第2話 静寂とした帰路で、君と再び出会うミラクル
「『猫目てる』……。これかな?」
帰りの列車を待ちながら、僕は少女が口にしていたものと同じ名前のトリッターのアカウントを見つけた。
あの名前には、少し見覚えがあった。確か、僕が小説を書き始めたばかりの頃。何の脈絡もなく、僕のトリッターのアカウントをフォローしたのだ。
何故フォローしたのか。全く理解出来なかったからスルーしていたが、ようやく訳がわかった。
今日の15時40分頃に、
『推しの本買えた〜。サイコーの大晦日だよ〜(≧▽≦)』
という文章とともに、あの同人誌の写真が投稿されていた。
その写真には、少女の右手首についていたものと同じブレスレットが写っていた。過去の投稿からわかったことだが、どうやらこのブレスレットは手作りらしい。このアカウントは少女のもので、間違いなさそうだ。
「同じ高一で、漫画家を目指しているのか……」
そのアカウントには多くの漫画やイラストが投稿されていて、どれも素晴らしい出来であった。しかも、僕好みの絵柄だ。
折角だし、フォローバックしとくか。
そう思ってフォローバックすると、すぐさまスマホに通知が来た。何やら新しい投稿があったようだ。早速確認してみよう。
「これは……」
眼の前の画面に映し出されたものに、思わず声が漏れ出た。
それと時を同じくして、ホームに電車が到着した。
「……神様は、僕が余韻に浸る間を与えてくれないんですか?」
愚痴をこぼしながら、開いたドアの中に入ると……。
「……お、お久しぶりですね?」
「……へぇ。久しぶりに誰かと会う感動も、与えてはくれないんだ」
ついさっき見た覚えのある顔があった。偶然にも他に人がいないから、直ぐに目についた。
この再会は感動的では無いが、どこか運命的なものを感じる。もし仮に、この世界が誰かの筆に作られた世界ならば、この少女とはこれからも関わっていくことになるんだろう。僕がメインキャラであればの話だけど。
「……どうかしたんですか?」
「……ただの独り言ですよ」
さっきの愚痴が聞こえたのか。向かいの座席に座る僕に、少女は疑問を向けた。
間もなくして扉が閉まり、列車が動き出す直前だった。少女は僕の傍へとやってきた。
その瞬間、全身を震え上がらせるような恐怖と、心臓が締め付けられるような痛みが僕を襲った。
思わず呻き声が溢れ落ちる。少女から離れようと立ち上がったが、時を同じくして列車が動き出し、体勢を崩してしまった僕は、近くの手すりに頭を強くぶつけてしまった。
「い゙っ……!」
「ど、どうしたんですか!?」
頭から離れようとしない痛みが、意識を揺さぶり続ける。
視界がぼやけてしまっているが、少女がこちらに手を伸ばしているのが見えた。意識がはっきりしてなかったからか、恐怖は感じなかった。やっとの思いでその手を掴もうとした、その時だった。
『燦葉、大丈夫?』
「き……や?」
眼の前に、かつて思いを寄せていた幼馴染――
懐かしい光景だった。雑草が茂る公園で、希夜と2人でボール遊びをしていた時の事だったか。確か、虫に驚いた僕が転んでしまったんだ。そんな僕の手を取ろうとして……。
「ご……めん」
「い、いや、別に気にしてたりしま……」
「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん僕が悪いの悪かったのいいんだよこんな僕のことなんかいいんだ不幸になる必要なんかないんだからいいんだってほっといてよねぇもうこんな僕に構わなくていいからっ!!」
両手は頭を覆い、口からは止めど無く金切り声が漏れ出してゆく。
忘れられた方が楽なはずなんだ。僕も、希夜も。それなのに、忘れられない。
希夜は僅かに手を引っ込めたが、一歩こちらに近づいてきた。思わず身を縮こまらせ、希夜から離れようとする。
「ひっ……!」
「な、なんでそんな馬鹿なこと言っているんですか!」
「……えっ」
過去の記憶の底。沈んでいた僕を勢いよく引き上げたのは、少女から飛び出た一言だった。
視界は元の車内へと戻り、僅かに涙を浮かべた目でこちらを見つめる少女が眼の前にいた。
頭を打った衝撃で、幻覚を見ていたのか。もし他に人がいたら、大騒ぎになってたはず。なんてことをしてしまったんだろう……。
「その……、すいませんで……」
