第15話
月のない晩。生温い風が辺りを包んでいる。先ほどまで響いていた
孫市達が小屋を取り囲む。小屋は湿地のそばにあり、
「そろそろ、仕掛けるか」
小屋ごと火をかけるのが手っ取り早い。孫市は、弓の者に火矢の準備を命じた。
その時だった。小屋の右手の茂みで、大きな爆発音が響いた。
「む、抜け駆けした奴がいるのか?」
「いえ、敵が何か仕掛けていたようです」
「やはり罠か……。怯むな」
孫市が叫んだ。罠があることは想定している。
「ま、孫市様、我々は囲まれております!」
「な、何?」
見ると、湿地を囲むようにぐるりと、火の輪が広がっている。
――六十名を囲む兵があるとは思えない、まさか藩兵が動いたのか……? いや違う。
「慌てるなこれは偽兵だ! 松明の火は動いておらぬ」
なるほど松明の火は、整然と並んで少しも動こうとはしない。動揺を誘う為の偽兵の計に違いない。だが、一度始まった動揺は、すぐには収まらない。小屋を囲むように兵を配置したのも裏目に出た。孫市の声が届かず、多くの者が囲まれた恐怖で、混乱に陥っている。
明五郎は静かに弓を引き、放った。遠くで悲鳴が上がった。暗闇の中に、浮かび上がる火矢と、鉄砲の火縄を灯りを目印に矢を射る。
敵は完全に浮き足立っている。素早く次の矢を引き絞り、解き放った。また一人、手応えがあった。動揺が収まる前に、一人でも多く倒さなくてはいけない。明五郎は身を屈めると、再び闇の中へと紛れた。
風切り音が聞こえて、孫市の隣に立っていた男が倒れる。矢の量は少ない。囲まれているなら、一斉射撃であろう。やはり敵は少数なのだ。
「火矢を捨てよ、一度湿地を抜けて立て直すのだ。
個々の戦いでは、孫市側に分がある。無論敵もそれを承知していて、直接刃を交えることを避けている。
――ここまで徹底しているとは。
地面に立てられた松明に辿りついたが、周囲には人影はない。まだ兵も半数以上残っている。立て直すか、一旦ここは退くべきか。
そこに馬に乗った男が現れた。孫市を探しているらしい。
「どうした? 俺はここだ」
「た、大変です。伸明様の屋敷が、藩兵に囲まれております!」
「なんだと?」
孫市は耳を疑った。
斎藤伸明は、屋敷の周囲をぐるりと囲む藩兵を眺めて舌打ちした。少なくみても五百人以上はいる。
孫市が六十名で出撃している今、配下の兵と食客を合わせても五十名程である。食客を養う為に、屋敷には必要な人員しか置いていなかった。
「なぜ、藩兵が動いたのだ」
「宗重様の主命のようです」
回復していたのは知っていたが、まだ指揮を執れるような状態ではないはずである。
――大河内が入れ知恵でもしたか、騙っているのか……。
頼りの食客も、孫市が居なくてはただの荒くれ者の集まり、烏合の衆である。慌てて武器を手にする者、甲冑を引っ張り出す者、屋敷の中は上を下への大騒ぎとなっていた。そこに具足に身を包んだ伝令が現れ、片膝をついて伸明に報告した。
「殿! 正門が攻撃を受けております!」
「孫市はまだ戻らぬか?」
「はい、まだお戻りになりませぬ。拙者が確かめたところ、北門の敵が手薄です。今なら門を抜けられます」
「何……」
伸明は判断に迷った。食客は打算的な存在である。不利な状況で、伸明の為に命を賭してくれる保証はなかった。
だが、孫市は違う。孫市が戻れば、状況は変わる。屋敷に立て籠もって孫市を待つか……。いや、孫市とて藩兵と刃を交えているかもしれなかった。
「北門……。よし、様子を見てこい」
伸明は、側近の一人に命令した。伝令は声を荒らげた。
「殿、一刻を争います。今逃げるべきです」
伸明は訝しそうな目つきで、伝令に問い掛けた。
「お主何者だ?」
薄明かりの中でははっきりと判別出来ないが、伸明にはその顔に見覚えがない。側近の者も顔を見合わせて首を振った。だが、食客は気紛れな者も多く、入れ替わりも激しい。誰も百人の食客一人一人の顔は覚えていない。
「食客の端くれを知らぬも、無理はありませぬ。では、拙者はここでお暇を頂きます」
「何をぬかす! この一大事に!」
伸明の側近が叫んだ。伝令は負けじと怒鳴り返した。
「拙者とて、殿を助ける為に命がけで状況を伝えにきておる! 拙者の言葉が信じられぬなら、仕えていてもしょうがなかろう!」
「何を貴様! 斬り捨ててくれる!」
側近が刀に手を掛けた。伸明が叫んだ。
「仲間割れをしてどうする! 兵を南の正門の守備につけさせよ! 孫市はすぐ戻る。それまでの辛抱じゃ!」
配下が駆け出していくと、伸明の周りには、五名の側近と、伝令だけが残った。
「よし、お主。案内せい」
伸明が伝令の男に言った。側近が慌てて問いかける。
「は? 孫市殿が戻るまで待つのでは?」
「ああ言わぬと、皆が守備につかぬ。敵の意識が正門に集中している。今こそ好機だ」
「ははっ」
伝令の男は、カチャカチャと音を立てながら、先を歩き出した。
攻撃を受けて騒々しい正門に比べ、北門は暗闇と静寂に包まれていた。側近は周囲を松明で照らしながら、藩兵がいないことを確認する。
「うむ。しかし、全くおらぬと言うのも妙だな」
左右を頻りに警戒する伸明に、伝令が声を掛ける。
「ご安心下され。ここを守っていた兵には、偽情報を流しておきました。今頃は東門の兵と合流しております」
側近は感嘆した。伸明も喜んで言った。
「おお、流石じゃな。食客はいざという時に役に立つ。普段、大口を叩く輩とは大違いだな」
「この先の川に、川漁師の舟があります。そちらでこの場を離れましょう」
一行が先を急ぐと、しばらくして葦が茂った川に出た。こちらも周囲には人影もない。
「……まだ、気づかれてないようですな。たしか、あの辺りに舟が」
と、伝令が伸明達を誘導する。川べりに一艘の舟が係留されていた。一行は安堵のため息を漏らした。
「一安心だな。おい、ところでここはどの辺りだ?」
伝令の男は、不気味な笑みを浮かべて言った。
「たしか……賽の河原」
と、言い放つと、突然川へ飛び込んだ。伸明達は慌てて、水面を目で追った。川岸の舟は逆さまにひっくり返っている。
「図られた……」
伸明が呟いた瞬間、伸明の体を無数の矢が貫いた。
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