第3話

権田坂の二番坂も残りわずかというところで、先を行く小十郎が立ち止まる。左右を見渡して竜之進に小声でささやいた。

「竜之進、先程、二人の浪人が追い越して行ったのに気づいたか?」

「えっ」

 小十郎の声にぴりりとした緊張感がある。

「我々を襲うとしたらこの辺りではないか」

 竜之進も立ち止まって、周囲を見回した。木々に囲まれて昼間だというのに薄暗く、左右が山に挟まれ 隘路あいろになっている。

「死地とでも言おうか。私だったら前後から挟み撃ちをするな。竜之進、怠るなよ」

「は、はい」

 じっとりと滲んだ汗が、知らぬ間に冷や汗に変わっている。

――安全な旅ではなかったのか……。

 そう思いながら竜之進が刀の柄に手を掛けた時、二人の浪人が行く手を阻んだ。頭巾から血走った目だけがのぞいている。

「おい。ちょっと待ちな」

 竜之進と小十郎は足を止めた。竜之進の心臓は高鳴っている。今まで道場で稽古はしてきているが、実戦は初めてで、人を切るどころか真剣もろくに振るった経験はない。

「誰の手の者だ」

 小十郎が 誰何すいかした。浪人達は無言で、手に持った刀を青眼に構える。気づくと後ろに、三人の男が構えている。

「ふん。まあいい。浪人風情に切られるのも口惜しいが、ここが死に場所でもいいかもしれぬ。ただではやられんぞ。刺し違えるつもりであるから覚悟せよ」

 そう言い放って、小十郎も抜刀して青眼に構える。その気迫に、浪人達は少し気圧されている。竜之進も剣を構えているが、どうにも切っ先が定まらない。

「竜之進。そなたには悪いが、付き合ってもらうぞ」

「は、はい」

 浪人達は、じりじりと間合いを詰める。竜之進と小十郎は、背中合わせになって、浪人達の飛び込みを警戒した。

 下り側に立つ浪人の一人が上段に構えた。

――切られる。

 竜之進がぐっと身を固くしたその時、

「ぐぁ!」

 上段に構えていた男から声が上がった。男の右肩に、深々と小刀が刺さっている。と、同時に誰かが飛び込んできて、立て続けに他の二人が斬られた。

 瞬く間に三人が片付けられ、竜之進は何が起こっているかわからずにいた。

 それは坂の上側に構えていた二人の浪人も同じで、状況がわからず呆然と立ち尽くしている。

 その一瞬の隙を見逃さず、小十郎が浪人の一人に小手を仕掛ける。

「うぐぁ」

 浪人は右手を深々と切られると、悲鳴を上げて刀を落とした。最後の一人が、慌てて小十郎に向き直ったが、竜之進がかばうように小十郎の前に出る。

「さ、下がっていてください。こ、ここは私が」

 震えながらも身をていする竜之進の心意気は見事である。

「くそっ」

 残り一人は剣を構えたまま後ずさりをして、そのまま向きを変えて坂道を駆け上って行った。

 竜之進は剣を構えたまま、その場に座り込んだ。


 岩陰で様子を窺っていた蕎介は、五人の浪人がわずかの間に倒されるのを目の当たりにして動揺した。

――一体どうなってるんだ?あんな凄腕の加勢がいるなんて、聞いてねぇぞ。

 内藤新宿の剛三の話では、「なあに、五人もいりゃ、万が一にもしくじりはねぇ。相手は若侍。その上、念には念を入れてもらって、剣の腕が立たない護衛ときたもんだ。赤子の手を捻るようなもんさ」という、抜かりのない算段だったはずである。

 ところが挟み撃ちにしたつもりが、逆に迎え撃たれた格好になってしまった。こちらの策略が、筒抜けだったのか……。

 若侍達と共に二人の浪人が見える。一人はずいぶんとみすぼらしいが、浪人二人を切り伏せている。かなりの腕前の様子である。

「間に合って良かった……。怪我は?」

 釼一郎が、小十郎に手を貸しながら声を掛ける。

「はい、お陰様で助かりました」

「あ、あなた方は?」

 竜之進は刀を鞘に納めながら、側の明五郎に問い掛けた。明五郎は困惑顔で、釼一郎を見る。

「我々は、お二方を守るように頼まれておりました」

「それでは斎藤様が?」

「そうです。そうです。斎藤様です」

 釼一郎が満面の笑みでうなずくと、竜之進と小十郎、二人の若侍は安堵の表情を見せた。

「ささ、人が来ると面倒だ。ひとまずこの場を離れましょう」

 若侍二人が従って歩き出した。釼一郎は周囲に鋭い視線を送る。蕎介は思わず身を隠して息を潜めた。

――いけねえ。わけがわからねぇ。とにかく剛三親分に知らせよう。

 途中で早駕籠を拾えば、今日中には内藤新宿には戻れると考えた蕎介は、一行が過ぎ行くのを見届けた後、急いでその場を離れた。


 釼一郎と明五郎と、竜之進、小十郎の四人は、権太坂の終わり、境木さかいぎにある立場の茶店で名物のぼた餅を頬張っていた。立場というのは、宿場と宿場の間に設けられた休憩所である。境木の立場は西に富士山、東に江戸湾を望む見晴らしの良い場所であった。

