第82話 伽藍の悪魔 6


 あとがきの文面を見て私は、「そういうことか!」と叫ぶ。このkyokaキョウカという作者は駿我するがを愛している、もしくは信望している存在だ。その上でこの「空っぽの私たち」を書き上げたのだ。そうしてそれだけでは飽き足らず、私にも取り憑いて駿我するがの物語を書かせ──


 そう、これが答えなのだ。空っぽの私たちの作者がの正体なのだ。このkyokaキョウカという作者の生霊がなのだ。駿我杏香するがきょうかの一人目の娘の怨霊、もしくは従姉の生霊という答えは違ったのだから──と思うと同時、私は絶望した。──と。


 なぜなら私の書いた文章中で、kyokaキョウカになり得る存在はしかいない。確か従姉の父、智治ともはるは作家だったはずだ──と、ノートパソコンを開いて「駿我杏香の手記1/6」の頁を開く。やはりそこには「一人娘(私にとっては二人目の娘)も、そんな私達を大切にしてくれ、将来は医者か作家になりたいと、両極端なことを言っているのが微笑ましい」と書かれている。


 駿我するがと接点があり、尚且つ将来作家になる可能性が示唆されている女性は従姉だけ。つまりkyokaキョウカ駿我するがの従姉ということになる。そうなれば答えは従姉kyokaの生霊、もしくは従姉kyokaに取り憑いている駿我杏香するがきょうかの一人目の娘の怨霊ということになるのだが──


 「変わらないじゃないかよぉ……」と、私の口から力無く言葉が漏れ、項垂れる。そんな項垂れて視線を落とした私の目に、の足が映る。顔を上げると、口角を吊り上げて「あはァ──」と笑う悪意そのもののようながそこにはいた。私の口からは諦めにも似た「はは……」という乾いた音だけが漏れ出る。


 この後で私は苦痛の中、解体され、また同じように理不尽な推理ゲームをさせられ──


 あはァ?


 が上体を不自然に折り曲げ、にたにたと私の顔を覗き込む。ゆっくりと私の残った右目に向けて手を伸ばし──


 「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」と私は叫んで、階下へ続く階段へ向かって駆け出した。今回は一度目とは違う。。ゆっくりとじっくりと体を解体され、私は痛みの沼に沈むのだ。


 そんなのは無理だ。狂ってしまう。例え死んで戻ったとしても、心が死んで元になど戻れる気がしない。捕まったら心が死ぬ。もう推理どころではなくなってしまう──と、無我夢中で駆け出した私は、予定調和の如く階段を転げ落ちた。そのまま踊り場の壁に激突し、もうどこが痛いのかも分からない程に体が痛んで、くぐもった嗚咽を漏らす。


 逃げるために上体を起こそうにも、四肢を動かそうとすると全身に激痛が走る。これは詰んだな──と階上に視線をやると、が頭を抱えてこちらを見下ろしていた。あのにたにたとした不気味な笑顔は消え去り、ぎりぎりと歯を食いしばって私を睨みつけ──


 なんで……


 なんでぇェぇぇ……


 なんでェぇええぇぇエェ! 落としたァぁ゙ぁ゙ぁぁぁぁぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!! のぉぉおォォぉぉオぉぉオぉぉぉおォォおぉぉォォォぉぉおぉぉぉォオぉぉぉおォォおぉぉォォォぉぉおぉぉぉォオッ!!


 凄まじいの叫び。聞いただけで死を覚悟させられる、殺意に彩られた激情の慟哭。私は鷹の前の雀や、蛇に睨まれた蛙の如く縮こまる。だが──


 やはり今のの叫びで確信する。駿我杏香するがきょうかの一人目の娘は。「駿我杏香の手記5/6」の頁に、と書かれている。


 「……かはっ……はっ……はぁ……」と、私は全身を襲う痛みに耐えながら立ち上がり、「それだけじゃ足りないってことなんだよな……」と、踊り場から階下へ向けて歩き出す。は相変わらず悍ましい叫びを上げながら身を捩っていて、チャンスは今しかない。ここで距離を取って何とか真実に辿り着くしかないのだ。捕まれば拷問を受けて心が──


 死ぬ。


 私は壁に凭れ掛かりながらずるずると階段を下り、「不自然だ不自然……鷹臣たかおみが言っていたんだ……不自然を……不自然を見つけて……」と、ぶつぶつと呟く。「空っぽの私たち」を読んだことで、の正体は従姉kyokaの生霊、もしくは従姉kyokaに取り憑いている駿我杏香するがきょうかの一人目の娘の怨霊で確定した。のだが──


 それでは違うのだ。


 が違うのだ。


 そもそもなぜ、従姉は母の「きょうか」という名前をペンネームにしたのか。空っぽの私たちのあとがきには「私の名前ペンネームkyokaキョウカ。そう、あなたの中で狂おしい程に強く香りたいという思いを込め──」と書かれていたので、漢字で表記するとすれば、もしくはだろうか。


 そのまま私は「名前……名前……ペンネーム……kyokaキョウカ……」と呟きながら階下の踊り場に辿り着く。だがもはやそれが限界で、踊り場の壁に凭れ掛かって座り込んだ。相変わらず考えることを放棄したくなるほどの激痛が私の脳内を支配しているが、何とか「不自然……違和感……」と口に出して思考する。


 とりあえずノートパソコンを開き、これまで私が書いてきた、書かされてきた文章に目を通す。そうして「名前……名前……」と呟きながら目を通すことで、不自然とまではいかないが、よくよく考えて不自然な事柄が目に留まる。それは人物名のルビ振りについてだ。


 私はこれに気付いた瞬間、ルビの語源が示すとおり、人物名に振られた文字がrubyルビーのように輝いて見えた。

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