第二十四話 「安らかな眠りのために」
青年は店主の目をまっすぐに見つめる。
「……わかってるのか」
「わかっています」
「わからねえな」
青年が言うと、店主は笑った。
「せめてもの罪滅ぼしですよ。私はイズミと出会った時にすべてを打ち明けるべきでした。そうしていればイズミは人を傷つけることもなく、鬼人の血に苦しむこともなく、命を断とうと思うこともなかったでしょう。けれど、私は何もできなかった。父と同じで、恐怖を感じたからです。もしイズミがすべてを知ったら、彼女は私を殺すかもしれない。私は彼女の母を裏切った憎き相手の血をひいているのだから。だから私は、何もできなかった」
ですが、と店主は続ける。
「もう逃げるわけにはいきません」
「もしあんたが本当に罪滅ぼしをしたいのなら、事実を話す相手は憲兵隊じゃないはずだ」
「わかっています。ですがこれ以上、イズミを苦しめたくはない。彼女との日々はとても楽しかった。彼女にとっても、そうであってほしい。そしてもしそうだとしたら、事実を知った彼女はさらに苦しみを背負うことになるでしょう。私の言い分が卑怯であることは承知しています。実際、私は卑怯者です。だから最後まで、卑怯者であり続けます。それでも、けじめはつけなければいけません」
「前に言ってたな。自分の子どもたちは遠い都にやって、ここには二度ともどって来るなと言ったって。こうなることを予想していたのか」
「私のわがままで家族に迷惑をかけるわけにはいきませんから」
「ここにもいるだろう。あんたの家族は」
「イズミは、私にとって家族です。しかし私には、彼女を家族としてむかえる資格がありません。それでも私はイズミを愛しています。だから、彼女に対して償わなければならない。事実を明らかにして、彼女の母親の尊厳をとりもどしたい。今更こんなことをしても意味はないと思われるでしょうが、そうせずにはいられないのです」
店主は青年に頭を下げる。
「イズミを連れて都を離れてください。そしてどうか、彼女が心安らげる場所へ、導いてやってください」
青年は目を閉じ、どうしたものかなと軽く頭を振った。
呼吸一つの間をおいて、青年は目を開き、店主に言う。
「約束する」
店主は顔を上げ、ありがとうございますと言い、店の外へ向かった。
店の戸を開いた時、店主はふと思い出したように足を止めた。
「最後にひとつ、教えてください。イズミの母の魂は、安らかに眠ったのでしょうか」
「さあな。ただ、未練や心残りがなくなれば、魂は彼の国で眠りにつくと聞く。まあこんな話は誰でも知ってることだろうけどさ」
「そうですね。なら早く、イズミの母の心残りを断たなくては」
「本当にイズミやその母親は、あんたを憎むと思うのか」
「私だったら、憎みますね。私はイズミも、その母も、両方を傷つけてしまったのだから」
店主は青年のほうへ振り向く。
「私も人の親ですから。気持ちはわかるつもりです」
青年は何も言わなかった。店主は青年に一礼し、店から出て行った。
遠ざかっていく足音に耳を済ませながら、青年は言った。
「このまま行かせていいのか。あのジイさん、本当に殺されちまうぞ」
最初から青年はイズミが起きていたことに気づいていた。
「……いやな人ですね。どうして眠ってる振りをしていたってわかったんですか。それも精霊の力ですか?」
「そんなもん使わなくても、お前さんが眠ってないことくらいわかるさ」
青年は立ち上がり、イズミのそばへ行く。
イズミは泣いていた。懸命に息を殺し体の震えをこらえていたが、涙は静かに流れていた。
「お前さんは、あのジイさんをゆるせるのか」
わかりません、とイズミはかすれた声で言う。
「あの人は、何も悪くない。もし私が同じ立場だったら、きっと同じことをすると思うから」
でも、とイズミは声を震わせる。
「それでも、こんなことになる前に、本当のことを話してほしかった……」
それは自分も同じだと、イズミにはわかっていた。
もし自分が鬼人であることを明かしていたら、こうなることを防げたかもしれない。
しかし彼女にはできなかった。
やっと見つけた自分の居場所を、失いたくなかったからだ。
「だったら、ちゃんとそれを伝えるんだ」
イズミは体を起こし、涙に濡れた目を青年に向ける。
「このまま終わったら、お前さんはこれからずっと今日この時のことを後悔し続ける。これから毎晩、このことを夢に見てうなされて、安らかな眠りを永遠に失ってしまう」
青年はイズミの肩に触れる。
「あのジイさんにとって、お前さんは家族なんだ。じゃあ、お前さんにとってはどうなんだ」
その問いの答えは、すでにイズミの心にある。彼女はそれと向きあわなければならない。
イズミは立ち上がり、店の外へ駆け出した。
青年は大きくあくびをして、座敷に横になった。
イズミの足音が聞こえなくなったところで彼は起き上がり、美奈木大橋へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます