第16話
旅支度に身を包んだ釼一郎と明五郎は、江戸へと向かっていた。斎藤伸明が討ち取られた後、伸明の父の伝衛門も腹を切り、斎藤一派の
宗重は回復したが、お家騒動の責任を取る形で、
「残念ながら仕官は叶いませんでしたねぇ」
釼一郎は慰めるように明五郎に言った。宗重が改易されることになってしまえば、新たに家臣を雇う余裕がない、それどころか竜之進などの家臣も先々は決まっていないのだ。
「結局、大河内様が一番得をしたのかもしれませんね。小十郎様の伯父上である、中川平太様も斎藤一派の手に掛かっていたわけですし」
次の藩主が決まるまで、大河内が筆頭家老として取り仕切る形となった。斎藤伸明や、中川平太がいなくなり、大河内の力は益々強まっている。そんな空気に居心地の悪さを感じて、釼一郎と明五郎は康国寺藩を後にすることに決めたのである。
「今回の騒動も、中川さんの策があったればこそだったのですがね。死せる孔明生ける
と、釼一郎は言った。中川平太は、斎藤伸明、食客達と戦うことを想定していた。死ぬ前に、斎藤一派、特に孫市の力を封じ込めることを考え、策を練っていたのだ。そして万が一の場合は、自らが生きているように見せかけることを、小十郎に託していたのである。
「竜之進さんが向こうを上手く騙してくれたのが良かった。
どうしても竜之進は小十郎を裏切ることはできなかったのだろう。斎藤伸明から寝返りを持ちかけられたことを包み隠さず話し、逆に中川が生きていると偽の話を伝えたのである。
「しかし、どうして斎藤伸明は、釼一郎さんを信じて川まで着いて行ったのでしょうね? 見るからに怪しい釼一郎さんに、ほいほい着いて行くなんておかしいじゃないですか」
着物の袂に手を入れて腕組みをした釼一郎は、不敵な笑みを浮かべた。
「明五郎さん、人というのはね。溺れた時には
「なるほど、囲師は周することなかれ……ですか」
感心した明五郎は、大きく頷いた。
「そうです。包囲網にわざと綻びを作ることで、敵を操るのです。当然、斎藤伸明も孫子ぐらいは知ってたはずです。しかし、いざとなるとそんなことは忘れてしまう。まあ、これも練り上げられた中川さんの策があればこそなんですけどね」
道の先の
「遅いですよ。お二方、待ちくたびれてしまいました」
小十郎が立ち上がって、嬉しそうに近寄って来る。竜之進も小十郎の後について、釼一郎達に声を掛ける。
「これから江戸屋敷に戻るところです。また護衛を引き受けて頂けませぬか?」
驚いた表情で、釼一郎と明五郎が顔を見合わせる。
「いや、それは構わないが。江戸にお戻りなさるのですか?」
「はい、大河内が取り仕切る藩に、我らがいては邪魔になるようで」
「その心配はないぞ!」
と、誰かが叫んだ後、塊が飛んで来て、釼一郎達の間に落ちた。
ごろり、と足下に転がった物は生首であった。小十郎と、竜之進が悲鳴を上げる。釼一郎と明五郎が刀に手を掛け振り向いた。そこには血だらけの孫市が立っていた。
「それが、大河内だ」
地面の生首を見ると、確かに大河内の首であった。
「俺はどうしてもそいつが許せなかった。元はと言えば、中川平太を除く際には我らと組んでいたくせに、風向きが変われば、斎藤様に全ての罪をなすりつけた」
吐き捨てるように呟きながら、釼一郎達に近寄って来る。身構えながら釼一郎と明五郎は、小十郎と竜之進を庇って道を塞いだ。
厳しい語調で、釼一郎が問いかける。
「その手負いの体でどうします? もう十分でしょう」
「ふふっ、俺が手負いだから勝てると思っているのか? 士は己を知る者のために死ぬ。俺は主君の恨みを必ず晴らすぞ」
孫市はさらに一歩近付いた。
