第3話 また君と出会う為に、明日に捧げたウィッシュ

「ただいま」


 一言、靴を玄関に置きながら零した。両親は夫婦水入らずで外食に出かけているから、今は居ない。

 荷物を自分の部屋において、ただ静かに脱衣所ヘ向かった。浴槽を洗い、お湯を溜め、服を脱ぎ、包帯を外し、結んでいた髪を解き、浴室で体を洗い、湯船に浸かる。いつも通りだ。それなのに、何かが足りない気がした。

 ……音が足りないのかな。車の音に、親の話し声、そして生活音。何も聞こえない。聞こえたとしても、シャワーヘッドから落ちた水滴の音くらい。自分は今、独りぼっちなんだということを改めて認識させられる。


「はぁ……。寂しい」


 ため息を浴室に響かせた後、風呂から上がる。体を拭き、口煩いドライヤーに髪を撫でさせながら思う。どうして、「寂しい」と言ってしまったのだろう。いつも通りのはずなのに。

 疑問を残しながら、キッチンへ向かう。今日の晩ご飯は大晦日の定番、年越し蕎麦。

 まず、蕎麦を茹でる。茹で上がるまでに、葱を切り、丼ぶりに麺つゆを入れ、それを水で薄める。蕎麦が茹で上がったらお湯を切り、丼ぶりに入れる。レンジで、帰りに買ってきた海老天とかき揚げとちくわの磯辺揚げを温める。その間に、蕎麦に葱とたっぷりの天かすをかけ、温泉卵を落とし、最後に温まった天ぷらを乗せる。これで完成だ。

 ……すぐにでも食べたい。今日の昼ご飯は禄に食べられてないから。

 テーブルに水を入れたコップと箸ともに丼ぶりを、小走りで持っていき、席につく。


「……いただきます」


 静かに手を合わせ、感謝を伝えた後、箸を取る。

 ダイニングには、蕎麦を啜る音、天ぷらを噛み砕く音、葱を歯で刻む音が僅かに響く。

 卵の黄身を割りながらふと思う。この音、どう表現すればいいんだろう。如何にも小説家らしい疑問だが、そんなこと考えている小説家なんてほぼいないだろう。

 蕎麦を黄身に絡めながら啜る。濃厚な黄身と、つゆの塩気と旨味、蕎麦の香りがあう。寂しさを紛らわせる為に食レポの真似事をしてみるが、馬鹿らしく思えてきて、寂しさが際立たされる。

 それから間もなくして完食。食器を片付け、年末恒例のバラエティ番組を見て年越しまでの時間を潰す。

 虚しい。別に、バラエティ番組がつまらないというわけではない。

 騒がしいのは嫌い。1人で静かにしているのが好き。それが今、覆ろうとしている。

 宮川翌楽。彼女には、それほどの何かがあるのだろうか。今の僕には何も分からない。そう、何も分からない。だから、これから知っていかなければならない。

 ……今、翌楽が脳内の8割を占めている。中々キモいな自分。翌楽に会ってからというもの、調子が著しく狂ってる。

 あれ。よくよく考えたら連絡先交換しなくても、トリッターのDMで連絡取れるよね……。あ、ああ……。なんか、辛くなってきた。もう寝たいけど全然眠くないし、起きて年を越したいから寝れない……。

 悲しみに暮れながら時間がたち、帰って来た両親と入れ替わるように、僕は自分の部屋へと向かった。


「はぁ……。今日は疲れた」


 身体をベッドに倒し、溜め息は枕に吸い込まれる。時計の針に視線を向ければ、片や6の数字を。片や11と12の間を示していた。

 年明けまで、スマホでも見て時間を潰そう。

 取りあえずトリッターを開いてみれば、猫目てるが


『あともう少しで年越しだよ〜!!』


という投稿を大量にしていた。かまってちゃんなのか。それとも落ち着きが無いのか……。


「あ。そうだ。あのイラストの感想を伝えるの忘れてた……」


 なんで忘れていたんだろう。後悔の念が、頭を抱え込まさせる。

 別れる前に、伝えておけば良かった。折角、直接言えるチャンスだったのに。まさに時すでに遅し。せめて電話とかでも……。

 ん、電話?


「出来るじゃん。連絡先交換してあるんだから!」


 ここでこれが活きるのか。まさに伏線回収……ではないな。完全に深夜テンションに飲み込まれるところだった。

 いや、そんなことはどうでもいい。思い立ったが吉日。善は急げ。昔からそう言っただろう。早速指を走らせ、翌楽に電話をかけた。


「起きてるよね……」


 うずうずしてしょうがなかった。いち早く翌楽と話がしたい。その思いが1秒を引き伸ばす。

 だが、聞こえた声は無機質で無情なものだった。

 どうやら、他の誰かと通話中らしい。10分後にもう一度掛け直したが、応えは同じだった。

 残念だな。まぁ、自分の行動が招いた結果なんだ。あの時、言っておけば良かったんだ。文句は言えないし、言う気力もない。

 もう夜遅いんだ。年越した後、年明けの挨拶を投稿したら寝よう。


「取りあえず、いいねとリポストと感想コメントをしておこう。今度会った時に、直接感想を言えば良い」


 それらを済ませ、年を越すまで天井の顔色を伺っていた。

 ……なるべく近いうちに、会いたいな。明日、初詣のついでに会えたりしないのだろうか。

 翌楽に会いたい。その感情で頭が破裂しそうだった。

 違う。これは決して恋愛感情とかじゃない。翌楽の事ばかり考えてるけど違うから。一目惚れする程、僕はチョロくないから!!

