第1話
鳳虎と鳳龍。俺が生まれるずっと前から続いていた二国間の戦争は、どちらが勝つのでもなく泥沼のまま、両国の大勢の命を生贄に平行線を辿ってきた。どちらの国も敵国を支配しようなどとは考えておらず、惰性で戦争を続けているのだと、むかし酒に酔った師匠が得意げに自論を展開していた。戦争に勝ったところで、敵国の領土を管理できるほどの兵力はない。
敗れた途端に敵国の兵士が心を入れ替え、平和のために武器を捨て尽くしてくれるなら兵力の心配は解消されるが、そんな楽観的な考えで戦っていたら敗れるのはその国だろう。鳳虎も鳳龍も愚かではないから、愚かにも終わりのない戦争を続け、引き際がわからなくなっている。これは師匠の自論ではなく、世界にいる大半の人が口には出さずとも心で思っていることらしい。当時、その話を聞いた俺は知らなかったが。
しかしどうやら、俺の知らないうちに状況は変わったようだ。俺にとっては自分の家が恩師の手によって燃やされ、路頭に迷ったかと思えば一国の主が直接雇いに現れた事実に勝ることではないが、世間からすればこれ以上ない事件だろう。件の二国間の戦争が、終わろうとしているのだから。
「嘘みたいな話ばっかりだ。でもまあ、色んな要素に目を瞑って確認は一つに絞ろう。戦争が終わろうとしてるのに、鳳虎様は素直に負けを認められないんだな?」
「反応しないでね、蓮明」
答えるより先に従者の蓮明をけん制するあたり、血の気の多い彼女の扱いに長けている。いよいよ殺気まで混ぜた眼光を向けられた。多少は挑発している自覚があるので、主を愚弄された従者の行動としては当然だろう。
「沫風も、わざと怒らせるような言い方はやめてくれないかな?」
「煽ってるんじゃなく、心から疑問に思うことを素直に訊いただけだ。誤解させたなら悪かった」
「謝罪も素直だね、私の好感度は確実にあがったよ?」
「そりゃあ嬉しいな。バンザイバンザイだ。それで、負けを認められないのか?」
「勝敗は敗者が負けを認めて確定するものだからね。私はまだ認めてないから、負けたって決めつけるのは早いよ」
「たった一人だけの付き添いで山奥に来て、素性の知れない俺みたいな田舎者に頼らざるを得ないのにか? 師匠の世迷言を全面的に信じてるわけでもないんだろ?」
「別の道を探したらって言いたいんだね。たしかに、鳳龍がもう少しマトモな国だったら負けを認めて、戦争のない平和な世界を目指していくために協力するものアリだと思うよ。対立に拘っていた先代の鳳虎は討ち取られたし、降伏する権限は私にある。降伏したら流石に私の命は捧げる必要があるだろうけどさ、それで鳳虎の兵士や民が幸せになるなら、喜んで死を受け入れたいものだよ」
「なるほど。支配を受け入れられないから、抵抗せざるをえないんだな。よく知らなくて悪いけど、鳳龍のやり方には結構な問題があるわけか」
俺は世間知らずだから、鳳虎や鳳龍がどういう国で、どういう考え方で戦争しているのかを知らない。自分がどちらの領土の山で生活してきたのかさえ、気にしたことがない。こうして鳳虎の頭領が現れた以上、俺は鳳虎の土地で暮らす鳳虎の民だったのだろう。
「鳳龍は、選民思想っていうのかな。自分の国の出身であれば身分に関わらず大切にするけど、敵国には民であれど容赦しない。極度に慎重なのか憶病なのか、歯向かわれないよう鳳虎の人間を一人残らず皆殺しにすれば、完全な平和が訪れると信じてるみたい。私たちのいた玲天は、鳳龍の方針を体現したかのような死屍累々の地獄に変わり果てたよ。地獄ですら、もう少しマシかもね」
「そんな状況下でよく逃げられたな」
「それは恥ずかしくないのか、って意味かな」
「深読みしすぎだ。嫌味を言うほど俺の性格は捻じ曲がってないって。単純に、どうやって逃げたのかって話」
「そこで、君の師匠が登場するんだよ。“神域”と呼ばれ鳳虎と鳳龍の両国から恐れられる天師・秋風が、私と蓮明に脱出経路を用意してくれなかったら、間違いなく君とこうして話せる未来はなかっただろうね」
久しぶりに“神域”の異名を耳にした。その名前は、本人の口からしか聞いたことがないが。
「“神域”って、アレ本当だったのか……。本人が自らを喧伝するために自作して吹聴している虚言だと聞き流してた」