「だから、なんでそんなに自分を卑下するんですか!」
「した……?」
少女の一喝が、僕の見当違いな謝罪に割り込んできた。
少女の表情はどこか苦しそうで、僕のしたことが、彼女にとってどれだけ最低なことをしてしまったのかを認識させられる。
本当に最低だ。ファンを裏切るような行為。僕には無縁な行為だと思っていた。僕は責めるべき相手を責められない。今出来ることは1つだけ……。
「自尊ばかりしていたら、傲慢だとか思われて嫌われるかもしれない。そもそも、自分にそれほど才能も実力もあるとは思えない。自分に、自信が持てない」
再び座席に座りながら、理由を吐露した。少しを距離をとって隣に座った少女は、それから一呼吸置いて、口を開いた。
「……それを言ったら、ワタシもそうです。ワタシのアカウント、フォローくれたんですよね」
「ええ。絵、上手ですよね。かなり僕好みのタッチで……」
「ワタシは、そんなことないと思います」
「いいや、本当です……って」
気付いた。少女は自分と、全くとまではいかないが同じことをしている。
隣の芝生は青いとは、よく言ったものだ。それは相対的に、自分の芝生は枯れ色に見えるということ。他人のものは輝いて、自分のものは見窄らしく見える。
「簡単に自分に自信を持てる訳ない。ワタシだってそう思います」
「じゃあ、一体どうすればいいんですか」
「自分は凄いんだって思うんです。どんなに才能がなくても、実力がなくても、諦めずに自分がしたいことをしている自分を。そっちのほうが、人生は楽しくなると思うので!」
燦めいて見えた。少女の言葉が。少女の笑顔が。少女の全てが。
そんな彼女も、僕と同じ悩みを持つんだ。遠くに見えた少女の姿が、とても近くに感じられる。
「……確かにそうですね。僕も、そう思うようにしてみます」
「ありがとうございます。今日、初めて会ったばっかりなのに、我が儘を色々聞いてもらって……」
「別に良いですよ。全部、僕のことを思ってくれたんですよね?」
「確かにそうですが……」
少女は申し訳無さそうな様子だった。 「気にしなくて良いですよ」と言っても、状況は変わらないだろう。
……この人になら、話してもいいかな。
「なら、僕の話を少し聞いてくれませんか?」
「……もちろんです。ワタシの我が儘を聞いてくれたので」
何処となく、少女の表情が明るくなった気がする。この調子で、機嫌を損ねないように……。
「その、僕が女性に対して苦手意識を持っているのはご存知なんてすよね?」
「はい。……でも、何か違うような気がします。苦手意識があるというよりは、怖がっているような……」
「……はい。正確に言うと、僕は女性恐怖症なんです」
疑問を肯定すると、少女は納得しつつも、信じられなさそうな表情をした。
しょうがない。耳にしたことはあっても、実際に接することになるなんて、思いもしないだろう。いや、気づいていないだけで、何度も接してきたのかもしれない。
他人に
それでも僕は、少女にそれを打ち明けたかった。それほどまでに、少女を信頼してしまったのだ。
「女性に触れたり近づいたりすると、体が震える。息苦しくなる。息が荒くなる。吐き気がする。そして、先程のように反射的に離れようとしてしまうんです」
「……日常生活が辛かったりしないんですか? 例えば、学校とか」
「大丈夫です。行ってないので」
あっさりと返すと、少女の口から驚きが僅かに漏れた。本当は、もっと驚いているのだろう。それでも少女は、静かに僕の話を聞いていた。
「中学生の頃、同級生の女子達から虐められてたんです。そんな日々が続いているうちに、気がついたら女性に対して恐怖心を抱くようになっていて……」
そこには車輪と線路が擦れる音しか無かった。
もう止めよう。これ以上辛い話を聞かせるわけにはいかない。
「……出会ったばかりの人に、話すような内容じゃありませんよね。わざわざ話を聞いてくれるなんて……」
「……しが、……てみせます」
「……どうしましたか?」
少女の口が、再び開かれた。やはり、耐え難かったのだろうか。少女を案じて、少し声をかける。
「ワタシが、治してみせます。あなたの、女性恐怖症を!!」
「……い、良いですって。お互い本名も何も知らないような仲ですし、そんなことしなくても……」
「
口を開いたと思えば、僕の女性恐怖症を治すだって?
