第6話 本気
翌日は月曜日のためお父さんもお母さんも仕事で家にいない。したがって私はリビングにあるパソコンで試合を見ることにした。
昨日と同じ実況の人と昨日とは違う解説の人。解説の人の名前は桜真吾と表示されていて、早速桜君のお父さんだと紹介された。
顔は見えなくて声だけなのだけれど桜君の優しい声と比べて数段厳しそうな声で、意味もなく緊張してしまう。こんな厳しい声の人に育てられてきたと思うとやっぱり桜君はすごいなぁと思う。
試合が始まった。相手校は三年ぶりの全国大会出場と紹介されていて、今年から留学生の受け入れを行っているらしい。
桜高校で一番身長が大きい桜君よりも一回り大きい外国人の選手が縦横無尽にコートを動き回り、シュートを決め続けている。
その外国人選手以外にも桜君よりも大きい選手がいて、桜高校の誰よりも高い位置でボールを操られてはなすすべがなく劣勢を極め、第二クォーターが終わるころには四十対十八という点数となっていた。
ハーフタイム中のベンチの様子が映される。桜君の顔は昨日よりも余裕がないし、汗もたくさんかいているように見える。
私は自然と胸の前で自分の手を握って、頑張れ、と祈っていた。
今まで伊織の出る試合ですらまともに観戦したことがない私がこんなにも胸を熱くして、ボールの行く末に一喜一憂しているなんて終業式の日に桜君に誘われるまでの私なら想像もできないことだ。
そんな私の祈りも虚しく桜高校は七十三対六十四で敗れた。
ハーフタイム中の桜君のお父さんの解説では体力面は桜高校の方が優勢だろうとのことだったが、その通りに後半の第三、第四クォーターに限れば三十三対四十六で桜高校の方が勝っていた。
桜君はこの試合で苦戦しながらも両校の選手合わせて最多得点の活躍を残し、解説のお父さんが最後に桜君に向けて「よく頑張ったがまだまだ成長の余地はある」という言葉を残して音声は途切れ、無音のままコートの選手たちを映す映像に切り替わった。
三年生と思われる桜高校の選手たちは皆泣いていた。人目もはばからず大粒の涙を流しているのを後輩たちが泣かないように必死に我慢しながら見守っている。
桜君だけは三年生に混じって涙を流していた。桜君は主力として試合に出ずっぱりだったので悔しさも他の一、二年生とは比べ物にならないのだろう。
しばらくすると映像が終了し、次の試合までお待ちくださいという表示が出た。私の目にもいつの間にか涙が溢れていた。自分が試合に出ていたわけでもないのに悔しくてたまらない。そのまま自室のベッドに飛び込んで枕に顔をうずめて泣いた。
しばらくすると涙は落ち着いたが今度は胸にぽっかり穴が開いた感覚がして、負けたんだ、という事実がその穴を埋めようとしてくる。
そうしたらまたその事実に悔しさや悲しさを覚えて落ち着かせたら胸に穴が開いた感覚がして、それを何回も繰り返した。
桜君にメッセージを送る気にもなれず自室でぼーっとしているとスマホが鳴った。伊織からの電話だ。
「はい、どうしたの? 電話なんて」
自分の声ってこんなに低くて悲しそうな声だったかと驚くくらい落ち込んでいた。
「そっちこそどうした? 元気ないのか?」
伊織はいつも通りの声でケロッとしていて、試合で負けたことなんてなかったかのようだ。
「試合見てて、私が負けたわけじゃないのにすごく悔しくて」
「そっか、そんなに感情移入してくれたんなら真人もきっと喜ぶよ。それで真人の件で電話したんだけど、詩織からメッセージとか来てないって言うからどうしたのかなって思ってさ」
「なんて言ったらいいか分からなくて、何も送れなかった。悔しすぎて言葉が浮かばなくて。だいたいなんなの? 留学生って、あんなの反則じゃない。バスケの本場ってアメリカでしょ?なんで日本に来るの?どうせ留学するならアメリカに行けばいいじゃん」
「……アメリカね。ていうか珍しいな、詩織がそんな感情的になるなんて」
「だって悔しいんだもん。なんで伊織はそんなに冷静なの?」
伊織は試合に出ていないとはいえ一緒に練習してきてあの場にいて同じ空気を感じていて、私の何倍も当事者に近いはずだ。それなのに悔しさのかけらも見せない。
