◆ ◇ ◆ 美奈木大橋の真実 ◆ ◇ ◆

 店主の父親は菓子職人として身を立てるべく、故郷であるこの都を旅立ち、各地を渡り歩いて研究と修行を重ねていた。やがて、菓子職人として自立できる力を身に着けた彼は、故郷で店を開くためにこの都を目指して旅を始めた。

 彼は同じくこの都を目指していた行商人組合の一団に加えてもらい、順調に旅路を進んでいた。しかし、東の山脈に入ったところで彼らは霊獣の群れに襲われた。次々と犠牲者が出るなか、彼は命からがら霊獣の群れから逃げることができた。しかし無我夢中で逃げているうちに山の奥深くに迷い込んでしまった。

 何日も山をさまよい続け、ついに力尽き、彼はどことも知れぬ山奥で行き倒れた。

 気がついた時、彼は布団の上で横になっていた。そこは広々とした部屋で、長者の屋敷の一室のようだった。事情はよくわからないが、とにかく助かったのだと彼はほっと胸をなでおろした。しかしすぐそばにいた人物を見て肝をつぶした。

 そこにいたのは、若くて美しい女性だった。だがその頭からは大きな角が生えており、口元には鋭くとがった牙がのぞいていた。

 その時彼は、旅の途中で聞いたこの山脈のどこかにある鬼人の隠れ里の話を思い出した。

 どうやら、自分はそこにいるらしい。

 もはやこれまでかと覚悟を決めた時、鬼人の女は言った。


 あなたを殺すつもりはない。体調が回復したら人里まで送ると約束する。

 そのかわり、ここにいる間、自分に里の外の世界について話を聞かせてほしい。


 聞くところによると、彼女は里長の娘であり、これまで一度も里の外の世界へ出たことがないという。先日、家業の薬づくりに必要となる薬草を採るため山を歩いていたところ、行き倒れていた彼を見つけ、屋敷に運んで介抱したのだ。

 里の掟では、里に入る許可を得ていない人間はすみやかに殺すことになっている。しかし彼女は旅人と思われる彼からは有益な情報が得られるかもしれないと里長や長老たちを説得し、しばらくの間は生かしておくことを認められた。

 もちろん、彼女は彼を見殺しにするつもりはない。

 それどころか、できるなら彼女も彼と一緒に里を出るつもりでいた。

 彼女は外の世界にあこがれていたのだ。

 里に縛られて生きることに長く疑問を感じていたことにくわえ、薬師として高い才を持っていた彼女は、外の世界に更なる知識と可能性を欲していた。

 そんな彼女の期待にこたえるため、彼は外の世界について様々な話をした。なかでも彼が各地で身に着けた菓子作りの知識や技術は彼女の興味をひいた。故郷の都で自分の店をかまえたいという彼の目標を、彼女は素直に尊敬した。


