じねぇ奴だ」とふくれる浅葱は無視する。


 流し台に食器を置いて食堂を出て行こうとした僕を、まだ食卓にいる浅葱が「おーい、しゅーちゃーん」と呼びかけてきた。勿論、からかいからだ。


 なーにが『しゅーちゃん』だ。気色悪いったらない。


 空腹を我慢して屋敷の人全員が食事を終えるのを待っていたというのに、骨折り損のくたびれ儲けもいいところだ。これほど実益を伴わない無意義な会話が未だかつてあっただろうか。いや、ない!


「もういい。浅葱なんかに相談した僕が馬鹿だったよ」


 言い捨てて出ようとしたところで、浅葱が「んだとコラ。もう弁当作ってやんねーぞ」と母親みたいな脅し文句を武器に言い返してきたので、僕も負けじと応戦してやった。


「いいよ購買でパン買うから。ごちそうさまでした。おかーたま」


 食堂を出て、後ろで手にピシャリとガラス戸を閉めてやる。

 我ながら、なんてバカバカしいやり取りなんだと思うけれど、とりあえず何か言い返さなきゃ気持ちがおさまらなかった。


「この恩知らず! アホ一郎! テメーの使った皿なんか洗ってやんねー!」


 浅葱も同じ気持ちなのか、背中に低レベルな罵倒が飛んでくる。

 

 アホで結構! 皿も明日洗えばいいんだろ!



 翌朝。本当に浅葱は弁当を作ってくれなかった。


【添加物てんこもりのパンでも弁当でも買い食いして早死にしやがれバーカ】

 

 僕が食堂へ行くと、弁当の代わりにメモ書きが一枚、いつも弁当の受け渡し場所になっている配膳台に置かれていた。 


 僕はメモをぼんやり眺めながら、ちょっと飛躍しすぎた発想だな、と呆れた。全国の製パン工場の皆さんに申し訳ない。


 薬膳料理を完全マスターして地産地消完全オーガニックを目指している浅葱は、ファストフードや工場製造された弁当やパンに対して辛口が過ぎる節がある。流石に毎日は嫌気がさすけれど、たまに食べたらハンバーガーやコンビニ弁当も美味しいのに。ちなみに僕は、ミ○タードーナツのポン◯リングが好き。

 それにしても、このメモは大人げない。これじゃ本当に、母親と息子の喧嘩だよ。でなければ夫婦喧嘩かな。


「……巨漢の餡ころ餅が嫁……」


 自分で勝手に想像したんだけど、あまりのおぞましさに鳥肌と身震いが起こる。


 僕は、閲覧注意に相当する想像を振り切るように昨夜使った食器を手早く洗って、配膳台に戻った。鞄を開けてペンケースからボールペンを取り出し、両手が塞がっていたから口でキャップを抜いて、浅葱が残したメモ用紙を裏返してそこに返信を書く。


【購買のパンはパン屋さんからの直輸送だよ。残念でした。】


 急いでいたので多少字が荒くなったけど、十分じゅうぶん読める。


「これでよし、と」


 ボールペンをしまって鞄のファスナーを締め、足早に無人の食堂を出る。


 例え筆談での喧嘩でも、僕は負けるつもりないんだよ。――って僕も十分、大人げないか。


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