 美しい眺望に旅人達は江戸から上方かみがた方面への旅立ちでは期待を膨らまし、江戸に戻る時には長旅の終わりを味わったのであろう。

「素晴らしい眺めです。富士があんなに大きく見えるのですね」

 小十郎は、富士と海を交互に眺めながら、無邪気に声を上げた。先ほど賊に襲われたというのに、すっかりと落ち着きを取り戻しているどころか、旅を楽しんでいる風でもある。

「西へ向かうのは初めてですかい?」

 ぼた餅をもぐもぐと食べながら、釼一郎が小十郎に問いかける。

「生まれは江戸ではないのですが、幼きころのことゆえ……」

「そうですか、ところで、お二人を何とお呼びすれば良いのでしょうか?」

 そう言って釼一郎は、竜之進と小十郎に視線を投げかけながらお茶をすすった。小十郎はちらりと竜之進を見た。竜之進は湯呑みを両手で包み込むように持って、まだ落ち着かない様子だった。ぼた餅に手も付けていない。

 茶を腰掛けに置き一呼吸待ってから、竜之進は釼一郎に答える。

「斎藤様から、我々のことは何とお聞きになったのです?」

「いや、斎藤様なんぞは、知りませぬ」

「え?」

 竜之進はきょとんとしたが、慌てて釼一郎に問い正す。

「先ほど、斎藤様から依頼を受けてきたと……」

「ああ、あれはね。とっさに話を合わせたんですよ」

「それは一体……?」

「わしは、小谷釼一郎。こちらは本木明五郎先生。わしの用心棒」

 明五郎が竜之進と小十郎に頭を下げると、二人も礼を返す。

「まあ、簡単に事情を話しますとね。二人して江戸に戻る途中、あなた方お二人の跡をつける怪しげな浪人どもに気付いて、追いかけてみたら案の定だったわけで。浪人の他にもう一人の町人がいたはずだが姿が見えない。これは、どこかに潜んでいて見張っているなと。それで、とっさに話を合わせた。というしだいですな」

「そ、それでは、我らのことは?」

「ええ。全く存じ上げません」

 釼一郎は、胸を張って言った。竜之進と小十郎は、顔を見合わせた後、釼一郎と明五郎を交互に見た。しばらくの沈黙の後、竜之進が口を切った。

「そうでしたか……。私は兄の竜之進、こちらは弟の小十郎です。見ず知らずの私達を助けていただき、改めて感謝いたします」

 小十郎と竜之進が深々と頭を下げた。

「いやいや、面白そうなことになりそうだったもので、野次馬根性が騒ぎ出しましてな。とにかく、間に合って良かった」

 竜之進が、申し訳なさそうに言った。

「このお礼はどうしたら良いか……。あいにく旅先なもので、あまり持ち合わせがないのですが……」

 このやり取りを、脇で眺めていた明五郎は感心していた。

――なるほど、釼一郎さんは、こういう展開を考えていたのか。どこぞの侍であれば、少しばかりはいただけるはずだ。これはありがたい。

「いや、お気になさらず。お礼は結構でございます」

 胸を張ったまま釼一郎は答えた。

「えええ? け、釼一郎さん?」

 明五郎が驚きの声を上げる。思わず声が裏返ってしまう。

「いや、それでは我らも困ります」

 小十郎も困惑している。釼一郎は身を乗り出して言った。

「そうですな。あなた方はこれからどちらに向かわれるのですか? 箱根を越えますか?」

「は、はい、袋井まで」

 小十郎はとっさに本来の目的地とは異なる場所を伝えた。この二人の正体と目的が分からないので、警戒を緩めるわけにもいかない。そんな小十郎の気持ちを知ってか知らずか、釼一郎は二人の若侍に提案した。

「では、これから袋井まで、我々を改めて用心棒に雇ってみて頂けませんかね?」

 竜之進と小十郎、明五郎は、釼一郎の顔を見た。

「今回襲って来た奴らは、ただの野盗やとうではなさそうだ。おそらく、改めて襲ってくると思いますよ。どうです? まずは一日百文と宿代、飯代。後は無事送り届けてからでいかがでしょう?」

 竜之進は、けげんな顔をして、小十郎にそっと耳打ちをした。

「あまりにも話が出来過ぎておりませぬか?まさか、先ほどの者たちとぐるなのでは?」

「あー、それはないない」

 聞き耳を立てていた釼一郎は、手を振って大げさに否定する。小十郎も首を振り、竜之進に向かって言った。

「兄上、そんな回りくどいことをしなくても、我らはあの場で浪人どもに斬り捨てられていたでしょう。助けた後でも我らと話を合わせておけば良かったはずです」

 少しの沈黙の後、小十郎が言葉を続ける。

「では、無事に送り届けて頂いた場合は、いくらお支払いすればよろしいのでしょうか?」

「そうですな、一人二十五両、合わせて五十両ではどうでしょう?」

「ごごご、五十両?」

 明五郎は興奮しすぎてお茶を吹き出した。

「それはちと、高すぎるかと……」

 この頃の一両は、四千から六千文ぐらいである。蕎麦一杯に難儀する明五郎にとっては想像もつかない大金である。

 小十郎は少し考えてから言った。

「いや、結構でございます。むしろ我らだけでは一寸先は闇。それに野盗では五十両貰えることはそうそうないでしょう」

 始めに大金を渡してしまうと、途中で逃げ出すかもしれない。一両や二両なら、面倒な護衛より持ち金を奪った方が、はるかに楽だし金になる。後金で五十両なら道中で疑心暗鬼ぎしんあんきにならず、安心して旅が出来るであろう。ある種、釼一郎の気遣いなのかもしれぬ。

「察しがいいですね。おっと、そろそろ戸塚に向かいましょう。日が暮れてしまう」

 釼一郎はそう言って、お茶を口に含むと、立ち上がった。が、思い出したように言葉を続けた。

「そういえば、竜之進さんは家の嫡男かい?」

 一瞬、釼一郎の意図が飲み込めず、竜之進は少し間を置いて答えた。

「はい、私が嫡男です」

「そうかい、そうかい」

 釼一郎はにんまりと笑った。

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