「俺だって悔しいよ。八ヶ月も一緒に練習してきて自分より数段上手い人たちが負けちゃったんだから。でも、俺ら一、二年はこれからがあるからさ。次は俺らが勝ってやるって前を向くしかないんだ。それに三年の先輩には悪いけど楽しみでもあるんだ。世代が変わって二年生が中心になると俺ら一年も公式戦に出られる可能性が上がるからな」
運動部に所属したことがない私には分からない感覚だった。
小学生のときにお父さんに勧められてピアノを習っていたから音楽が好きで、中学では吹奏楽部に入ったが女子の大所帯特有の人間関係の難しさに嫌気が差して二か月でやめて、少人数でこじんまりとしていた手芸部に三年間いた。
高校では部活に入っていた方が大学入試で書かなければならない書類が書きやすくなるから、と先生に言われて図書委員会を兼ねている文芸部に一応入っている。
吹奏楽を続けていれば伊織の感覚も少しは分かったのかもしれないが今になって言っても仕方がないことだ。そんな勝負の世界を知らない私でもやっぱりこの試合はめちゃくちゃに悔しい。理由はよく分からないけれどとにかく悔しくて仕方がない。
「伊織がそうでも私は悔しいよ」
つい言葉に出ていた。
「じゃあ真人に伝えておくよ。詩織は悔しすぎて言葉が出てこないからメッセージとかはなしって」
「そ、それはやんなくていい。ちゃんと自分で何か言うから」
「分かったよ。じゃあ明日の朝出発で昼過ぎには学校に着いて、三年の引退式とかやるから夕方には帰ると思う。父さんと母さんにも伝えておいて」
そう言って伊織は電話を切った。伊織には自分で言うと言ったが何を言えばいいのだろうか。負けて泣くほど悔しい思いをしている人になんて声をかけるべきなのだろう。
私も悔しいよなんて言うことはできない。桜君と私の悔しさを比べるなんておこがましい。
【遅くなってごめんなさい 試合見ました お疲れ様でした】
考えた末にこんな文面を送ったが少しぶっきらぼうすぎるだろうか。
昨日に比べて返信には時間がかかった。
【ありがとう。もっといいところを見せられたらよかったんだけどまだまだ実力不足でした。】
このメッセージの後、少しの間を置いて次のメッセージが来た。
【伊織から詩織さんがすごく悔しがっていたって聞きました。一緒に戦ってくれてありがとう。】
この言葉で気がついた。
本気で応援するってことは一緒に戦うってことなんだ。私は本気で応援していたから負けて悔しいんだ。
今までスポーツを観戦して泣いている人を見ては何で自分が出場したわけでもないのに泣いているのだろうなんて思っていたが、それはその人が本気で応援していたからだったのだ。
だから私は第一志望の高校の不合格を知って泣いたのだ。本気で勉強に取り組んできたのに失敗したから泣いた。
思えば私が失敗や挫折をして泣いた経験はそれくらいだ。ピアノの発表会でミスを連発したときも、吹奏楽部をやめるときも私は泣かなかった。私に激甘なお父さんは「詩織はメンタルが強いんだな」なんて言っていたがそういうことではなかった。
ピアノも吹奏楽も本気で取り組んでいなかったから泣けなかったのだ。伊織たちのような試合に出ていない組はこの大会にそこまで本気ではなかったから泣かなかった。
桜君は本気で戦っていた。だから泣いていた。
きっと伊織も自分が試合に出るようになって大事な試合で勝ったり負けたりしたら泣くのだろう。それが少し羨ましいと思った。私には今、本気になれるものがない。
一学期の期末テストは私が一位で美月が二位だった。二学期の中間テストも同じだ。でも二学期の期末テストは私が二位で美月が一位。口では悔しいと言っていた。
でもこの試合で負けたことの方がずっと悔しい。自分のテストの結果よりも、他人のバスケの試合結果の方が悔しく感じるなんて、私は私に唯一残された勉強にさえいつの間にか本気になれなくなってしまっていたのだ。
桜君の試合後の姿とメッセージで気づくことができた。
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