第13話


 口に手を当てて、竜之進はあくびを噛み殺した。釼一郎と小十郎は、宗重の看病でかかりっきりであるし、明五郎は聞き込みと、それぞれに役を与えてられている。

 竜之進も、宗重の屋敷で警護として次の間に控えているが、このところ伸明の動きに目立ったところはなく、緊張が緩んできていた。

宗重が寝入ったのであろう。安らかな寝息が聞こえてくる。その側で、なにやら釼一郎と小十郎がひそひそ声で話をしている。

「……はい、二人だけでお話しを……。まだ、誰にも知られない方がよろしいかと……」

小十郎の語りかけに、少しの沈黙があった。釼一郎は咳払いを一つして答えた。

「……では、後ほど……」

知らず知らずのうちに、竜之進は襖に近寄っていた。はっとして上半身を起こし、背筋を伸ばした。

釼一郎と小十郎。宗重の看病で、二人は親密になっているのは間違いはない。

——いや、まさか、そんな……。

 頭の中に湧き上がる疑念を、竜之進は無理矢理に抑え込んだ。

 襖を開けて、釼一郎が声をかけてくる。

「竜之進さん、お願いがありまして……」

体良く人払いさせられるのだと、竜之進は思った。

「斎藤一派の食客様子を知りたいのです。あなたは家中のことにも詳しかろうと思いまして。もちろん、斎藤伸明に近付くような危ないまねはしないでいただきたいですけどね。念のため、大河内様に腕の立つ人を頼んでいるので、一緒に動いてもらいたい」

「わかりました」

 心中穏やかではない竜之進だったが、平静を装って承諾した。


竜之進は大河内の屋敷には向かわず、一人で旧友らを訪ねた。小十郎を守るべき者が、守られるというのも情けなかった。

皆、食客の存在については不満を抱えているらしいが、斎藤伸明の力を恐れているのか口が重かった。


——遅くなってしまったな。

途中ばったりと父の友人に会い、話に付き合わされた竜之進は家路を急いでいた。長談義ながだんぎには辟易へきえきしたが、噂話好きの事情通らしく、食客についての収穫はあった。

黄昏時たそがれどき逢魔時おうまがときとも呼ばれ、魑魅魍魎ちみもうりょうが現れるといわれる。昼間には騒がしかった子供達も家に戻っているのであろう。人っ子一人いなかった。

竜之進が足を早めようとした時、何者かが腕を掴んだ。

「太田竜之進だな?」

耳元で囁く声に、振り返ろうとして全身がこわばった。急所を押さえられているのか、指一つ動かすこともできない。

「手向かいせず、俺の話を聞け。よいな」

男の冷ややかな脅しに、竜之進は恐る恐る頷いた。男が手を緩めると、身体が自由になる。竜之進が身体をよじろうとした時、鋭い声が飛んだ。

「振り返るな。お前のためだ。」

竜之進は慌てて、前に向き直った。

「お主、出世をしたくないか?」

思わぬ申し出に、竜之進は混乱した。

「さほど、難しいことではない」

 男の申し出は、間者として小十郎や大河内の様子を伝えることであった。特に医者である釼一郎のことが知りたいらしい。男は釼一郎が山田家に縁があることや、長崎で医術を学んだことも知っており、竜之進はただ頷くばかりであった。

「何か妙な動きがこちらに報せよ。そうすれば後々に良いことがある」

「どうやって……?」

「我らはいつもお主を見張っておる。人気のない所へ行けば、このように我らから声をかける」

竜之進はごくりと生唾なまつばを飲み込んだ。男の気配が消えた。ふと、袂に重みを感じ、確かめると中に十両の小判が入っていた。竜之進は小判を手に持って、しばらく呆然ぼうぜんと立ち尽くした。


 三日続けて明五郎は門屋に出向いた。釼一郎に言われた通り、下手なことは喋らず、お茶も飲まない。初めのうちは、愛想良く応対していた清兵衛も、商売にならぬとあからさまに邪魔もの扱いで、とうとう三日目には番頭が代わりに応対する始末であった。

