第5話

小十郎の語るところによると、遠江の康国寺藩主、 永野筑後守宗重ながのちくごのかみむねしげの第一子として生まれ、幼き頃から江戸屋敷に移り住んでいた。江戸時代は「入鉄砲に出女」と言われるように、江戸から出て行く女性を厳しく取り締まっていた。男子として育てられたのは、何かあった時に国元に帰りやすくするためだったらしい。

 小十郎の母は産後の肥立ちが悪く、小十郎を出産した後亡くなってしまったという。その死を嘆き悲しんだ父の宗重は、後妻を娶ることを拒み続け、小十郎を女と隠したまま当主にしようと考えていたようである。

 ところがおととしのこと、後妻に豊姫を迎え、その一年後に男子の亀千代が生まれた。するとにわかに小十郎の周りが不穏になってきた。一番の原因は小十郎と腹違いの弟、亀千代を豊姫が嫡男にしようと考えているかららしい。

「まあ、よくある話ではありますな」

 釼一郎が青黒くなったあごひげを撫でながら言った。

「私も信じたくはないのですが……」

「その情報は誰から?」

「家老の 大河内おおこうちです。昔から私のことを可愛がってくれておりました。近頃は父の具合がすぐれず、一刻も早く国に戻って欲しいとのことでした。私に跡目を継がそうとしているのかもしれません」

「で、小十郎さんが跡目を継ぐと、都合が悪い奴らがいる、ということですな」

 釼一郎は腕組みをして目を閉じた。

「留守居の斎藤様は、このことをご存知だったのですか?」

 竜之進が小十郎に聞いた。

「分からぬ。大河内からは誰にも漏らさぬよう念を押されていたので、斎藤には、国に戻りたいことだけを伝え、旅の手配をしてもらったのだ。ただ……。竜之進を護衛にと言われた時点で、疑っていた」

 竜之進は無言になった。護衛としては役立たずの竜之進を指名したということは、斎藤の思惑があったに違いないのだ。悲壮な決意を持って、国元への帰還に臨んだ小十郎に比べ、危機感のない自らの心構えを恥じた。

 教育役として、時には兄として、幼き頃の小十郎に仕えた竜之進は複雑な気持ちであったが、何としても小十郎を守りたいと思った。

 留守居の斎藤が黒幕だと、小十郎にとってはかなり分が悪い。今は斎藤の息子、 斎藤伸明さいとうのぶあきが、筆頭家老として藩の実権を握っているからである。

 考えれば考えるほどに竜之進には斎藤が怪しく思えてきた。この旅は小十郎が国元に帰り、藩主の永野宗重に顔を合わす、ということしか聞かされていないのである。とにかく、家老の大河内に会って状況を知る必要があった。

「釼一郎様、一日も早く、藩に帰った方が良いのではないでしょうか? 早駕籠を乗り継ぐなどして」

 不安気に竜之進が釼一郎に相談する。

「そこが、考えどころなのですがね。もし、息子の斎藤伸明が黒幕の一部だとしたら、遠江に近付くほど、備えが万全になっていくかもしれません。腕っこきの集団に襲われたら、わしと明五郎さんでも守りきれるかどうか……」

 目を閉じて話を聞いていた明五郎が口を開く。

「こちらはわかっていることが少なすぎます。大河内様に文を出し、様子を教えてもらってみてはいかがでしょう?」

「確かに、明五郎さんの言う通りだね。最初の刺客の腕を考えると、まだ追手の方がなんとかなりそうだ。そうそう、永野様の容態も聞いといてください。出来るだけ詳しく。医者の心当たりがあることも書き添えて」

「医者の心当たり?本当ですか?」

「はい、安心してください」

 力強く釼一郎はうなずいた。


 天龍寺から四ツを告げる鐘が響いて来る。蕎介は権太坂での仕事をしくじった後、駕籠を乗り継いで剛三の待つ内藤新宿に着いた。長時間駕籠に乗っているのも楽でない。すっかり腰が痛くなったが、いち早く剛三にことのしだいを伝える必要があった。仕事へのひたむきさが、剛三が蕎介に信頼を寄せているゆえんである。実入りの少ない岡っ引きの仕事には、さほど熱心ではないようであるが。

