第3話 真人と美月
一つ深呼吸をして、意を決して校舎の角から飛び出した。離れ桜の下には伊織が着ているものと同じジャージを着た男子が一人立っていた。
長身で、地毛だという赤みがかったサラサラな茶髪、誰もが振り返り、誰もが見ずにはいられない甘いマスク。私の姿を見て目をクシャっとさせて笑顔になった。
まさか、と思った。周りをきょろきょろと見回しても私が信頼する二人が校舎の角のところでこっそり見守っているだけ。いたずらなんかではない。頭の中が真っ白になった私がぎこちなく歩いて離れ桜の下まで来ると桜君は口を開いた。
「春咲詩織さん、だよね?」
「は、はい」
「手紙を出したのは俺です。急に言わなくちゃって思って、あんな適当な紙に書いちゃってごめんなさい」
「い、いえ、そんなこと、気にしないで」
あんな紙に書いたことはちゃんと気にしていたみたいで、そのことを真摯に謝る姿を見て私はとっくに気にしなくなっていた。手紙なんて意味が伝われば何でもいいとさえ思う。
そんなことよりも何でここに桜君がいるの?どういうこと?
私の思考が安定する前に桜君は本題に入った。
「俺と一緒に初詣に行ってくれませんか?」
じっと私を見つめる彼の顔を見るのも恥ずかしくなり、私は頷くことしかできなかった。
一月一日午前十時に学校近くにある神社にて。
それだけ約束して、連絡先を交換してその場は別れた。もう集合時間らしく伊織と一緒に急いでどこかに走り去っていった。
私は離れ桜の下で呆然と立ち尽くす。
私が頷いたときの桜君の嬉しそうな顔、連絡先を交換するときに何故かあたふたしてうまくスマホを操作できなくなった桜君の焦っている顔、「呼び出しておいて勝手にいなくなってごめん」と謝りながら集合場所に向かおうとする桜君の申し訳なさそうな顔、それらが私の脳裏に焼き付いて何度も何度も思い浮かべた。
そのたびに霧散して漂っていたはずの私の初恋が少しずつ集まって、再構築されていく気がする。
「詩織、大丈夫? ねえ、動いて」
美月に肩を揺らされて我に返った。
「あ、ご、ごめん。いきなりのことでびっくりしちゃって」
私は今どんな顔をしているのだろう。ドキドキして顔が紅潮しているのは分かる。着けていたマフラーを外したくなるくらい暑さを感じている。
口角が自然と上がりかけているけれど、それを一生懸命に私の中の何かが拒んでいる。
「詩織、私にまかせて。桜君との初詣デート、一緒に色々考えてあげる」
「え? いや、でも悪いよ」
「いいの。だって私、伊織君に詩織をお願いって言われちゃったんだもん。しかも美月さんって名前で呼ばれちゃった」
美月も美月で顔を赤らめてにやにやしている。残念ながら伊織の私をお願いという発言は今の私をどうにかしてという意味であって、今後も私と桜君の関係をお願いという意味ではないと思う。
さらに名前で呼んだのは、美月の苗字は
「ていうかデートって決まったわけじゃないし、なんで私を誘ったのか分からないし……」
「いやデートでしょ。誘った理由はもちろん詩織のことが好きだから。それ以外ないよ」
誘われたのは私なのに美月の方が嬉しそうだ。クリっとした大きな目を細めてにこにこする姿は非常に可愛らしい。
美月とは高校生になって五月にあった初めての中間テストが終わった辺りから仲良くなった。
私は高校受験に失敗してこの桜高校に入学していて、部活に力を入れていて勉強には全くと言っていいほど力を入れていないこの学校にいづらさを感じていた。
勉強をする気がなく中学レベルどころか小学生レベルの内容も理解していない生徒、そんな生徒でもある程度点数が取れてしまうように作られたテスト、それで高得点を取れたことを褒め称える先生、それでも赤点を取ってしまう生徒。
一応進学校を目指していた私にとっては簡単すぎて全教科九割五分以上は取ることができた。
周りとの勉強への意識の差、不真面目というか、順法意識のなさというか、そもそも決まりを理解していないというか、部活に真剣に取り組んでいる人はそんなことはない人が多いのだけれど、私とは人間的に合わない人が多かった。
