第1話 僕の事が好きな君と、初めて出会うオープニング

「……全然人来ない」


 今日は大晦日。僕は東京にある展示場にいる。

 ネット上の知り合いと共に出した同人誌を売るためにだ。

 他の人達は用があったりとかで、今この場所には僕しかいない。

 喉仏を弄りながら右腕に目をやると、そこには15時半を示す腕時計があった。


「あと30分で終わりか……」


 この催しの、かなり終盤に差し掛かっているが、さっき言ったように全く人が来ない。


「別にいいや。あんま人喋りたくないし」


 それじゃあ、なんで来たんだよって話になるだろう。

 ……こういうふうに、誰かとアンソロジーを書く機会はあまり無いだろうから、折角だし経験しておこうと思っただけ。

 ここに来れただけでも、いい経験が出来た。

 一度深呼吸をし、手前の机に置かれた1冊の本に、視線を移す。


「……余ったら、どうなるんだろ」


 流石に捨てられるとかはないだろうけど、誰かに買ってもらえないとなると、少し可哀想な気がする。

 そんな事を考えていると、自分と同い年ぐらいの少女がやって来た。


「あの……。これ、くれませんか?」


 少女は、さっきの1冊の本を指差した。


「あ、はい。550円です」

「えっと……。あれ? 財布、どこに入れたっけ?」


 少女は、背負っていたリュックサックを漁り出した。少女も自分と同じで、ここに来るのは初めてなんだろうな。


「あった! 550円ですよね」

「はい。えーっと、550円丁度ですね。どうぞ」


 少女からお金を受け取り、本を手渡す。

 その時。少女の手が、僕の手に触れた。柔らかく、ほんのり温かくて、心地よかった。だけど、それ以上に、恐怖が勝った。


「っ、ひぇぐっ!」

「うえっ!?」


 僕は思わず手を勢いよく引っ込めてしまった。

 少女は困った様子で、僕の事を心配そうに見つめる。


「だ、 大丈夫ですか!?」

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 失礼なことをした。いくら自分が女性恐怖症だからといって、こんな事が許されるはずがない。


「あ、あの……」

「ひぃぐっ!」


 きっと何か文句を言われるに違いない。そう感じて、思わず体を丸めた。

 だが、その考えはあまりにも的はずれだった。


「も、もも、もしかして、『燦星きらぼしフタバ』さんですか!?」

「はひ……?」


 彼女が発した『燦星フタバ』とは、僕のネット上の活動名である。


「……どうして、そう思ったのですか?」

「女の人が苦手なんですよね? 昔、SNSでそう呟いてましたよね」


 確かに、昔にそんなことを投稿した覚えがある。けど、昔とは言っても、かなり最初期のものだし、その投稿は既に削除したはず。

 だとしたら、少女は恐らく、俗に言う古参なのだろう。


「……はい。僕が『燦星フタバ』です」

「やっぱり……。ワタシ、あなたのファンなんです!」


 少女は目を光らせ、身を乗り出した。

 それにしても、僕のファン……か。


「そんな物好きもいるんだ……」

「も、物好きじゃありません」

「いいや物好きです。僕が主に書いているジャンルは?」

「百合破壊!」

「物好きですよそれは」


 女性で百合破壊好きな人っているんだ。多様性の時代とはいえ。

 ……どうしてそんなにキラキラした目で、百合破壊なんて物騒なコト言えるの?


「確かに、百合破壊が好きとなると、これは物好きかもしれません」

「かもじゃないと思います」

「でもワタシは、百合破壊が好きという訳ではありません。むしろ嫌いよりです」

「じゃあなんで……?」


 意味がわからない……。

 もしや、からかいのつもりなのか? だとしたら、わざわざここまで来て、同人誌買ってまでするだなんて、相当イヤなやつだぞ……。


「ワタシは、普通にラブコメが好きなんですよ。あなたの書くラブコメは、何か堂々としてます。あなたの書きたいものを、恥ずかしがらずに書いている。そんな気がするんです」

「そんな曖昧な……」


 まぁ、何かを好きになったとき、その理由が曖昧だなんてよくあることだ。

 ……その分、好きが崩れやすく、嫌いになりやすいけど。


「そもそも、百合破壊なんていう、何人もの人の地雷を踏みかねないようなジャンルを書いている時点で凄いですよ!」


 目を輝かせながら、少女はそう語った。


「……要は厚顔無恥と?」

「いや、なんでそんなふうにマイナスに取るんですか!?」

「小説書いてると、表現の方法とか気にするから、そういうの敏感になっちゃうんですよ」

「……本当ですか?」

「多分違います」

「ええ……」


 当惑した少女は、呆然と口を開けたまま静止してしまった。

 まぁ、僕が他人からの評価に対してネガティブなだけなんだけど。


「ファン……ねぇ」

「……? どうかしたんですか?」


 顎に手を当て、少し考え込んでいると、少女は不思議そうに、こちらを見つめてきた。


「いえ。つい考えごとをしてしまいました。すみませんね」


 少し笑って、誤魔化そうとする。それでも、少女の表情は変わらない。むしろ、少し怪しむような顔になった。


「何か、悩み事でもあるんですか?」

「いえ、何でもありませんので、お気になさらず」

「え、遠慮しなくて良いです。悩み事を抱え込むのは悪いことなので。それに……」

「それに……?」

「あなたの力に、なりたいんです。ほんの少しだけでもいいです。だって私は、あなたのファンなんですから!」


 ……ここまで言われたら、少女の想いに応ないなんて、出来る訳が無いや。

 僕は一度深呼吸をして、口を開いた。


「……その、『ファン』って言葉に、あんまり良い印象を持ってなくて……」

「あ……。ふ、不快な思いをさせてしまってたら、すすすすいません!」


 少女は焦りながら、僕に頭を下げた。


「顔を上げてください。そんなことありませんので……」

「で、ですけど……」

「……怖いんです」

「怖いって……、何が?」

「別に、作品にイイネやコメントをしてくれたり、他の人達にオススメしてくれたりされるのは嬉しいのですが……。いつか、離れられてしまうのだと考えると……」


 少女は息を飲み、静かに且つしっかりとこちらを見ている。


「まぁ、しょうがないことだとは思ってます。諸行無常と言いますし。……ですが、もし、その元ファンがアンチになって、心無い言葉をぶつけられるのが……。いえ、信じていたものに、裏切られるのが、怖いんです」