 二人が互いにひかれあうまで、それほど時間はかからなかった。

 人間と鬼人という種族をこえて、二人は確かな絆を結びあった。


 彼の体調が回復した頃、二人は里からの脱出を決意した。

 ある日の夜、彼女は里長たちの食事に特殊な眠り薬を混ぜ、皆が寝静まった時に里を出た。

 二人は無事に都へたどり着き、彼女は秘術の霊薬を使って人間に姿を変え、彼と共に都で暮らした。しばらくして、彼は念願の店をかまえることができた。

 慌ただしくも満ち足りた日々を二人は送っていた。


 都で暮らしはじめてから一年がたとうかという時期の、ある日の夜。

 店じまいをすませた二人の前に、彼女の父である里長が現れた。里長はずっと二人の行方を追っていたのだ。

 里長は彼を殺そうとしたが、彼女は彼を守るため鬼人の力を解放し、戦った。

 激しい戦いの末、彼女は命を落としてしまった。

 騒ぎを聞きつけて憲兵隊が駆けつけた頃、里長は姿を消していた。

 その場に残ったのは、恐怖に打ちひしがれて動けなくなった彼と、鬼人の姿で息絶えた彼女の遺体だけだった。


 憲兵隊は彼を捕らえ、鬼人を都に潜り込ませたとの容疑をかけて尋問した。

 もし本当のことが知られたら、自分は重罪人として処刑される。

 だから彼は、うそをついた。


 自分は何も知らない。彼女とは旅の途中で知り合っただけだ。

 自分もだまされていたのだ。


 憲兵隊は彼の話を真実と認め、罪に問わなかった。

 尋問がすんだあと、憲兵隊の長官は彼に言った。


 美奈木大橋から見える河川敷に、鬼人の死骸をさらせ。


 憲兵隊の長官は、さらにこう続けた。


 自分をだました憎い化物なのだから、そのくらいは認めてやろう。


 この事件は憲兵隊にとって扱いにくいものだった。

 都に鬼人が隠れ住んでいることを把握できなかったのだから、憲兵隊の怠慢を追及されるのは避けられない。それに加え、都の人間が共犯者であったとすれば、住民に不要な疑心暗鬼を生じさせ、都の治安を悪化させかねない。

 だから憲兵隊は彼の話を真実であるとしたのだ。

 人間を巧妙な手段でだまし、利用した、卑劣な鬼人というものを彼らは必要としていたのだ。

 当然のことながら、彼に拒否権はなかった。憲兵隊の長官は笑っていたが、その目は彼にこう語りかけていた。


 断れば、さらされる死骸がもう一つ増えることになるぞ。


 翌日、彼女の遺体は河川敷にさらされ、美奈木大橋は多くの見物客で賑わった。

 彼らは物珍し気に彼女の遺体を見て、罵り、嘲り、笑いものにして、石やゴミを投げつけた。

 見物客の中には店の常連たちの姿もあった。彼らは自分たちをだましていた彼女に対し激しく怒りや憎しみをぶつけた。

 そんな人々の様子を、彼は憲兵隊の監視のもとで見ていた。

 道行く人々から慰めの言葉をかけられると礼を言い、彼女への怒りの言葉をぶつけられると全くその通りと同調した。


 日が沈み、最後の見物客が去ったところで、彼は憲兵隊の監視から解放された。

 彼女の遺体は朽ち果てるまで、そのままさらされ続けることになった。


 その夜。彼は彼女の遺体の前に立っていた。

 その手には、店から持ってきた包丁が握られている。

 彼は一時の恐怖におびえ、命惜しさに彼女を裏切った。

 しかしそうすることで、彼は生きる資格を失ったことを自覚した。

 煌々と満月は輝き、満天の星空は果てしなく広がっている。

 彼は天空に瞬く無数の光を見上げながら、包丁を首筋に近づけた。

 刃が触れ、血の滴がしたたり落ちる。

 覚悟を決めて、彼は手に力を込めた。


 その時、彼女の遺体から音がきこえた。


 まさかと思った彼は包丁を捨て、彼女の遺体の腹に触れた。

 その瞬間、腹の肉が崩れ落ち、へその緒でつながれた赤ん坊が姿を見せた。

 赤ん坊の頭には、ちいさな角が生えていた。その瞳の色は、彼女と同じ金色だった。

 赤ん坊の目が彼の姿を映した時、赤ん坊は声を上げて泣き出した。

 彼は地面に膝をつき、赤ん坊へおそるおそる手を伸ばす。


 とまれ。


 どこからか鋭い声が聞こえた。それは、里長の声だった。

 彼は周囲を見渡したが、どこにも姿は見えない。声だけが彼に語りかけていた。


 その子は我々が引き取る。

 貴様はその子に指一本触れてはならない。

 その子に触れる資格など、貴様にはないのだから。


 声が消えると同時に猛烈な風が吹き、彼は川へ吹き飛ばされた。


 川からはい上がった時、すでに赤ん坊の姿はなく、彼女の遺体も消えていた。

 彼はただ一人、心を失うほどに美しい星空の下で立ち尽くしていた。



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