第4話

「私だったら、ですけれどね」

 前置いてOさんが述べたのは、やはりこの件からは手を引いた方がいいという。

「やっぱりおかしいですよね」

「いえ、おかしいのはわかっています。それ以上に、そのサムズアップ出版という会社は、本当にまともな会社なんでしょうか?」

 Oさんの指摘に、俺は戸惑った。確かに俺も薄々「おかしい」とは感じていたが、会社の存在自体を疑うのは、いくらなんでもやり過ぎではないか。

「だって、あれだけフォロワーがいて、会社として本を出しているというんですから。最近は、紙出版も始めたらしいですし……」

 俺は、Oさんにスマホで前田の投稿を見せた。そこには、「念願の紙出版を始めました」と書かれていた。何でも、紙書籍の方が電子書籍出版より、コストがかかるらしい。前田の手には、自分の本だという新刊が握られていた。

「宮藤さん」

 手元のコーヒーを一口啜って、Oさんが述べた。

「AmazonのKindle出版は、最近ペーパーバック販売も開始しました。前田氏の言っている『紙出版』とは、それを指すものではないですか?」

 唖然とした。それって詐欺じゃないか。だが、確かにタイミングは一致する。

 さらに、Oさんはノートパソコンを取り出して、何やら検索し始めた。俺もOさんの席の方へ回り込み、検索結果を一緒に確認する。

「これは……?」

「全国の出版会社で作る出版社データベースですよ。ここに、サムズアップ出版という会社は登録されていません」

 失礼、とOさんに断って、マウスで画面をスクロールさせてもらった。確かに、そのような出版社は見当たらない。

「まあ、出版社でなくても、普通の印刷会社が印刷を引き受けて出版をするケースもありますから、データベースから漏れているのかもしれないですけれどね……。ですが、そもそも会社が無名の新人作家を売り出すには、相当売れるという見込みがないと、まず引き受けないと思いますよ」

 Oさんは、さらりと述べた。何でも、書籍出版には「商業出版」と「自費出版」があるが、出版希望者が原稿を持ち込む自費出版の場合、100冊売るとして、最低でも150万円から200万円以上の費用が必要になるという。紙書籍の出版というのはそれだけコストが掛かる事業であり、会社としてもそうやすやすと手掛けられるはずがない。それが、Oさんが前田は「出版詐欺」を狙っているのではないかと、考える理由だった。

「宮藤さんは、『新風舎しんぷうしゃ事件』をご存知ですか?」

 俺は、黙って首を横に振った。昔、やはり「出版ブーム」に世の中が沸いた頃に、新風舎という小さな出版社があった。そこの会社で出した本は、皇室の家庭教育でも使われたと宣伝され、また、無名の新人発掘に力を入れていたことでも知られていた。だが、いつの間にそうなっていったのか。自社主催のコンテストの応募者のうち、優秀者には会社が本の出版を持ちかける。ただし、出版費用の多くは原作者の持ち出しであり、相当数売れないとその費用は回収できない。それでも、「自分の本を出したい」という夢を持つ人は絶えることがなく、幾人もの作家が何百万円も新風舎に払った。だが案の定、多くの新人作家たちの本が売れることはなかった。そしてある日、新風舎は突如として倒産。会社の執行部は行方知れずとなり、新人作家たちは泣き寝入りするしかなかったのだという。これが、「新風舎の幹部たちは詐欺紛いの行為をしていた」と言われる事件であり、今でも出版業界では時折語り草になっているとのことだった。

「似ているんですよね」

 ぽつりと呟いたOさんの言葉は、俺の体に刺さった。

「電子書籍は、確かに流行はやっていますよ。ですが、そのコンサルティングと称して執筆者から手数料を騙し取る手口もまた、多く発生しているんです。このサムズアップ出版は、そのたぐいかもしれません」

 俺はぞっとした。何で、その可能性に気づかなかったんだろう。俺も、自分の欲に目が眩んでいたのだろうか。

「……やっぱり、断った方がいいですね」

 俺の独言に、Oさんは大きく肯いた。

「もちろん、決めるのは宮藤さんです。ですが、この話は怪しすぎます。手を引くならば早いほうがいい。断るときは、相手方に言質を取られないようにしっかり断って下さい」

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