第7話 父親

 私は学習机に向き合って座り数学の参考書とノートを準備した。第一志望に落ちた悔しさをバネに頑張るつもりで四月当初にお父さんに買ってもらったものだが、こんなものやらなくてもテストでは毎回満点近く取れてしまうからあまり使ってこなかった。


これで満足してはいけないと分かってはいたが桜高校のぬるい雰囲気に流されてしまっていた。冬休み明けには模試があるし、数少ない中学時代の友達が通っている進学校ではすでに数学Ⅰと数学Aが終わっているらしい。本気でやらないとどんどん置いて行かれる。


 危機感を覚えた私は両親が帰宅して夕食となるまでの約六時間、数学の問題と向き合い続けた。忘れている内容が多いことを突きつけられ、さらに危機感は増す。


 夕食のとき、お父さんの元気がないことに気がついた。いつもは私の今日の出来事とかしつこいくらいに聞いてきたりするのに今日は黙々とご飯を食べている。


「そうだ。伊織から連絡があって明日の夕方くらいに帰ってくるって」


「ああ、そうか」


 おかしい。お父さんは私と同じくらい伊織のことも愛しているので伊織が帰ってくると聞いたら大喜びするはずだ。それなのにあんな生返事とは何かあったに違いない。


 四人用のテーブルの隣の席に座るお母さんに何があったのか尋ねると意外な顔をされた。


「あれ? 詩織がわざと匂わせたんじゃないの?」


 そう言ってお母さんはパソコンの方を見た。しまった。試合を見終えた後そのままにして部屋に戻ってしまったから、きっとお父さんにバスケの試合を見ていたことがばれて何か変な邪推をされているのだ。


 私の予想通りのようでお父さんは泣きながら語り出した。この涙も本気で私のことを愛しているからだろうか。


「伊織が出ているならまだしも詩織はいつもバスケの試合なんて見ないし、もしかしたらバスケ部に彼氏か好きな子でもいるんじゃないかって母さんが言うんだ。俺はそんなわけないって思いたいけど、伊織を通して知り合う可能性が高いよなって思ったら不安になった。詩織どうなんだ? なんでバスケの試合を見ていたんだ? 気まぐれか? 自分の学校だからなんとなく見ただけだよな?」


 我が父親ながら面倒くさい。


 そういえば伊織が中学生の頃のバレンタインデーにチョコを三個くらいもらってきたときも相手の子たちのことを根掘り葉掘り聞いて、一番性格が良さそうな子を選んで付き合うならこの子にしなさいとか言っていた記憶がある。


 私はその子たちのことをよく知らなかったし伊織も別に好きでも何でもなかったらしくそれっきりだったようだ。とにかく私のお父さんは私と伊織に対して過保護で心配性なのだ。


 そんなお父さんにどう説明したらいいか考えた結果全て正直に話すことにした。試合を見ていたことがばれてしまった以上は下手に隠した方が面倒くさくなりそうだからだ。


 それに桜君ならお父さんも認めてくれる自信がある。テーブルをはさんで斜め向かいに座りながらも身を乗り出して私の顔を泣きながら見つめるお父さんに説明する。


「バスケ部の人に元旦に一緒に初詣に行かないかって誘われて。そのとき試合に出るから見て欲しいって言われたの。それで見てた」


 お父さんは時間が止まったみたいに動かなくなった。呆然として、口だけがかろうじて動いている。


「男の子か? 女子マネージャーではなく?」


「うん、男の子。同じ一年生」 


「あの大会三年生も出てるみたいだけど一年生なのに試合に出るくらい上手いのか?」


「うん。一番シュート決めてた」


「性格は?」


「優しくて真面目かな。大人っぽくてしっかりしてる」


「顔は?」


「カッコいいと思う。学校でもすごく人気」


「身長は?」


「百八十八センチ」


「将来の夢は?」


「アメリカでバスケがしたいんだって」


「ご両親は?」


「えっと、お父さんがプロバスケチームの監督でお母さんが高校の先生でバスケ部の顧問をやってるって」


「なんでそんなに詳しいんだ? いつから付き合ってるんだ?」


「え、いやまだ付き合ってないよ。終業式の日に誘われただけだし。色んな情報は試合の実況していた人が話していただけ」


「初詣は一緒に行くのか?」


「う、うん。明日着て行く服買いに行こうかなって思ってる」


「その子のこと好きなのか?」


「うん」


 お父さんの矢継ぎ早の質問のせいでつい言ってしまった。色々迷っていたけれど結局私は桜君のことが好きなのだ。性格の良さ、顔の良さ、そして本気でバスケに取り組む姿に完全に惚れ直していた。


 お父さんは「そうか」と呟きながら乗り出していた体を引っ込めて、うつむいた。


「お父さん、詩織ももう十六なんだから恋の一つくらいするでしょう?しっかりしなさい」


 お母さんにそう言われてお父さんは「そうだな」と呟きながら、悲しさと少しの喜びが混じりあった顔で私を見て言った。


「今度うちに連れて来て紹介しなさい」


 顔や言葉は優しいけれど、腕に力が入っているのを私は見逃さなかった。きっとテーブルの下では両手の拳を強く握りしめているに違いない。というかまだそういう関係ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る