第12話

康国寺藩は小藩で、天守閣を持つ城などはない。宗重が藩主になった時に増築した屋敷があるのみである。小十郎の見舞いに合わせて、十徳じっとく姿に薬箱を持った釼一郎が後をついて行く。宗重の部屋に通されると、紫の病鉢巻を頭に巻いた宗重が床についていた。小十郎は人払いを行い、側によって宗重の手を取った。

「父上……」

「こ、小十郎、す、すまない……」

 息も絶え絶えながら、絞りだすように小十郎に声をかけた。

「腕利きの医者を連れてきております。今は何もおっしゃらず、ただ養生してください」

そう言って、釼一郎を紹介する。釼一郎は、傍に寄って宗重に顔を近付けた。

「む、そなたはどこかで……」

 宗重は目を細めて釼一郎の顔をまじまじと眺めた。

「殿、ご無沙汰しております。釼一郎でございます」

 宗重の目の中に、弱々しいながらも光が宿った。

「おお、け、釼一郎か、もしや、そなたが小十郎を助けてくれたのか?」

「はい。偶然にも旅の途中、小十郎様の景光を見かけまして。殿のことを思い出し、お節介せっかいを」

「おお。それは……」

「積もる話は、後でゆっくりと」

 目を閉じた宗重が寝息を立て始めたのを待って、釼一郎は小十郎に耳打ちをした。

「やはり、殿は毒を盛られておるようです」

「ほ、本当ですか?」

 たちまち小十郎の顔色が変わる。

 釼一郎は毒が砒素ひそであると見立てた。砒素は古来、暗殺に使われる毒である。

「幸いなことに病気に見せかける為に、毒は少しずつ盛っていたようです。とにかく、殿の口に入る物は大河内様に頼んで、毒を遠ざけましょう」

 砒素は無味無臭であるため、毒を盛られても嗅覚、味覚で気付くことは難しい。だが、当時の砒素は純度が低く硫黄の成分が混じっていた。銀食器を使えば、砒素の毒を防ぐことが出来る。何よりも警戒することで、毒を盛ることは困難になる。

「ありがとうございます。すぐに、大河内に手配させます」

「ただし、儂が殿の手当をするとなれば、毒を盛った連中が黙ってはいないでしょう。これからが正念場になりますよ」

 小十郎は険しい表情になったが、力強く頷いた。


 長らく江戸に居た竜之進にとって、この度の帰郷は父が亡くなって以来、三年振りであった。小十郎と、釼一郎、明五郎は大河内の屋敷で泊まるが、小十郎の気遣いで、竜之進は久しぶりの我が家で寛ぐことを許された。

 門を潜ると下男の作太郎さくたろうが庭で草むしりをしていた。作太郎は父の代からの奉公人で、妻のおせんと共に住込みで太田家の侍屋敷を守っている。

「作太郎、帰ったぞ。」

 作太郎が、手を止めて振り向いた。日に黒く焼けた、皺だらけの顔に満面の笑みが浮かぶ。

「竜之進様、お元気そうでなりよりです」

「お前こそ、元気そうだな。家のことを任せきってすまない」

「何をおっしゃいますやら。勿体ないお言葉で」

 作太郎は嬉しそうに近寄り、竜之進の荷物を手に持った。

「母上は?」

「はい。中におります。若様は長旅でお疲れでしょう。お千に今風呂の用意をさせます」

 一足先に屋敷の中に入った作太郎は、竜之進の母に声を掛け、お千にあれこれと指示をする。

 玄関の前で竜之進は立ち止まり、改めて我が家を眺めた。庭には紫陽花あじさいが薄紫に色づき始め、松も形良く整えられている。竜之進の父が遺した侍屋敷は、古くなっているが手入れが行き届いていた。

 竜之進の禄では、母と作太郎夫婦を養うのがやっとで、暮し向きは楽ではない。それでも、なんとかやっているのは、やりくり上手な母と、従順な作太郎夫婦のお陰だった。父の死後、立身出世に努めたのは、なんとか暮し向きを良くしたいという思いも大きかった。しかし、一度も出世の機会は巡ってこなかった。

 

 釼一郎の働きで、宗重の容体は日に日に良くなっていった。宗重に回復の兆しが見えたせいか大河内も精力的に動いて、宗重が口にする食事を徹底的に調べている。

 一方、明五郎は大河内に特別な役を与えられて、薬の出処でどころを探っていた。釼一郎は、砒素を含んだ石見銀山ねずみ捕りが盛られているのではないかと見当をつけ、藩内でねずみ捕りを取り扱っている問屋や商家に聞込んでいた。

