亡国の姫君と一文無し

のーが

プロローグ

 登山道から外れた山奥の地で、ぽつんと建っている家が轟々と燃えている。俺が今朝まで住んでいた家だ。肌を焼く熱さに飛び起きて避難したあとは、まるで他人事のように周囲一帯を巻き込む山火事に発展するんじゃないかと心配した。

 冷静に状況を観察して、燃え移る範囲に木々はないと気づく。やはり妙に落ち着いた心で腕を組む。焚き火を眺めると気持ちが鎮まるなんて話もあるが、眼前の巨大な炎が同様の効果をもたらしてくれるとは考えにくい。


「なるほど、この手があったか」


 なぜ自分の家が燃えているのか。疑問に対して向き合えば原因は一つに絞られる。

 もちろん放火されたのだ。俺が寝ている隙を狙い、夜中の間に火を放たれた。金目の物なんて一切なく、俺自身、誰かに恨まれるほど人との関わりもない。にも関わらず犯行に及ばれたとなれば、愉快犯である点を除くと家を燃やす結果に意味を感じる人物は絞られる。その奇特な人物に、残念なことに心当たりがあった。


 まだ太陽は頭上の頂点に達していない。爽やかな1日の始まりを予感したい時間帯に、急すぎる平穏な生活の終わりを味わっていた。

 徐々に勢いを増す炎の内側で屋根が焼け落ち、カラカラと音を立てて瓦が地面へとこぼれる。連鎖するように次々と柱が折れ、まさしく半壊した状態で崩壊は一旦止まるが、炎は折れた木材を燃料にさらに大きく広がる。跡形もなく全焼するまでに大した時間はかからないだろう。立ち上る灰色の煙に、在りし日の幸せな思い出を映す。


「なにも浮かばない……まぁ、そんなもんか」


 平穏で平凡ではあったが、それを幸せと呼べるほどの人生経験もない。自分の家が燃えている現状すら不幸と思えない自分が、ハッキリと幸福を明言できるはずもない。


「あー、金を持ち出すのを忘れた……火事になったら財産を捨ててでも逃げろと言うけど、立派な選択をしたところでなぁ……」


 立派なだけで飯が食えるなら、今後も俺は食に困らないだろう。残念ながらそう都合よく出来ていない世の中を渡っていくには、金銭を稼ぐ手段を確保しなければならない。身体が健康なら、畑を耕すなり、兵士として戦うなり、仕事はいくらでもある。

 世間では十六歳で働く人が多いのに、十八歳の俺は一度も労働を経験していない。もちろん働けないわけではない。働く必要がないほど、俺は金を持っていた。金があるなら働く理由もない。そうした労働を免除された環境にあるのに、十六歳の誕生日以来、俺の師匠はたまに帰ってくる度に「もう良い歳なんだから働け」と口癖のように繰り返していた。いくら恩のある師匠の頼みでも、無意味な労働に身を投じる気にはなれない。つい三日前にふら〜っと帰ってきた時にも、今までと同じように首を横に振った。


 状況は変わった。この世に生まれ落ちてから一度たりとも働いたことのない堕落した人間を奮い立たせるには、三つの無し――一文無し、帰る家無し、頼る人無し――の背水環境に落とすのは効果的だろう。 実際に落とされた俺は、少なくともそう思う。

 せめて頼る人だけでもいれば良かったが、俺にとって唯一頼れる相手といえる師匠こそ、俺の家に火を放った犯人に間違いなかった。


「笑えない。本当に笑えないな」


 だからこそ、笑ってみるものだ。


「さあ働いて社会貢献するぞー! ウワァァハァァ――!」


 作り笑いでも多少は愉快になれるのだから、やってみるものである。

 しかし、いくら心境が変わったところで状況は改善しない。高笑いを森に反響させながら、脳裏は不安に満ちている。

 これからどうしようか。働く覚悟はできても、どういう手順を踏めば働けるのかを知らない。ひとまず普段食材を買っている麓の町で行って、どこかのご飯処で看板娘にしてくれるよう頼み込むか。男でも娘として雇ってもらえるだろうか。それより兵士になったほうが稼ぎやすそうだが、どこで何をしたらいいのか、より見当がつかない。

 自由とは甘美な響きだ。

 一方で、なんでもやれる、なんでもやらないといけない、というのは実に大変だ。

 途方に暮れていると、轟々と炎が燃え盛る音に混じり、人の足音が聞こえた。犯人が犯行現場に戻ってきたのか。だとしたら、犯人にどうやって働けばいいか助言を請うのも良い。振り返り、近づいてくる人物に目を留めた。


