第2話 伊織
「ちょ、ちょっと詩織、いいの?」
私の後ろをついてきた美月が聞いてくるが「いいよ。私に告白なんてろくでもない人だろうから」と答えて美月も「詩織がいいならいいけど」と言ってそれ以上はこの件について聞かないようにしてくれた。
校門を出たところで見知った顔の男子と出会った。
十六年間一緒に過ごしている私の双子の兄、伊織だ。もっとも、ほんの少し早くお母さんのお腹から出てきただけで兄だと思ったことはほとんどないが、人に紹介するときなど関係性を説明しなければならないときだけは兄と言っている。
短髪で爽やかな印象を与え、くっきりとした目鼻立ちをしているため女子にはそこそこ人気があるらしく、実のところ美月は伊織に惚れている。
美月も私と同じで地味なグループなので、明るい側にいる伊織に気持ちを伝えても良いのか迷っているようだ。
私としては伊織に彼女とか奥さんができたら否応なしにその人と関係を作らなくてはならないため、美月が伊織と付き合って結婚までいってくれたら気が楽になるのでぜひとも美月には頑張ってもらいたいと思っている。
「どうしたの? バスケ部はこれから出発って言ってなかった?」
「ああ、あと三十分くらいは時間あるから」
伊織の所属する桜高校男子バスケットボール部は県内屈指の強豪でこれから冬の全国大会に向けて出発することになっている。「クリスマスも大会で困っちまうな」なんて伊織はどこか嬉しそうに嘆いていた。
これからバスに乗って出発だというのに部でお揃いのジャージを着た伊織は何故こんなところにいるのだろうか。
「詩織お前さ、離れ桜には行ったか?」
ドキッとした。冬だというのに汗が流れるような感覚。冷や汗というものか。妙な緊張感が私を包み込む。
何故それを伊織が知っている? 伊織のいたずら? 私と伊織がいつも一緒の仲良し兄妹だったのは小学校中学年くらいまでで、男女の境目が顕著になる高学年からは少しだけ距離を置いていた。
それでも勉強のこととか部活のこととかをよく話していたし、友人関係もある程度は把握していたり、どちらかと言うと仲は良いと思っている。伊織のことはそれなりに信頼しているし、告白を装った悪質ないたずらをされるような関係ではないはずだ。
いたずらでなければ私を呼び出したのは伊織が知っている人物で、そのことを伊織に話すくらいには親密な関係だということだ。伊織と同じクラスか、バスケ部の誰かの可能性が高い。
バスケ部と思うと胸がざわつく。悪い意味ではなく、ありえない期待のためだ。
バスケ部には彼がいる。長身で、地毛だという赤みがかったサラサラな茶髪、誰もが振り返り、誰もが見ずにはいられない甘いマスク。笑うと目がクシャっとなって可愛いと評判の
この学校の女子のほとんどは一度は彼を好きになって、無理だと悟って他の男子に興味が移行する。伊織がそこそこ人気なのも桜君と同じバスケ部にちょうどいい感じにそこそこの顔の奴がいるからだ。
ちなみに美月は桜君を通らずに伊織を好きになった変わり者だ。
私も恋愛経験もなく地味な女だとしてもこの学校の女子であることには変わりなく、彼に憧れた時期はあった。
ただそれは高校で、ではなく小学校のときだ。小学五、六年生のときに同じクラスになって、そんなに話す機会はなかったけれどグループ活動とか給食の班が一緒になったりで関わることがあって、彼の容姿だけでなく真面目で紳士的で立派な人間性に惹かれた。
その頃から地味で皆の輪の中にあまり入らず端っこで本を読んでいるような子だった私はその思いを伝えることなく小学校を卒業し、彼とは別の中学校に進んだ。
同じ高校というのは四月に伊織から聞いていた。
桜君は中学で身長も技術も一気に伸びてスポーツ推薦の特待生として入学していて、身長も百七十センチほどでバスケ部としては大きいとはいえず中学の成績も県大会一回戦負けで一般入部生の伊織と比べるのはかわいそうだが、彼は一年生にしてすでに公式戦に主力として出場しているほどの選手らしい。
小学校のときから地味で、高校ではさらに日陰者になった私が彼と関われるはずもなく、私の初恋は小学校卒業時に霧散したままその辺を漂っている。
たまに校内で見かけては目で追ってしまい、伊織と仲が良いバスケ部という可能性だけで考えてしまうほどには私はまだ桜君のことが気になってはいるのだ。
身内相手になんでこんなに緊張しているのだろうと思いつつも、恐る恐る私は伊織の問いに答えた。
「行ってない」
伊織は大きなため息をついて「やっぱりここにいてよかった」なんて言いつつ、私の肩を掴み体を百八十度回転させてそのまま背中を押して歩かせた。私の隣で美月が困惑の目で見つめているし、私も困惑している。
「な、何、なんなの?」
「ほれほれ、いいから歩けよ」
伊織に背中を押されたまま私は校舎の方へと戻って行き、昇降口ではなく校舎裏にある離れ桜に繋がる細い道まで来た。
途中たくさんの生徒に見られたが伊織と私が双子の兄妹であることは伊織を知っている人ならば皆知っていることなので私の高校生活が脅かされる心配はない。ただ目立つのは嫌だった。
「もう、自分で歩くから押すのやめて」
私がそう言うと伊織は素直に背中から手を離してくれた。昔から伊織は強引で好き勝手にするところがあるけれど私がそれやめてとかあれやってと言うと素直に聞いてくれることが多い。
きっといつも端っこにいて自己主張の少ない私が主張するのを待っているのだろうと高校生になった辺りから思い始めている。
私は観念して離れ桜に向けて歩き出した。伊織と美月もついてきている。伊織に「誰が待ってるの?」と聞いても「行けば分かるよ」としか答えてくれない。
どうせ桜君なわけないし適当に断って、むしろ美月から伊織に告白させてしまおうかなんて思いながら、校舎のおかげで日陰になって余計に寒く感じる細い道をゆっくりと歩いた。
やがて校舎の終わりが見えた。この角を曲がると離れ桜があって、私の下駄箱に入っていた手紙の主がいるはずだ。
「じゃ、俺らはここにいるから」
「え?」
伊織の言葉に驚いたのは私ではなく美月だ。さすがにこれから告白されるかもという現場に堂々と入る人はいないだろう。もちろん美月はそんな非常識な人間ではなくて、伊織と二人きりになってしまうことに動揺している。
緊張してきた。生まれてこの方告白されたこともしたこともない。桜君に淡い恋心を抱いた以外は恋愛とは無関係に生きてきたので、どんな顔をして、どんな心境で待ち合わせの場所に行けば良いのか分からない。
どうやって断ろうか、万が一にも桜君だったらどうしようか、断るにしても大人しい人だったらいいなとか、もし強引に何かされたら伊織が助けてくれるかなとか考えながら校舎の角から顔を出すのを躊躇していると、伊織から早く行けよと言いたげにあごで指示された。
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