伽藍の悪魔

鋏池 穏美

はじめに


 私は今、この文章を書きながら震えている。あまりにもおぞましく淫靡いんびであり、凄惨せいさんを極めた事件の顛末。書くことも躊躇われ、一文字刻むごとに暗澹あんたんたる思いに駆られる。


 伽藍胴がらんどう殺人事件──


 駆け出しの作家である私が当事者となった事件である。当事者──とは言ったが、果たして私は全てを理解することが出来ているのだろうか。多くの人間の欲が絡み合い、醸成じょうせいされ、常人には理解することの叶わない末路へと至った事件。


 私はこれまで何度か非現実的なを見聞きしているが、この事件は最早それ自体が人知の及ばないのように感じられる。事件自体は解決を見せたのだが、捜査に尽力して下さった警察関係者の方でさえ、起きていたのかを正しく理解していないだろう。


 そして私は今、震えているのだ。当事者だが何も知らず、かといって全てを知ってしまったが故に囚われてしまった私。初めはこの事件を文章に起こそうなどとは思っていなかった。もちろん起こした文章を発表するつもりも毛頭ない。


 どう文章をこねくり回したところで、悪趣味な作品となってしまう。また、残された遺族の方々のためにも発表すべきではないと思っている。証拠も揃い、犯人も捕まった。自白もあり、の犯行だということは明白だ。だが、世間や警察はそれ以外のを知らない。週刊誌によって暴露された、ゴシップとしての内容しか知り得ていない。


 この事件を世に知らしめた、田村凛花たむらりんかの美しく儚い容姿。身の毛も弥立よだつ惨殺死体となって発見された衝撃。生前、数百を越えるだろう性的な関係を持った者の数。性的倒錯者との交際、裏切り。加速度的に墜ちていくその全て。果ては田村凛花たむらりんかに執着し、と言い張り、その人生の幕を下ろした哀れな


 私には書けない。書くことが出来ない。人はこれほどまでに醜くなれるものだろうかと、総毛立つ思いである。だが書かなければならないのだ。書かなければ私はおかしくなってしまう。


 今も私の耳元では──


 かいて……

 わたしとりんか※※※※のものがたりを……


 ──と、狂った女の声がする。


 果たして私はこの物語を書き終えることが出来るのだろうか。だが書かなければ。書くことをやめ、パソコンの電源を落としてしまえば……


 真っ暗になった画面にが映り込み、じっとりと湿った視線で私を見てくるのだ……


 ただれた体の、美しい顔をした女が──


 何故私なのかは分からないが、私は選ばれてしまったようだ。いつか私の友人が言っていた「本来、怪異とはそういったものです。意味もなく、訳もなく祟る──」という言葉。


 私の背後でうごめには意味も訳もあるのだろうが、私にとっては訳も意味もない。だがやはり書かねばならないのだろう。


 これから書き記す物語──文章は、ほとんどが私が体験していない出来事だ。世に溢れるゴシップ記事や警察関係者、ならびに友人から知り得た情報。そして──


 耳元でささやの言葉によって構成されたもの。初めに謝罪させて貰うが、物語としての体を成していない文字の集まりだ。


 これでが満足してくれればいいのだが……


 


 




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