「……誰だ?」


 師匠ではなかった。庶民の服に身を包んでいるわりに、振りまく雰囲気が妙に高貴な感じのする若い女性が二人、歩み寄ってきた。


「まさか、お前たちが俺の家に火を?」

「アンタ、失礼だな。初対面の相手に『お前』はないだろ」

「『アンタ』がいいって話も聞いたことないぞ。長いこと山奥で暮らしていたものだから、その辺りの境界は曖昧だ」

「誰からも教わなかったにしても、感覚でわかるだろ。一人で住んでいたわけじゃないんだから」

「無茶言うな〜。そもそもなんで俺が一人で住んでないって知っているのやら。見ろよ、それなりに大きい家だろ? だからこんな大きな火事になってるんだし」

「アンタと一緒に住んでたって奴に、ここへ来いって頼まれたからな。煙が目印になるって言われたが、思ったより派手にやったな」


 高貴かと思ったら、やたらと野性味に満ちていた女がさらりと零す。


「お前たち、師匠に頼まれて来たの?」

「同じ台詞を言わせるな」

「そう睨むなって。正しい呼び方がわからないんだから改善のしようがない。正解が用意されてない答えに、ただ失敗と突き返されたってどうしようもないだろ? それと同じだ」

「見た目通りめんどくさい性格だ。なるべく関わりたくないから簡潔に答えるが、そのバカみたいにわかりきった確認に対しては、アンタが考えてる通りで合ってる」


 さりげなく貶された気もするが、問いに回答をくれたから目を瞑ってやろう。

 やたらと突っかかってくる女の後ろに隠れていた女が、壁からこちらを覗くようにひょいと顔を出した。肩に届かない高さで切り揃えられた気の強い女と比較して、倍ほどの長髪の一本一本が所作に合わせ踊るように揺れる。庶民の服を着ていても、まったく誤魔化せていない。


「君が、沫風くん?」

「『くん』はやめろよ。気味が悪い。寝るときに延々と脳裏で繰り返しそうだ」


 前に出た長髪の女を庇うように手で退けて、気の強い女がまた俺の前に立った。右手が腰帯に差した剣の柄に伸びる。


「度を超えたな。あろうことか我が主をキモいと貶すとは。仕方ない。その大罪、その小さな命ひとつで帳消しにしてやろう。背後の家で火葬してやるから、死んだ後のことは案ずるな」

「ありがたい配慮をどうも。本当に死ぬときにはぜひお願いしたいね、今じゃないけど」

「ちょっと下がって、蓮明。あんま時間ないんだよ?」


 今度こそ高貴と思われた女性は、見た目相応か、少し若いくらい無邪気な口調で相方を制する。命じられた蓮明と呼ばれた強そうな女は、文句もなく、不満げな顔も一切浮かべず、柄から手を離して命じた女の後ろに下がった。

 彼女たちが何者か、いまいち掴めない。俺の名前を知っているから師匠の頼みで、というのも本当だろう。それはそれとして、やっぱり放火は師匠の仕業だったか。相変わらずイカれている。


「蓮明が邪魔をしてごめんね。私は鳳虎。蓮明からも話したように、君の師匠の頼みで君に会いに来たの」

「鳳虎? 鳳虎っていうのは国の名前だろ? 田舎者だと思って適当言ってもらっちゃ困るな〜。山暮らしの俺でも、それくらいは知ってるって」

「その鳳虎で合ってるよ。ずっと昔から戦争の絶えない2つの国――鳳虎と鳳龍の、ひと月前に頭領を討ち取られた側の鳳虎でね」

「戦争って終わってたのか。じゃあ、お前は生き残り?」

「蓮明が突っ込みたくて仕方なさそうだから代わりに指摘するね。面倒に巻き込まれたくなかったら『お前』じゃなくて、鳳虎って呼んで? 私自身が鳳虎って名前なの。つまり、跡継ぎってわけ」


 冗談なのか……?

 冗談とは思えない。国を背負う人物と護衛と説明されれば、庶民の衣装に身を包みながら隠せない雰囲気にも納得がいく。


「いや〜、そんなことあるとは思えないんだけど? こんな山奥の、それも言葉の通りの火事場まできて、一国の主様が田舎者にどんな頼みごとを?」

「君の師匠から、君を私のもとで雇ってほしいって頼まれたの」


 今度こそ冗談か……? きっとそうだ。


「正直なところまだ信じきれてないけど、君の師匠はハッキリと断言してたよ」


 どこに行ったら雇ってもらえるのか、仕事をさせてくれるのかと頭を悩ませていた俺の前に、とんでもない大物が雇いたいと言ってきた。生まれて十八年で最大だった悩みは一時間と経たずに解消されたが、俺の知らないところで俺を巻き込み進む超展開に理解が追いつかない。流れに身を任せる俺にできるのは、鳳虎を名乗る女の話に耳を傾けることくらい。


「君を雇えば、私たちの益になる。君がいれば、鳳龍から国を取り戻せるだろうから――ってね」


 ああ、やっぱり冗談だ。

 冗談のように大変な人生の幕が開く音を聞いた。

 振り返ると、帰る場所は変わらず轟々と燃えていた。

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