「どうです? 何か分かりましたか?」

「いえ、敵の尻尾は掴めておりませぬ」

「まあ、そうだろうね」

 釼一郎はそう言いながら、顎を擦った。

「ただ、斎藤伸明が家老になってから、急に羽振りが良くなった門屋清兵衛かどやせいべえという問屋がおります」

「ふふん。いいねぇ、それは」

「門屋清兵衛に話を聞いてみましたが、こいつがなかなかの狸親父で、煙にまかれている次第です」

「大丈夫。明五郎さんには、鎌をかけて口を割らせるような芸当を期待していませんからね」

「うん? 今、拙者は馬鹿にされているのですか?」

 口をひん曲げながら明五郎が釼一郎を睨む。釼一郎は、にやにやしながら言った。

「いやいや。明五郎さんには剣で働いて貰おうってことですよ。これから、毎日、門屋だけに出向いてください」


 麝香じゃこうの甘い香りが部屋に充満している。寝乱れた布団の上に横たわった女が、赤い長襦袢ながじゅばん姿で煙管を吹かしていた。宗重の後妻、亀千代の母であり、小十郎にとっては継母の豊姫である。三十路前の白い肌に、妖艶ようえんな色気が漂っている。

 隣では斎藤伸明が、難しい顔で天井を仰ぎ見て考え事をしている。豊姫は自分の口から煙管を移し、伸明にくわえさせた。

「ねぇ。何を考えているの?」

 体を起こした伸明は、ため息のように煙を大きく吐いた。

「小十郎が連れてきたあの医者だ。あいつのせいで宗重が元気を取り戻しているらしい」

「どういうこと? 夏には間違いなく片がつくはずでしょう?」

 豊姫が眉をひそめて、伸明にすがりついた。

「ああ、そのつもりだった。徐々に弱らせて、夏になれば食中りということで方を付けるつもりだった。だが、毒に気付かれたらしい。それに……大河内の使いで、聞込みをしている男がいる」

「私達の仕業ってことは……?」

「それは露見することはないだろう。石見銀山の毒など、特段珍しい物ではないからな。ただただ、目障りだ」

 灰吹はいふきに煙管を叩きつけるようにして、伸明は灰を落とした。

「小十郎が戻ってきているけど、亀千代を世継ぎにする話は大丈夫なんでしょうね?」

「ああ、なんとかする。まあ、案ずることはない。女である小十郎は世継ぎにはなれないからな」

 元々、嫡男の小十郎が女であることは、一部の重臣の間のみで共有されていたが、正式な世継ぎが決まるまでの暗黙の了解であった。男子の亀千代が生まれれば、小十郎をいつまで嫡男にしておくのか、という意見が主流になるのも無理はない。

 斎藤は不安を払拭するかのように、豊姫の膨よかな乳房に顔を埋めた。

 豊姫は貧しい百姓の生まれであったが、小十郎の亡き母、多緒に似た少女として伸明が探し出した。呉王夫差を虜にした西施にならって、伸明は豊姫を徹底的に仕込んだ。宗重は伸明の計略にまんまと陥ったのであった。


 道場では明五郎が木刀を持って、一人の若侍、桐生真右衛門きりゅうしんえもんと対峙していた。真右衛門は、康国寺藩でも名が知られている剣士である。大河内に明五郎の腕前を聞きつけ、手合わせを申し出てきた。稽古熱心な明五郎しては願ったりかなったりで、二つ返事でこの申し出を受けた。

 二人を見守る若侍達の熱気が、道場内を包んでいる。

 明五郎は呼吸を整え、真右衛門の動きに神経を集中した。真右衛門がまとう気から、かなりの力量を感じる。

 真右衛門が踏み込んで、上段から木刀を振り下ろしてくる。明五郎はあやういところで真右衛門の木刀を避けた。もし下手に受けていれば、脳天をかち割られていたかもしれない。

 鋭い太刀筋に、場内からも声が上がった。

 明五郎は二歩下がって下段に構えた。再び、明五郎が呼吸を整える。真右衛門の動き出しに合わせて、明五郎も踏み込む。

 皆が息を飲んだ。

 真右衛門の木刀は、明五郎の額一寸足らずにピタリと止まった。明五郎の木刀も真右衛門の胴を捉えている。

立会人が叫んだ。

「相打ち、それまで!」


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