困惑する僕を余所に、少女はリュックサックから身分証明書と思われるものを取り出した。そこには、確かに『宮川翌楽』と表記されていた。写真に映る人物も少女と瓜二つ。嘘は吐いていないのだろう。まじまじとそれを見ていると、僕はあることに気がついた。
「……地元同じだ」
「え。あ、あなたも習志野に住んでるんですか!?」
「あ……。まぁ、はい」
思わず言ってしまった……。こういうのは、かなり親しい人にだけ知られるべきなのにもかかわらず。少女の前だと、すらすらと言葉が出てしまう。
もしかして……。いや、もう二度とあんな思いはしたくない。これは忘れよう。
「なんか、運命的ですね……。こんなに近くに居たのに、遠くで会えるなんて」
「東京と千葉なので、そこまで遠くはないですけどね。まぁ、あまり遠出をしたことがない身としては、確かに遠くは感じますが」
「まるで、ラブコメのヒロインと主人公みたいですね。ワタシ達って」
「そう……、ですね」
僕が主人公……か。もしかしたらヒロインの方かもしれないが、それでもメインキャラであることには変わりない。僕は、サブキャラですらなれるかどうか怪しい存在だ。主人公だなんて、夢のまた夢。しかも、ラブコメのだ。僕なんかが、少女に似合うとは思えない。
……ただの冗談なのに、考えすぎだな。列車は、目的の駅に着いた。降りようと立ち上がると、少女が何かを思い出したのか。僕に声をかけた。
「あ。連絡先教えてください!」
「何でですか……?」
「そうしなきゃ、会いづらいじゃないですか。女性恐怖症治さないといけないのに……」
「了承してませんけどそれ!?」
「……駄目ですか?」
少女は上目遣いをしてきた。止めてほしい。そういう経験が無かったから、余計に効く。もう了承するしか無いよ……。
「……良いですよ。連絡先も教えます。その前に早く降りないと、ドア閉まりますよ」
「そうだった。早く降りなきゃ!」
ドアが閉まる寸前、少女はホームに足を着けた。去ってゆく列車を眺めた後、改札を通り、近くのペデストリアンデッキにて連絡先を少女と交換した。
「……これで良いですかね?」
「はい。これで……って、名前聞いてないです!」
「そういえばそうでしたね。……椎名燦葉って言います。それに同い年ですし、敬語は外しませんか?」
「えっと……。こんな感じでいいかな、燦葉くん?」
少女は顔を赤らめつつ、視線を少し揺らしながら僕の名を呼んだ。
何か、付き合い始めたばかりのカップルのような初々しさを感じるな……。
名前呼びされたんだ。こっちも名前呼びで返そう。
「そんな感じで良いよ。翌楽」
「……なんか、付き合い始めたばかりのカップルみたい」
「それ僕も思った。翌楽の動きもあって余計に」
「わ、ワタシそんなに変な動きしてた?」
「してたよ。そんなことしていると、勘違いする人が大量発生するから」
「き、気をつけるね」
翌楽は申し訳無さそうな表情をした。表情というか、感情が豊かな人なんだな。翌楽と居れば、それなりにインスピレーションが湧いてきそうだな。つまり、ウィンウィンの関係ってことなのかな。翌楽は推しに直接会えるし、僕はアイデアも話し相手も得られて、上手く行けば女性恐怖症が治るかもしれない。
……僕の比重デカすぎるな。でも、女性恐怖症を治すのは、翌楽の希望だからそうでもないのか?
「じゃあ、さよならかな?」
「いや。1人で夜道は危ないから、途中までついていくよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、そこまで気を使わなくても大丈夫だから」
「いやでも……」
待てよ。今日会ったばかりの人にこんな事言うのはキモいような気がしてきた。いや、今更すぎるかも。もう考えるのは諦めよう。
「……気をつけてね」
「うん。じゃあ、またね」
「また、近いうちに」
別れを告げ、手を振り合いながら、お互いの帰るべき場所へ視線を向けた。
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