第五話 「眠りをさまたげるものは」

 話を終え、イズミは小さく息を吐く。


「これが、祖父が私に話してくれた、両親についての話です」


「お前さん自身は、親について何か覚えていないのか」


「なにも覚えていません。物心ついた頃、私は里のお屋敷にいて、一族の家業である薬師の仕事を学んでいました」


 イズミは屋敷の外に出ることが許されなかったという。彼女の出自に関する事情は、里長の一族としては汚点でしかなかったのだろう。

 しかし今から一年ほど前、イズミは里長から、里を出るよう命じられた。


 里を出たら、お前の父と母が暮らしていた都を目指せ。

 そして二度と、里には戻ってくるな。


「里を出て行くようにと言われたことは、特になんとも思っていません。こういう生まれですので、いつ追い出されてもおかしくはないと思っていましたから。でも、里以外に自分が生きていける場所が、私にはわかりませんでした。だから祖父に言われた通り、この都を目指しました。それに、前からここには行ってみたいと思っていたんです。父と母が暮らし、私が生まれたという、この都に」


「それで今に至るってわけか。しかし、ひでえ話だな。箱入り娘をいきなり放り出すとは」


「これが本当のお払い箱ですね」


 あはは、とイズミは笑う。しかし青年は笑わなかった。

 イズミも笑うのをやめて、再び社のほうへ目を向ける。


「とりあえず、そういうわけで私はここにいます。幸運なことに、ご主人のような親切な方に面倒を見ていただいてますし、お店の仕事や薬師の仕事もやりがいがあります。父のことは気になりますけど、今の暮らしはとても楽しいんです」


「そいつはよかった。しかし店主のジイさんも幸運だったな。お前さんみたいな働き者がいてくれて、いろいろ助かってるだろうよ」


「だと、いいんですけどね」


「何か気になることでもあるのか」


「その、ご主人の御家族のことは、お聞きになりましたか?」


「ああ。奥方はもう亡くなっていて、息子たちは遠い都に行っちまったそうだな」


「私は、ご主人と息子さんたちに何があったのかは知りません。でも、思うんです。私はご主人のさびしさをうまく利用して、あの場所にいるだけなんじゃないかって」


「考えすぎだ。それにもしそうだったとして、それの何が悪い」


 え、とイズミは目を丸くする。


「父親に会えたら、お前さんはあの店を出て行くのか」


「それは……、ないと思います。私は、あの場所が好きですから」


「きっとジイさんもお前さんには出て行ってほしくないだろうよ。家族がいないさびしさを、お前さんが埋めてくれてるんだからな。あのジイさんだって、そういう意味じゃお前さんを利用しているのさ。まあ、利用って言い方は気に入らねえな。持ちつ持たれつっていうか、互いに支え合ってるのさ」


「そういうものでしょうか?」


「そういうものさ。うらやましいぜ。お前さんにとっちゃ、あのジイさんがいる場所が心安らかな場所なんだろう。あのジイさんも同じはずだ。心安らかな場所があるってのは、じつにいいことだ。俺にはそれがないからな」


「もしかして、お客さんが旅をしているのは――」


 突如鳴り響いた轟音が、イズミの言葉をかき消した。

 大通りの方から家屋の倒壊する音が地鳴りのように押し寄せてくる。


「おいおい、どういうことだ。怪物は橋に現れるんじゃねえのか」


 不吉な破壊音に混じり、警鐘の音が聞こえてくる。それに共鳴するように、大橋の法石も警鐘を発した。


「仕方ねえな」


 青年は大通りのほうへ走り出す。


「いけません、危険です。じきに憲兵隊や神官団が来るでしょうから、邪魔にならないよう私たちは避難しないと」


「放っておいたら連中が来る前にどんどん死人が出ちまう。できる限りのことはしねえと、気分が悪くて眠れやしねえんだ」


 遠ざかる青年を、イズミは引き留めることができなかった。


 イズミは覚悟を決めたように、青年を追って走り出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る