それは、明五郎の間合いであった。明五郎は、反射的に抜刀した。
一瞬、明五郎が抜刀するよりも早く、孫市が踏み込んで柄を手で押さえた。明五郎に衝撃が走る。明五郎が孫市の腕を振り払おうとした瞬間、明五郎の体は一回転し、地面に叩きつけられていた。
孫市の体勢が整わないのを見て取り、釼一郎はすかさず上段から孫市に斬りつける。孫市は沈み込むように、釼一郎の懐に入り、肘をみぞおちに打ち込んだ。釼一郎がぐっと唸って崩れ落ちる。
あまりのことに竜之進は身動きが取れないでいる。孫市は震える小十郎に近づき頭を下げた。
「貴方のお命を頂戴致します」
小十郎は大きく息を吐いて、意を決した。
「……わかりました。ただ、この者達の命はお助けくださいませ」
孫市は無言で首肯した。小十郎は後ろを向いてひざまずく。孫市は刀を抜いて上段に構え、大きな気合と共に振り下ろした。
竜之進は叫んだ。
……が、それは声にならなかった。
ゆっくりと小十郎の体が崩れ落ちていく。竜之進が駆け寄り、小十郎を抱き抱えた。
……しかし、小十郎は息をしていた。小十郎の身に付けた
「わ、私は……」
と、小十郎がか細い声で言った。孫市は納刀して、細く息を吐いた。
「見事な覚悟だった。その夏羽織はそなたの身代わりとしよう。これで斎藤様に報いることができた。これ以上は無役な
孫市はうずくまる釼一郎の傍に立った。
「お主、山田家の一門だそうだな。首切りが上手かろう。俺の
釼一郎は腹を押さえながら言った。
「ま、孫市さん。貴方のような才を持った人が死んではいけない。その力を世のために使ってください」
孫市はふっと
「……どこにあると言うのだ。そんな場所が。もう良いのだ。俺は一度は死んだような者。斎藤様のために生きながらえていたに過ぎぬ。……頼む」
そう言って、孫市は頭を下げた。
なんとか引き止めようと釼一郎は言葉を探した。だが、この泰平の世に孫市ほどの力が活かせる場所があるだろうか。たとえ仕官が叶っても、強大過ぎる力は再び権力争いを巻き起こすだろう。
諦めた釼一郎は「わかりました」と答えた。
街道の外れに立つ、葉を茂らした
刀を抜いたまま、釼一郎は孫市に言った。
「辞世は?」
孫市は懐から
釼一郎は八双に構える。孫市は
「面倒をかけてすまないが、
「
短く釼一郎が答えると、孫市は脇差しを右手に持ち替える。孫市は釼一郎を見上げて、一度だけ頷くと釼一郎も応えた。
孫市は大きく息を吸い込み、脇差しをぐっと腹に突き立てた。そのまま、ぐぐぐっと力を入れて、横にずらしていく。孫市は小刻みに震えながらも、取り乱すことなく
釼一郎は刀を構えたまま身動き一つしない。あまりにも強烈な光景だが、明五郎も、小十郎も、竜之進でさえも目を逸らすことができなかった。
孫市の体が沈み込んだ。がっと、脇差しを引き抜いて、再びみぞおちに突き刺し、一気にへそまで切り下げた。
「お見事」
釼一郎が呟いた。
と、同時に釼一郎の刀が首筋に入った。首が、がくりと下がる。首は皮一枚を残して繋がっていたが、やがて、ゆっくりと孫市の血溜りの中に落ちた。
明五郎は、孫市から受け取った辞世の句に目を落とした。実直に生き、そして死んでいった、孫市らしい筆運びであった。
武士の道
ただ一筋に
進めども
重秀
「悲しい辞世ですね」
明五郎はうつむいて、ぼそりと言った。
一同は無言になった。
そんな空気をかき消すように、釼一郎は満面の笑みを浮かべて言った。
「さあ、孫市さんを弔ったら江戸に戻りましょう」
-第一部 完-
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