第14話

「ううむ。お見事」

 味方が倒されたのにも関わらず、孫市は感嘆の声を上げた。

 死闘に勝利した安堵あんどした明五郎は、大きく息を吐いた。しかし、まだ一人を倒したに過ぎない。気力を振り絞って、孫市に剣先を向ける。

「見よ。おごった貴公らでは到底勝てぬ。俺の言う通りに動いてもらうぞ」

 孫市がそう言うと、他の四人が頷いて間合いを整えた。

 一人は片付けたが、好き勝手に動かなくなっただけ、反ってこの場から逃げることは難しくなった。これも孫市の掌握術かもしれない。

 ——ここまでか……。

 その時、足音と共に男達が駆け付けて来た。

「明五郎さん!」

 竜之進の声が聞こえる。

「竜之進さん、来てはだめです!」

 構えたまま、明五郎が叫んだ。明五郎の声に反応して竜之進が立ち止まった。竜之進を追い越した十人の男達が、明五郎を守るように囲んで刀を抜いて構える。

 見れば、真右衛門ら大河内の配下の強者揃いである。孫市は顔色一つ変えず、腕組みをして悠然ゆうぜんと眺めている。明五郎は気を張ったまま、じりじりと孫市らから距離を取り始めた。

「皆さん、この人達と戦ってはいけません。一緒に退きましょう」

「ここは我らにおまかせ下さい。明五郎殿を助けるように命じられております」

「しかし……」

「大丈夫です。無理はしません」

 彼らにも意地があろう。その意地を軽んずることはできなかった。明五郎は真右衛門らに一礼して、竜之進を連れてその場を去って行った。

 逃げていく明五郎を見送りながら、槍を構える男が孫市に問い掛けた。

「逃して良いのですか?」

「うむ。奴がいると、こちらもただでは済むまい。これで、万が一にも負けることは無いであろう。この機会に、奴らの戦力を削いでおこう」

 槍の男は首肯しゅこうした。真右衛門が孫市に向かって叫ぶ。

「貴様ら流れ者が、この藩をおかしくしているのだ。この際に貴様らを一網打尽いちもうだじんにしてくれる」

 孫市は鼻で笑った。

「やはり生温い奴らよ。大人しく逃げれば良いものを。その人数なら勝てると思ったか?」

「何をほざく!」

 気を吐いて真右衛門が孫市に斬りかかる。孫市はゆらりと身体をずらした。

 ……だけのように見えた。真右衛門の動きが止まった。真右衛門はゆっくりと、自分の腹に視線を落とした。真右衛門の胴がぱっくりと開き、ぼとりと臓物ぞうもつが落ちた。

「あああー」

 力ない声を上げながら、真右衛門は腹を抱えてうずくまった。あまりの速さに、誰も孫市の動きを捉えられなかったのである。

 圧倒的な力量の差に、大河内の配下の男達は、蛇ににらまれた蛙のように立ちすくむ。

 その隙を見逃さず、四人の食客が動いた。

 槍に貫かれる者、首を落とされる者。一方的な戦いだった。あっという間に、死体の山が築かれていく。孫市は息も乱れず、返り血すら浴びていない。

「ふん、一人逃したか。これからの戦いに備え、練度を上げねばならぬな」

「ははっ」

 食客達は、孫市を畏敬いけいの眼差しで眺めた。


「言わんこっちゃあない……」

 険しい顔で呟いた釼一郎は、隅で頭を抱えて震えている男を横目で見た。

「まさか、そんなお方だとは」

 青い顔の明五郎は、がっくりと肩を落としている。釼一郎は大きくため息をついた。

「まともに戦っちゃ勝てませんよ。あんな人には」

「そんなに凄い人なのですか? 先日の畑中とかいう刺客よりも?」

 竜之進が、そろそろと口を開いた。明五郎や釼一郎も相当の腕前である。その二人よりも強い人間がいることが想像出来なかった。

「出来上がっているんですよ。畑中さんは天性の物はあったが、それを磨くのを止めた。また、驕りや油断が存在し、付け入る隙はあった。ですが……。あの人にはそう言ったものがまるで無かった」

「そんな人物が、なぜ食客などを?」

 実際に孫市の力量を感じ、只者でないことが分かっただけに、明五郎には不思議でならない。

「あちらも、ちょっとした騒動がありましてね。忍藩おしはん指南役しなんやくだった本田重秀、つまり孫市さんは、次期当主に仕えていたのですが、その方が何者かに襲われて亡くなりましてね。それで孫市さんが疑われて出奔しゅっぽんした。ただ、詳しいことは分かりませんがね」

「それを斎藤伸明が食客に迎えたと」

「まあ、天下に名の知られた人物だ。儂の周りでも随一の腕と、評価する者は多かったですからね。これは一筋縄ひとすじなわではいかないでしょうね」

「どうしますか?」

 明五郎も竜之進も、釼一郎の考えが知りたかった。

「宗重殿の回復を待てれば良いのだが、黙って見ていてくれないだろう。……よし、中川平太殿に連絡を取ってみます」

「中川? 小十郎様の伯父上の?」

「はい」

 にやりとした釼一郎は、明五郎と竜之進を交互に見た。

 一本の蝋燭ろうそくが灯され、額を合わせるように釼一郎と、明五郎、竜之進、そして小十郎が車座くるまざになって密談を行なっていた。

「では、伯父上の策を使うというわけですね」

 緊張した面持ちで小十郎が釼一郎に問いかける。

「ええ、こちらから先に仕掛ける必要があります。」

 釼一郎の話を聞きながら、竜之進は心中穏やかでなかった。

 食客達は恐ろしいほどに強い。本格的な戦いになれば、明五郎と釼一郎でも歯が立たないであろう。

 一方、斎藤伸明が権力を握れば、念願の立身出世が叶うかもしれない。小十郎が女として生きるのであれば、命だけは助けるかもしれない。そのことを、斎藤伸明に協力する条件にしても良いのだ。

 中川平太の居場所を漏らせば、状況は大きく傾くに違いない。

 知らぬ間に、竜之進は小十郎の顔を見詰めていた。小十郎が照れたように、自分の頰を触る。

「竜之進、どうした? 私の顔に何かついているか?」

「……いえ、失礼しました」

 咳払いを一つした竜之進は、目を逸らしてうつむいた。


「ほう、小十郎達が怪しい動きをしていると?」

 斎藤伸明は、筆を走らせながら孫市の話を聞いている。伸明は康国寺の三筆と言う人もいるほどの書の腕前である。孫市も書をたしなむが、自由闊達じゆうかったつな伸明の字には遠く及ばないと感じている。

「はい、西の外れにある薄汚れた小屋に、供の者と通っているそうです。会っている男というのが、あの中川平太らしいのです」

「何だと?」

 伸明は、筆を止めて孫市に向き直った。筆から落ちた墨が、大きく滲んだ。

「しかし、中川は討ち取ったはずでは?」

「はい、そのように報せは受けております」

「しくじっていたのか? いや、罠かもしれんな……だが、放って置くわけにもいくまい」

「はい。宗重様が回復し、中川殿の智謀と、小十郎の手の者が力を合わせると一筋縄ではいきますまい」

「いい機会だ、これで息の根を止めてやろう」

 伸明は、墨が滲んだ書を両手で丸めた。孫市はゆっくりと頷いた。

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