「本木様、どうぞこれを」

 門屋の番頭は揉み手をしながら近づき、明五郎にそっと何かを渡した。

 見ると、渡された物は和紙に包まれてはいるが、小判とすぐにわかった。五両はあるだろうか。

「これは受取れませぬ」

 そう言って明五郎は、包みを突返した。

「そ、そんな、私が主人に叱られます。なんとかお受取り下さい」

 番頭は慌てて包みを渡そうとするが、明五郎は頑として受取らない。そして刀を手にすると、立ち上がって言った。

「邪魔をしたな。明日もまた来る」

 番頭は青ざめた顔で、呆然と明五郎を見送った。


流石さすが、茶所ですねぇ。当たり前の煎茶せんちゃが格別に美味い」

 宗重の治療を終えた釼一郎は、きな粉のついた安倍川餅を片手に茶を啜りながら、しきりに感心している。

「そうですよ。安倍川の川霧と寒暖の差が、このふくよかな香りと味わいを生み出すのです」

 地元の名産を誉められ、竜之進も得意になって解説をする。釼一郎は安倍川餅を平らげ、もう一度茶を含んで口を空にしてから問いかけた。

「それで、食客のことは分かりましたか?」

「はい。各地で問題を起こし追われた者、ならず者の類が百人ほどいるそうです」

「ほほう、孟嘗君もうしょうくんか、春申君しゅしんくんと言ったところですね」

「その中でも腕の立つ武芸者が、十人程。その食客を束ねている男が本田孫市という者だそうです。

「本田孫市? 聞いたことがない名だが、それほどの人物なら、どこかの家臣だったのではないですか?」

「ええ、真偽の程は分かりませんが、武蔵国むさしのくに忍藩おしはんの重臣、本田重秀ほんだしげひでではないか、とのことです」

「忍藩の本田重秀? い、いかん、その話が真なら、明五郎さんの身が危ない!」

「本当ですか? 明五郎さんよりも強いのですかね?」

 珍しく動揺している釼一郎に、竜之進は呆気に取られている。

「強いも何も、香取神道流かとりしんとうりゅうを極め、多くの武術に精通した達人です。……儂も行きたいが、ここを離れるわけにはいきません。一刻も早く、大河内様に頼んで、十、いや、できれば二十の数を集めて助けに向かってください」

「わ、わかりました」

 竜之進も流石にただごとではないことを感じた。

「いいですか、決して手向いしてはなりませんよ。とにかく逃げてください」

 

 門屋を訪問した後、明五郎は一人で歩いて帰っていた。表通りを離れた竹垣の小路は、古びた神社まで続く。人通りは少なく、人を襲うにはうってつけの道であった。 

 狙い通り、先程から何者かが、跡を付けて来ている。

 突然、明五郎が駆出した。

 慌てて三人の追跡者も駆出す。追跡者が角を曲がると、抜刀した明五郎が待構えていた。頭巾を被った追跡者は、立ち止まると次々に刀を抜く。明五郎は、脇構えの体勢で誰何すいかした。

「門屋の手の者か?」

 三人は明五郎の問には答えず、掛け声を上げて斬りつけて来た。明五郎が素早く刀を跳ね上げると、追跡者の腕が宙に舞った。流れるような剣さばきで、一人は腕を、もう一人は膝を斬った。

「なかなかの腕前だな」

 声の方を振り返ると、威圧感のある男が腕組みをして立っている。後ろには、鎖鎌や槍を持った男が五人控えていた。伸明が雇っているという食客であろう。

「私の名は本田孫市。殺すには惜しい腕だ。我らの仲間にならぬか」

 孫市は明五郎を誘った。わざわざ名乗るからには、相当な自信があるのが分かる。 

 もし、この者達が明五郎を殺す気になれば、六人のうち一人でも倒せるかどうか分からないほど、かなりの力量を感じた。

 明五郎は素早く周囲を確認し、逃げ場を探った。

 だが、六人は位置を変え、明五郎を囲むように退路を断っていた。冷や汗が吹き出てきたが、冷静を装って孫市に返答する。

「拙者は落ちぶれても簒奪者さんだつしゃに手を貸したくはない」

 満足そうに孫市は頷いた。

「この時代になかなかの人物だ。ますます気に入った」

「こいつを俺に殺らせてくださいよ」

 孫市の言葉を遮るように、頬に大きく傷のある鎖鎌くさりがまの男が前に出てきた。鎌の柄から、長く伸びた鎖の先には、分銅が取り付けられている。

「こちとら毎日退屈してるんだ。遊ばせてもらいたいもんだ」

 言い終わらぬうちに、男は鎖を回し始める。

「いいだろう。その御仁は出来るぞ。心してかかれよ」

 そう孫市が言った途端、男が振り回していた鎖がするするっと伸びて、明五郎に向かってくる。明五郎はとっさに体をかわし、鎖を避けた。一歩踏み込もうとした時、男がぐっと鎖を引く。はっと気付いて明五郎は飛び上がった。危機一髪の所で鎖が明五郎の足下をかすめていく。

 男は生きた蛇のように鎖を操り、息つく暇もなく分銅を飛ばしてくる。斬り込もうとしても鎖をかわすのがやっとで、懐に近付くこともままならない。

 と言って、今以上の距離を取ることは、孫市の仲間が許さないらしい。明五郎は孫市一派の土俵に立っていた。

 激しい風切り音で回る鎖を注視しながら、明五郎は刀を腰の鞘に納め、腰を落として構えた。

「ほう。居合か?」

 男が呟いた。勿論、居合の間合いではない。

 ——鎖を居合で弾き飛ばすつもりか、鞘に鎖を巻き付けさせるつもりか。

 男の鎖鎌に対し、様々な手で分銅を封じ込めようとする敵はいた。しかし、分銅をかわすことに精一杯で、やがて鎌の餌食になるのだ。

「くらえ!」

 男が鎖を飛ばした。同時に、明五郎は腰元に隠してあった小刀を投げつけた。男は咄嗟に、鎌で小刀を叩き落とす。その瞬間、一気に明五郎が間合いを詰める。一瞬、男が鎖を引くべきか、鎌で防ぐべきか迷った。

 そのわずかの間で、明五郎は抜刀ばっとうし鎖を持つ男の腕を跳ね上げ、そのまま袈裟けさ斬りで振り下ろした。男の断末魔だんまつまの叫びが響き渡った。

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