 あの日の出来事が、脳裏から離れない。彼女に悪意はなかったはずだ。それでも僕はあの日、彼女に裏切られたと思ってしまったのだ。あの時の傷は、未だに癒えることはない。全部、僕のせいなのに。

 思わず俯いていると、眼の前に1枚のハンカチが差し出された。


「……ふえ?」


 顔を上げれば、そのハンカチの持ち主はすぐに判った。


「涙、出てますよ。これで拭いてください」

「……え?」


 咄嗟に頬を触ると、少しの熱をもった水滴が、指先についた。

 一方の少女は何かに気づいたのか、慌ててハンカチをしまいはじめた。


「あ……。ごめんなさい! 使用済みのハンカチを使わせるなんて、どうかしていますよね……」

「……違います」


 その言葉に、少女は動きを止め、こちらに視線を向けた。


「そのっ……。わざわざ僕なんかに、そんな気を使ってもらって……。僕はついさっき会ったばっかりの見ず知らずの人間ですよ。なのになんで……、なんでこんなに僕に構ってくれるんですか!?」


 幾つもの感情が混ざりあったわだかまりを、強く吐き出した。

 嬉しいのに息が苦しい。どうして素直に喜べない。人の好意を無碍に扱うのか。

 ……自分の気持ちに正直になって、傷つくのが怖い。あの日、本音を吐いた末路があれだ。どうせ誰も得しない幸せにならないのなら、こんな感情が朽ち果てるまで、痛みを我慢するだけだ。

 せめてこんな無様な顔を見せないように、俯いたまま、顔を上げなかった。


「何を言っているんですか。顔を上げてください」


 少女はそう言って、両手で僕の顔を前に向かせた。


「……決まっているじゃないですか」


 少女は僕に微笑みを向け、両手を取った。


「だって私は、あなたのファンなんですから!」


 少女の笑みは目が暗むほどに眩しく見えたが、どうしても視線を動かすことは出来なかった。

 掴まれた手は不思議と震えず、少女の手を振り離そうともしなかった。寧ろ、どこか心が落ち着いてしまっていた。

 思わず止まってしまっていると、僕が女性が苦手であることを思い出したのか、少女は手を引っ込めてしまった。


「……あっ」

「す、すすすっ、すいませんでした!! そ、そもそも、初対面の人にっ、こ、こんなスキンシップすること自体間違ってますよねっ! し、失礼しました!」


 そう言うと、少女は勢いよく頭を下げ、直ぐ様その場から立ち去ろうとした。


「ちょ……、ちょっと待ってください!」


 咄嗟に出た僕の言葉に少女は足を止め、こちらを振り向いた。

 何かを言おうと、口を精一杯動かすも、空気はぴくりとも動かない。

 一体どうしよう。なんて言えばいいのか。何を言うべきなのか。そもそもどうして少女を呼び止めたのか。何もわからなかった。

 少女はただ静かに、こちらを見守っている。

 言葉を誤れば、きっと後悔する。根拠のない確信が、喉を塞ぐ。

 あたふたしていると、少女はゆっくりとこちらに近づいてきた。


「……焦らなくていいです。ワタシは、あなたから離れたりなんかしません。例え、何があったとしても。……約束です!」


 少女はそう告げながら、僕の左手を握りしめるような仕草をした。

 触れられなくても、自分が側にいることを伝えたい。そういうことなのだろうか。これが僕の勘違いだとしても、少女が僕のことを想ってくれていることに、違いないのだろう。


「……ならもう1つ、約束をしませんか?」

「……良いですよ」


 大きく深呼吸をし、少女の揺るぐことの無い瞳をしっかりと見つめ、心の底にあった物ほんねを少女にぶつけた。


「また……、また会いましょう! 絶対に……、絶対にです!」


 そう言い切ると、呆気に取られたのか。少女は目を開き、固まってしまった。


「だ、大丈夫ですか?」

「……ワタシもです」

「え……、えっと?」

「ワタシも、また会いたいです!」


 僅かに吐き出された少女の声は、段々と強くなっていった。……何かが壊された音がした。


「……なら、良かったです」

「それじゃあ、約束の指切り拳万でもしましょう! ……って、嫌ですよね。ごめんなさい……」

「いえ。僕が少し我慢すればいいだけの話なので……」


 手を差し出そうとすると、少女は不満げに頬を膨らませた。

 も、もしや……。ここに来て、何かとんでもなくやらかしちゃった……!?

 心の中でダラダラと冷や汗を搔いている一方で、少女は何かを思いついたように、手をポンッと合わせた。


「『猫目ねこめてる』です!」

「……は?」

「私の活動名です!」

「え、ちょっと待って……」


 急に何を言い出したかと思えば、僕の言葉に耳を傾けることなく、何処かへ走り去ってしまった。

 静寂と困惑が、僕を包み込む。


「『猫目てる』……」


 その言葉が一瞬だけ、僕の世界を揺らした。

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