第二十三話 「叢雲の夜」

 文を読み終えると、青年はそれを丁寧にたたんで木箱におさめた。

 店主は木箱に封を施しながら語り始める。


「父が生きている間は、その夜を最後に鬼人は都に姿を見せませんでした。慌ただしい月日の流れはこの出来事を時の彼方へ運び去り、いつしか人々の記憶からも消えていきました。あとに残ったのは怪談じみたうわさだけでした」


 封を終え、店主は窓の外に目を向ける。


「私が物心ついた頃から、父は夜の美奈木大橋によく足を運んでいました。なぜそんなことをしているのかとたずねても、父は何も答えませんでした。きっと母も本当の理由は知らなかったのだと思います。ですが、この文を読んで、なんとなく理由がわかったような気がしたのです。ですから私は、父のかわりに美奈木大橋へ足を運ぶようになりました」


「そして、イズミと出会ったのか」


 店主はうなずく。


「鬼人の寿命は人間のそれよりずっと長い。それは私も知っています。だから、もしかしたら腹違いの兄か姉に会えるかもしれない。そんなことも思っておりました。もっとも、会えたところで何をするというわけでもありませんし、何かしようとも思っておりませんでした」


「ところが実際に会ってみると、何かせずにはいられなくなったわけだ」


「そうです。鬼人の姿になり、一人泣いているイズミを見た時、私は罪悪感に打ちのめされました。でも、その時は動くことができなかった。その時の私は、同時に恐怖も感じていたのです。もし彼女に自分の素性がばれてしまったら、彼女はきっと私を殺すだろうと思いました。かといってそこから立ち去ることもできない。どうすればいいのかわからなくなった時、満月が雲に隠れ、イズミは人間の姿になりました。これは運命だと思い、私はすぐイズミに声をかけました。そこから先は、貴方もご存知の通りです」


 青年は腕を組み、深くため息をついた。


「俺にイズミのことを頼んだのは、天士ならイズミが暴走しても止めてくれるだろうって考えたからか」


「イズミを救えるのは、貴方しかいないと思ったからです。イズミが死を求めていることはうすうすと感じていました。このところ鬼人の姿に変化する周期が短くなっていましたし、彼女がそのことで苦しんでいることも知っていましたから」


「……まあ、俺もイズミにはひとつ借りがあるからな。あいつを守ると約束もしたし」


「貴方には本当に感謝しています」


「それともう一人、あんたが感謝しなくちゃいけない相手がいるんだけどな」


 わかっています、と店主はうなずく。


「それが天士の力なのでしょうか。それとも貴方が天士の中でも特別な力をもっているのでしょうか。どちらなのかはわかりません。ですが、美奈木大橋に眠るイズミの母の魂を呼び覚ますとは、なんとも人知を超えた力ですな」


「いや。正確には目覚めるきっかけをつくっただけだ。俺がイズミの正体を確信して、一戦交えるかと構えようとした時、あいつの母親の魂は恐ろしい殺気を俺に向けてきた。イズミを説得するのになんとか利用できねえかなと考えていたが、逆に俺が利用されちまったよ。狙っていたかどうかはともかくとしてな」


「彼女を救いたいという思いは、たしかにあったのでしょう。たとえ魂だけであっても我が子を守るために力を尽くしたい。そう思うのが親というものですから」


「あんたが言うと、説得力あるよな。それで、あんたはこれからどうやってイズミを守っていくつもりなんだ」


「……少し、お待ちください」


 店主は木箱を持って奥の部屋へ向かう。


 イズミはまだ横になっていた。

 青年はイズミに声をかけるべきかどうか考えたが、答えを出す前に店主がもどってきた。

 店主は上質の布の包みを持っていて、それを青年の前に置き、丁寧に包みをほどいた。

 包まれていたのは、金貨の束だった。


「店をたたんだ後の生活のためにと蓄えていたものです。このうちの半分を貴方への謝礼としてお支払いします。残りの半分は、イズミに渡してやってください」


「俺はいっこうにかまわないが、そうするとあんたの取り分がなくなるぞ」


「私にはもう、必要ありませんので」


 青年は店主の目をじっと見る。

 店主は落ち着いた表情を浮かべ、青年に言った。


「私はこれから憲兵隊へ出頭し、私が知る事実を全て話してきます」



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