「誰が言い出したかは知らないから、自らが発端の可能性は否定できないけどね。そっか、秋風は君には詳しく教えてなかったんだ。自分が何者なのか」
「非常識な能力の持ち主だっていうのは知ってるぞ。天師としてな」
「秋風の弟子なら、君も天師なのかな?」
「まぁ、彼女を師匠と呼ぶ身だからな」
自然とは不思議で、偶然が重なって我々全人類の先祖が誕生したわけだが、そこから嘘のような偶然、あるいは必然が重なり続けて生き物は気の遠くなるような時間をかけて進化してきた。知恵を得て四足歩行から二足歩行になり、言葉でコミュニケーションを取れるようになったはずなのに、現代は未だに武力で支配権を争っている。
人類が得た能力の一つに、天法と呼ばれる力がある。生命すら誕生させた自然界のエネルギーを自在に操る異能、それを最初に発現したのが“神域”と呼ばれているらしい人物、つまりは俺の師匠の秋風である。当時平凡に暮らしていた秋風は突然与えられた異能力に驚き、権力者たちは常軌を逸した力を手に入れようと躍起になったらしい。結局、異能に発現する者が次々と現れたから、すぐに追われなくなったそうだ。
天法を扱う者は天師と呼ばれ、能力を持たない兵士から恐れられたのは当然だろう。物理ではなく説明不可能な自然の力で蹂躙される光景を前に、戦意喪失する兵士が跡を絶たなかった。鳳虎と鳳龍の膠着状態に業を煮やした神の気まぐれか、天師に目覚めるのは圧倒的に鳳龍側の人が多かった。しかし、それでも膠着状態は解消されなかった。
「たった一人で鳳龍の侵攻を止めた“神域”の弟子なら、期待してもいいでしょ?」
「期待っていうか、本人から聞かされた嘘みたいな武勇伝が真実とは考えなかったし、弟子だから期待できるかって言われても本人はなんとも答えられないって。俺は大勢を相手どころか実戦の経験がないし、ここに住んでた他の弟子や師匠は相手にしてたけど命の奪い合いとは違った。あまり期待しないほうがいいぞ」
「君の師匠はまったく逆のことを言ってたのに?」
「師匠と話したならわかるだろ? 師匠はそういう性格してるから」
「じゃあ期待しないことにする――って話にしても、私と一緒に来てくれる?」
まだ返事をしたわけでもないのに、鳳虎は自信をもって断言する。
「断る理由はないな。衣食住は用意してもらえるのか?」
「もちろん。だけど立派じゃないよ?」
「大丈夫、こっちは山小屋で生活してたんだし、住む場所にこだわりはない。着るものだって、洗えば毎日着れる。別に全裸でも構わないしな。食べ物は二人が元気そうだから心配してない」
「全裸は絶対にダメだからね? 私たちみたいに女性もいるんだから」
「いくら野生でも、それくらい承知してる。俺以外の弟子は全員女性だったし。そのあたりは散々言われてきた。一人になってからは好きにしてたが」
「また一人じゃなくなるんだから、注意してねというわけで、これで契約成立」
俺はこれから、全滅寸前の鳳虎軍の兵士として長年の戦争の勝利者になろうとしつつある鳳龍と戦う。どれほどの兵力が残されているのか知らないが、秋風の寝言を信じてしまうあたり、風前の灯なのは間違いない。
俺に、どこまでやれるだろうか。一方的とはいえ師匠に託された以上は成果を出すしかない。そのためには、まず敵の戦力調査が先決か。
不意に、蓮明が剣を抜いて鳳虎の背後に背中合わせで立った。同時に目に映った飛来する物体を一振りで切り落とす。
飛んできたのは砂だ。砂を短い槍の形に固めた物体。天法の力だろう。
「お見事。よく気づいたな」
「アンタも天師なら、なんとかしろ」
「話が一段落するのを待っていたのかもな。気が結んでしまったのは事実、与えられた仕事はきっちりこなそう」
木陰に潜んでいた敵が堂々と歩いてくる。一人だ。数的に不利にも関わらず向かってくるあたり、よほど実力に自信があるようだ。天師という特別な存在だから、こんな数名相手に負けるはずがない、とでも思っているのだろう。残念ながら、こちらにも同種の能力者がいる。
鉢金を付け、目の周り意外を覆う明らかな暗殺者。
こいつが、俺の初めての敵か。
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