 すでに町の入口である木戸は閉められていたが、番太に一声かけて木戸を開けてもらうと剛三の屋敷に向った。屋敷へ着くと見張りをしていた若い衆に、桶を頼み足の泥を落として奥の剛三の部屋に入った。剛三は、情婦のおよしを隣に、上機嫌で酒を楽しんでいる。

「おお、蕎介か。首尾はどうだ?」

 剛三のだみ声には、荒くれ者をおとなしくする迫力がある。長年の付合いがある蕎介でも、しくじりを伝えるには少し 躊躇ちゅうちょしてしまう。

「じ、実は、親分」

 剛三の眉間にぎゅっと皺がよった。空気を呼んだのか、およしが立ち上がって、いそいそと部屋を出て行く。蕎介は、脇に一筋の汗が流れ落ちるのを感じた。

「その、邪魔が入りやして。助っ人が」

「何? 助っ人は役立たずのはずだろう?」

「いえ、他にも二人の助っ人が現れて、あっという間にこちらの手の者が、片付けられてしまいやした」

「何者だ? そいつらは?」

「それが、さっぱりわからずで。ただ、上役に依頼されていたようですし、逆に挟み撃ちの格好になったもんですから、ひょっとすると、こちらの動きが漏れていたのかも……」

「本当か? それは?」

 蕎介が一通り顛末を伝えた。剛三は酒に手を付けるのを止めて聞いている。蕎介の話が終わると、手元に煙草盆を引き寄せ、煙管を取り出した。無言で煙草の葉を詰め、屈み込んで火入れに煙管の先端を入れた。ぱっぱと吸込むと、煙管の先端がぽっと赤くなる。腕組みをして目を閉じ、大きく煙を吐き出してから口を開く。

「少し甘く見ていたようだ。今回用意した奴らじゃ、力不足だったか。ご苦労だったな」

「いえ、そんな……」

 強面の剛三からさり気なく出るねぎらいの言葉が、蕎介には嬉しかった。岡っ引きの仕事では、同心達に手足のように使われても、感謝の言葉一つないどころか、自分達の不手際を押付けられることさえある。侍よりも剛三の方が、よっぽど徳があるに違いない。世が世なら、講談に聞くようなひとかどの武将になっていたのかも知れぬ。

「畑中先生に頼んでみるか」

 剛三は 灰吹はいふき煙管 きせるをトンと叩いた。

「蕎介、悪いが先生が仕事を引き受けてくれたら、明朝すぐに発ってくれねぇか? 今晩はうちで休んで行ってくれ」

 蕎介はわかりました、とうなずいた。


  畑中麟はたなかりんは御家人の次男として生まれた。小さい頃から剣に冴えがあり、士学館 しがくかんでは若くして免許を受ける実力の持ち主であった。

 幕末には江戸三大道場と呼ばれるほどの名門となった士学館であったが、この頃は他流派からの嫌がらせを受けていた。あまりにも執拗な嫌がらせに、二代目の 桃井春蔵ももいしゅんぞうは道場を移転した程である。

 畑中は道場の中でも屈指の実力だったので、度々申し込まれる他流試合の際には、代表の一人として選ばれ、ことごとく相手を打ち負かしていた。ある日のこと、畑中が試合に臨もうとすると、相手が挑発してきた。

「ふん、しょせん竹刀などでは剣の真似事よ」

 士学館は竹刀の稽古が評判になり門人が増えていた。木刀を使って稽古をする他の道場からは、軽んじられていたのである。

 元来、血気盛んな畑中のことである。挑発を聞き流すほどの胆力もなく、また剣なら誰にも負けないという自信もあった。

「なら、真剣でやってみるか?」

 当然、他流試合は真剣での勝負は禁止されていた。だが、この日は桃井春蔵が留守をしており、剣の腕では道場一の畑中を制する人間がいなかった。

「む、む」

 真剣と聞いて、言い出した本人の腰が引けている。木刀での対決なら有利と考えていたのであろう。畑中は不敵な笑みを浮かべながら、相手の男に顔を近付けて言った。

「心配ご無用でござる。お主は真剣、 身共みどもは竹刀で構わん」

「な、何?」

 真剣に竹刀、どう考えても竹刀が圧倒的に不利なのである。避けることは出来ても、受けることは出来ない。相打ちどころか完全に先手を取っても、致命傷を受けるのは竹刀の方である。

