第六話 「霊剣の天士」

 大通りに到着した青年が目にしたのは、通りの真ん中に山のごとく積み上がった巨大な泥の塊だった。それは周囲の家屋よりも一回りほど大きく、街燈の明かりに照らされた表面は毒の沼地のようにぶつぶつと泡立っていた。

 なにより不気味だったのは、それが意思をもって動いていることだった。

 手も足もなく、目も耳も口もない。どう見ても泥の塊でしかないのに、それは眠りから覚めたばかりの獣のように、ゆっくりと動いていた。

 まさにそれは、怪物だった。


「お客さん!」


 イズミが息を切らしながら、青年のもとへ駆け寄ってくる。


「危険だ。お前さんは避難してろ」


「そうはいきません。私だって薬師のはしくれです。負傷者の応急処置くらいはできます」


「……なら、自分が負傷者にならないよう気をつけろ」


 青年は怪物を見すえる。二人のそばを逃げ惑う人々が次々と駆けていった。

 その中に、ニシキがいた。彼は二人に気づくと、足を止めた。


「おうイズミちゃん、あんみつの兄さんも。こんなとこで何してんだ」


「ニシキさん? あなたこそ、どうしてここに?」


「この辺を見回ってたのさ。あんなバケモノ、とてもじゃねえが自警団の手には負えねえ。二人もさっさと逃げな!」


「あれはおそらく、術式で改造された精霊か霊獣の類だろう」


 青年は懐から小刀を取り出し、刃を抜く。


「おいおい兄さん、何やってんだ。そんなもんでどうこうできる相手じゃねえだろ」


「心配すんな。俺の得物はこいつじゃない」


 青年は刃で手のひらを軽く突く。じわりと手のひらから血が流れてきたのを確かめると、青年は小刀を鞘に納め、手を天に掲げて目を閉じ、神言を唱えた。


     ◆     ◇     ◆


 夜に朽ちるは時の声


 覚めやらぬ天地に叫べ


 万象の夢


     ◆     ◇     ◆


 神言にこたえるように、天に向かって手のひらから血が噴き出した。やがて青年の血は、空中で一本の細長い棒状の姿になった。

 青年は目を開き、自身の血が形作ったそれを握りしめる。するとそれは目もくらむような光を放ち、意匠の凝らされた剣の姿に変化した。

 その様を見ていたイズミは、呆気にとられたように目を瞬かせた。


「お客さん。それは、いったい……」


「離れてろ。巻き添えくうかもしれねえからな」


 青年は剣をかまえ、怪物に狙いを定める。怪物は青年に気づいていないらしく、その巨体をのそのそと動かしながら近場の家屋を破壊していた。

 青年は呼吸を整え、精神を集中させると、怪物に向かって走り、距離を詰めたところで大きく跳躍する。風に吹かれた羽のように青年の体は舞い上がり、怪物の頭上を軽々と超えた。

 青年は空中で剣をかまえると、落下の勢いに身を任せ、怪物めがけて剣を突き刺した。

 剣が怪物の脳天を突き刺した時、怪物は地鳴りのようなうめき声をあげた。

 怪物の体はブクブクと大きく泡立ち、空気が破裂するような音を連発しながら異臭を放つ泥をそこらじゅうにまき散らしていった。


「安らかに眠っとくれ」


 青年が剣を引き抜くと、怪物の体は溶けるように崩れ落ち、あたり一面に泥が広がった。


「おいおい。兄さん。あんたまさか、天士だったのか」


 ニシキがつぶやくように言った。


「お客さん、大丈夫ですか?」


 イズミは青年のもとへ歩き出す。すると青年は声を張り上げた。


「来るな!」


「え?」


 思わずイズミは立ち止まる。しかしすでに彼女は泥に足を踏み込んでいた。


 彼女の足首に、泥が蔦のようにからみつく。


 怪物はまだ、生きていた。



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