第9話


 翌朝、釼一郎たちは宿に垂れのついた駕籠を手配し小十郎が乗り込んだ。

 二人の駕籠かきが駕籠を担ぎ、駕籠の前には明五郎、後ろに釼一郎、そして駕籠にぴったり張付くように、隣を竜之進が歩く。

 跡をつけていた蕎介が、戻って来て畑中に報告した。

「奴ら駕籠にしたようです」

「獲物が乗り込むのを見たか?」

「はい、確かめました。大丈夫でしょうか?」

 駕籠の人足が増えたことを蕎介は懸念していた。合わせて五人では、流石の畑中も対応しきれないのではないか……。一人は刀が折れたとはいえ、相当の腕利きである。

 しかし、畑中は全く違うことを考えていた。駕籠かきの人足は物の数ではない。すだれで覆われてはいるが、中の人間を切りつけるのは容易である。むしろ、簾のせいで襲われる時が察知しずらく、逃げ出し難い。畑中は攻め手を思いついて、にやりとした。

「よし蕎介、槍を手にいれてこい」


 いつの間にか日が隠れ、厚い灰色の雲が空を覆っていた。美しい姿で旅人の目を楽しませていた富士もすっかり姿を隠している。蛙が一斉に鳴き始めた。温度が下がってきている。一雨来るな、と釼一郎は天を仰ぎながら思った。

 ふいに、後ろからの殺気に気づいた。駆け足の音が近づいてくる。釼一郎が振り向くと、畑中が眼前に迫っていた。畑中は飛び込みざまに、刀を走らせてくる。とっさに後ろに避けながら、釼一郎は腰の刀を鞘から抜き出して受ける。びりびりと、手に痺れが走った。

「竜之進さん! 駕籠を止めないでください」

 釼一郎が叫んだ。駕籠かき達は必死で足を速める。先を歩いていた明五郎が振り向いて、駆け寄ってきた。

「チッ」

 畑中は、舌打ちして、刀を構えたまま後ずさりし、反転して逃げ出した。

 釼一郎と明五郎が後を追う。

 その時、脇の茂みから蕎介が現れた。手には長槍を持っている。

「しまった!」

 竜之進が叫んだ。が、既に遅かった。駕籠に向かって、蕎介は力の限り槍を突き立てた。

――仕留めた!

 蕎介が槍を持つ手にぐっと手応えがあった。

「貴様ッ!」

 竜之進が抜刀して叫んだ。蕎介は槍からパッと手を離すと、一目散に走りだした。

「畑中さん!やりました。仕留めました」

 逃げながら叫ぶ蕎介の声を聞いて、畑中が立ち止まり振り向いた。

「役目は果たした。後は、お前らを斬る番だ」

 刀を構えた釼一郎は、半眼になって細く深く息を吐いた。そのまま明五郎に声をかける。

「明五郎さん、私が相手します。下がってください」

 明五郎はうなずいた。畑中は釼一郎から出る独特の気を感じて、笑みを浮かべる。

「おまえ、相当人を斬ってるな?」

「ええ、おそらくあなたよりも」

 顔色を変えず釼一郎は言った。

「ほざくな」

 鼻で笑いながら、畑中はぐっと身体を落とした。瞬間、鋭い薙ぎ払いが飛んでくる。釼一郎は紙一重でこれを避け、袈裟 けさ斬りに踏み込む寸前、踏み止まって体をかわす。すんでのところで畑中の返す刀が、胴の皮を撫でて行く。傷は浅いが、ぬるりと血が垂れるのが分かった。

「なかなかやるな。お前もこの退屈な時代は、うんざりであろうな」

「いえ、十分満足していますよ」

 答えながら、今度は釼一郎が水平に刀を走らせる。畑中は、その剣をすり上げながら、踏み込んで逆袈裟に振り下ろした。釼一郎は身を捩ったが、足を滑らし水を張った水田の中に落ちていく。

 泥の水しぶきが上がった。

――とどめだ。

 畑中も追って水田に入る。だが水田は畑中が思った以上に深く、足元がずぶりと沈み込んだ。これでは斬り合うどころか、身動きが取れない。

――チッ、一旦外へ。

 畑中がもがいた瞬間、釼一郎が小刀を投げつけてくる。畑中は、刀で叩き落とした。釼一郎が懐に手を入れた。

――くっ、田に落ちたは動きを封じる罠か。小賢しい。

 畑中が釼一郎の手の動きに警戒しつつ、重心をずらした時だった。背中に何かがぶつかる感触があった。身を捩らせて見ると、明五郎が槍を突き出している。

「うぐっ、ひ、卑怯だぞ」

 明五郎は眉一つ動かさず、 矜持きょうじを持って答えた。

「拙者は武士でござる。主を守る為なら、手段は選びませぬ」

 明五郎は槍を引き抜き、再び畑中へと深く突いた。

 槍先が深々と畑中の身体に侵入していく。畑中は刀を後ろ手に回しながら、槍を叩き斬った。

「ぶ、武士か……。そ、そうか、武士か」

 さーっと、雨がやってきて激しく水面を叩き始めた。土砂降りの雨が畑中の身についた泥を洗い流す。

「おい!」

 畑中は明五郎に向き返り、刀を突き出した。

「真改だ。お前にくれてやる。 閻魔えんまへの土産には勿体無いからな」

 畑中はもう一度釼一郎に向き直り、にやりと笑った。

 それが畑中の最後だった。畑中の身体は、ゆっくりと水田の泥の中に倒れこんだ。

「釼一郎さん」

 明五郎が叫んだ。

「大丈夫。それより小十郎さんは?」

「私は大丈夫です」

 遠くから白衣に身を包んだ六十六部姿の小十郎が応えた。

「釼一郎さんの狙い通りでしたね」

 小十郎は駕籠の中で着替え、駕籠かきが休む間に抜け出していたのである。竜之進が駕籠の簾を上げると、身代りの巻藁が転がり出てきた。藁に着せた着物には、槍が突き通した穴が開いていた。

「しかし、なぜ刺客が槍を使ってくると思ったのですか?」

 篠突く雨に打たれながら釼一郎が答える。

「畑中なにがしの腕前がもう一人でもいるか、数に頼むのであれば駕籠を襲うのはたやすい。ですがね、畑中さんは一人でやりたい男だし、もう一人の刺客は剣の腕は当てにはならない、となると、飛び道具か長物を使うしかない。弓や鉄砲は素人が使うには荷が重い。おのずと槍に絞られてきますね」

「でも、もし刺客が槍を使わなかったら?」

「こちらも準備してますよ」

 釼一郎は、駕籠を担ぐ棒を指差した。竜之進が近寄ってみると、棒は節が繰り抜かれた竹で作られており、中に槍が納められていた。

「こ、これは……」

「まともにやれば、二人掛かりでも危うかったですからね。恐ろしい人でしたよ。いい腕なのに、道を踏み外して……、本当に惜しいことだ」

 畑中の死体をあぜへと引き上げた後でも、明五郎は呆然と立ち竦んでいた。釼一郎は、明五郎に近寄り、ぽんぽんと肩を叩いた。

「明五郎さん、真改を貰っておきなさい」

 釼一郎に声をかけられて、明五郎は困惑した。

「い、いやそういう訳には……」

「そうしなさい。それが供養だ」

 そう言って、釼一郎は真改を明五郎に手渡した。明五郎はためらったが、思い直したように刀を受け取りゆっくりと黙礼した。

 雨は降り続いている。

 降りしきる五月雨を喜ぶ、蛙の鳴き声が響いていた。

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