中間テストの結果が出ると私は学年二位だった。
一位は数学のレベル別の授業で同じクラスになっていた本来は隣のクラスの美月だった。数学のテストが返却されるとき、私が一問だけ計算ミスをして九十八点を取ったことで周りの人たちが驚いていたが、美月は百点だった。
天才が二人もいるなんてもてはやされたが全然嬉しくなくて、むしろ私と同じくらいかそれ以上に勉強ができる人がいたことが嬉しかった。
美月と友達になりたいと思って高校生になってから、いや中学生になってから考えても初めて自分から他人に声をかけた。
美月も私と同じだった。私と同じく進学校を目指していたが受験で失敗して桜高校に入学した。家から一番近いのと校舎が綺麗だから滑り止めに選んだというところまで同じだった。
お互いクラスでは嫌われてはいないものの何となく浮いていて、これといった居場所がなかった者同士自然と仲良くなった。それ以来、唯一無二の親友兼勉強で競い合うライバルとなっている。
美月は可愛い。目が大きくてクリっとしていて、肌も白くて綺麗で、身長は平均くらいの私より少し低いけれど、細くてスタイルが良い。ロングボブの綺麗な黒髪も似合っていて、天然っぽいところがあるけれど真面目で優しくて、ちょっとだけ恋愛脳なところがある。
もっと人気が出てもおかしくなさそうなのにと思っているが、私と似て、いや私以上に人見知りなところと自分に自信がないところが顔や言動にも現れていて、なかなかクラスの中心にいるようなメンバーと交流を持てず、地味なグループに属することになっているようだ。
学校近くのハンバーガーショップで美月と二人でお昼ご飯兼作戦会議をすることになった。
恋愛脳で伊織に名前で呼ばれて浮ついている美月は楽しそうに身を乗り出して聞いてくる。
「詩織って桜君のことどう思ってるの?」
そうだよね、当然聞くよね。
昔好きだったし、今も多分その気持ちは変わっていないはず。実際桜君に誘われたときはものすごくドキドキしていた。
でも今になって冷静さを取り戻して考えると、桜君が私を誘った理由とか、学校近くの神社に行って二人でいるところを学校の誰かに見られたらどうしようとか考えてしまってついうっかり了承してしまったことを少し後悔している。
桜君のことはおそらく好きなんだろうけど、今の私と桜君の学校での立場を考えると、その気持ちを前面に出す勇気は持てない。多分学校中の美月以外の女子が羨む状況だというのに、私は自分に自信が持てずにため息をついてしまった。
「どうしたの? 実は苦手だったとか?」
「そんなことはないよ。嬉しいのは間違いないし、小学生のときは好きだったもん」
「え、小学校一緒だったの? 初耳、まあ桜君の話題になったの初めてだから当然か」
「うん。真面目だし、優しいし、なんか人間ができてる感じがして他の人と違って大人っぽくて好きだった。もちろん顔もカッコいいと思う。でも……」
「でも?」
「私みたいなのが桜君と一緒にいていいのかなって思うし、ずっと会ってなかったから心の底から好きかって言われると自信を持ってそうだって言えない」
霧散した状態から集まってきた私の初恋はまだ霧の状態で集まっているだけで塊にはなっていない。不安定ではっきりしなくて何かの衝撃でまたばらばらになってしまいそうな気がする。
「まあ、会えば詩織の気持ちもはっきりするんじゃない?私もさっき伊織君と話してやっぱり好きだなって再確認したし。それに桜君から誘ってきたんだから詩織が一緒にいるのは何の問題もないでしょ」
そういうわけじゃない。桜君がどうとかではなくて、桜君と私が一緒に初詣をしているところを同じ学校の女子、特に私のクラスの女子に見られたり、知られたりしたときに何が起こるかを心配しているのだ。
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