 男はほくそ笑んだ。

――ふん、生意気な奴だ。肉を斬らせて骨を断つ、多少打ち込まれても、腕の一本でも切り落としてやれば、胸がすくというものよ。

「わかった。但し、試合のこと。何が起こってもお互いに遺恨を残さぬ。それで良いか?」

 相手の男は念を押した。畑中は鼻で笑った。

「元よりその覚悟でござる」

 二人は道場で相対した。礼をして二人とも青眼に構える。

 一人は真剣、一人は竹刀。

 男が少しでも真剣を払えば、竹刀が斬裂かれそうでもある。

 じりじりと、男が前に詰める。畑中もそれに合わせて下がる。圧倒的優位の男の表情には、余裕さえ感じられる。

 男の動きが止まった。畑中もピタリと静止した。二人の間に時だけが流れて行った。試合を見守る剣士達も息を飲んだ。

 男が息を吸う。

 激しい掛け声と共に、畑中の脳天目掛けて打込む。と、その瞬間、畑中も飛び込んだ。正に後の先、である。正確無比な突きが、男の喉仏に直撃した。男の体は宙を舞い、そして道場の床に叩きつけられた。

 わっと、士学館の剣士から歓声があがった。慌てて、男の仲間が駆け寄る。見開いた目、泡を吹いた口からだらりと伸びた舌。男は絶命していた。


 それから道場は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。男は、有力な旗本の跡取りだったばかりか、知らぬ間に畑中が真剣で斬り殺したことになっていたのである。

 桃井春蔵も尽力はしたのだが、禁止されていた真剣での試合を受けた畑中を処罰しない訳にはいかない。日頃から剣の腕を笠に着て、横暴に振舞っていた畑中を疎ましく思っていた者は多く、この機会を利用して追落しを図られ、畑中は破門された。すでに当主になっていた畑中の兄も、旗本に恐れをなして畑中を勘当して収束を図った。

 それから畑中は、絵に描いたように転落していった。桃井からの口利きの仕事もすぐに辞めてしまったし、酒と女と博打に溺れる日々であった。賭場の喧嘩で、人を斬ったことも数え切れない。酒を飲んで暴れると手に負えず、まるで狂犬のようであった。

 そんな畑中を、剣の腕を見込んで食客としたのが剛三である。畑中も不思議と剛三の言葉には大人しく従った。特に侍を斬る仕事であれば、二つ返事で引受けるのである。

 蕎介との話合いの後、剛三はすぐに使いをやって、賭場の畑中を呼びつけた。

「どうだい先生?やってくれるかい?」

「やるもやらないも、こちらからお願いしたいぐらいだ」

 腕が立つ浪人と、名門の若侍。断るどころか、願ってもない仕事であった。

 とにかく人が斬りたくてうずうずしているのである。剛三は用意していた金を畑中に差し出した。

「これは手付の二十五両。残りは仕事の後で。では早速、明朝から追ってくれますか。他にも人を手配しておきます」

 小判をたもとに収めながら畑中は答えた。

「いや……。一人で充分だ。つなぎだけ頼みます」

 剛三は畑中に酒を勧める。

「流石は先生だ。相手が強ければ強い程、やる気になってくれますね」

「このところ、手応えのある奴を斬ってないからな。腕が鈍って仕方が無い」

 そう言って、注がれた酒をぐいっと飲み干した。

 翌朝早く、蕎介と畑中は剛三の屋敷を立った。まだ星が残る東の空には、ぼんやりとかぎろいの立つのが見えた。

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