 うう……。頭がぐるぐるして気持ち悪いよ……。

 時計を目にすると、長針は0を過ぎていた。


「い、いつの間に年越してる!」


 確か5分以上あったはず。それなのに、一瞬で時間が過ぎたなんて……。


「……あけおめ、しなきゃ」


 明けましておめでとう。その言葉を翌楽に送って、眠りについた。

 左手に握られたスマホの画面には、2人の少年少女が指切りをしていた。



 ◆  ◆  ◆



「……はぁ」


 ベッドの上で、ワタシは緊張と疲れを吐き出した。

 やりすぎたのかもしれない。冷静に考えれば、初対面の人にあのスキンシップは度が過ぎている。変な人って、思われてないと良いな……。

 でも、そんな悩みを忘れさせてしまうほど……。


「ワタシの推し可愛すぎぃぃぃぃぃぃ!」


 な、何なのあの可愛い小動物は!? 一瞬低めのショタボのように聞こえるが、大人のお姉さん特有の色気も感じさせる独特な声がワタシの耳に染みついてる。あのポニテを顔に巻き付けたいよぉ!! まさか男の娘だとは思わないよ!!

 こんな興奮は初めてだった。これが俗に言う限界化ってこと!?

 ワタシはベッドの上で右へ左へ体を転がした。


「あ゙〜、弟にしたい」


 いっぱい美味しいもの食べさせてあげたい。毎日ナデナデしてあげたい。一緒の布団で寝たい。

 願望が無限に溢れ出る。これも全部燦葉くんが悪いんだよ。

 陸地に揚げられた魚のようにバタバタしていると、或る人物から電話がかかってきた。


「希夜ちゃんからだ。急にどうしたのー?」

『どうしたの、じゃないでしょ。翌楽が年明けまで通話してようって、言い出したんでしょ』


 相手は、――大狼希夜だった。


「そーだった。ちょっと忘れちゃってた」

『はぁ……。翌楽ったら……』


 希夜ちゃんは、少し呆れたようだった。でも、なんだかんだ構ってくれるのが希夜ちゃんのい良いところ!!


『なんか機嫌良さそうだね。確か、今日は同人誌買いに行くって言ってたね』

「そうなの! そこで会えたんだ。私の推しに」

『へぇ、それは凄い。私も会ってみたいな。翌楽の推しに』

「そうだね〜。いつか……。いつか」


 ……そのいつかは、何時になるのだろうか。何処にあるのかわからない出口を、見つけられるのは自分しかいない。燦葉くんを助けられるのは、きっと自分しかいないんだ。

 強く歯を噛み締めた。そこに音は無かった。


『……すた。翌楽。どうかした?』

「……ううん。何でもないよ。ちょっと考えごと〜」

『それなら、良かった』


 少しの焦燥感を含んでいた希夜ちゃんの声は、すっかり落ち着いた。そのまま他愛のない会話を続け、気づけば年が明けていた。


「あけましておめでとう〜!」

『おめでとう。今年もよろしく』

「よろしく〜!」


 新年の挨拶を済ませ、通話を切った。

 ……1つ、引っ掛かっているものがあった。帰りの電車。あの時、燦葉くんが言っていた『きや』って、希夜ちゃんのことなのかな。ワタシには希夜ちゃんが、誰かにトラウマを植え付けるような酷いことをするとは思えない。でもそれは、希夜ちゃんにはワタシの知らない一面があるだけなのかもしれない。

 ワタシは、2人のどちらかを選ばないといけないのかもしれない。


「……考えすぎだよね」


 難しいこと考えるの、苦手なんだから。

 普段あまり使わない頭で考えごとをしたせいか。大きな欠伸が出る。そろそろ寝ようかな。

 寝る前に通知を確認すると、燦葉くんから2度も電話がかかってきていた。その時間は、丁度希夜ちゃんと話をしていた。

 何かあったのかな。そう思って電話をかけてみるても、繋がることはなかった。


「もう……、寝ちゃったのかな」


 心に、隙間を感じた。そこに当てはまるものが何なのかは、はっきりしていた。けれども、どうして欠けてしまったのかは、わからなかった。


『あけましておめでとう』


 燦葉くんにそう送って、ワタシは眠りについた。

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