第391話
伊達が傘下に入り一段落したことで、久しぶりにゆっくり湯に浸かりたくなり、石風呂へ足を向ければ、先客がおった。
聞けば長さんたちだという。
「どれ久しぶりに長さんと腹を割って話すきゃ」
小一郎(豊臣秀長)からは再三に渡り「長さんと対立するな」と言われちょる。
徳川中納言(徳川家康)には慮る必要があるとは思っちょるが、長さんに?
天下人が一介の浪人に慮る必要があるのか疑問ではある。
確かに諜報と資金については脅威ではあるが、武士として見た場合は確たる武力も無い者にそこまで配慮が必要か?とも思える。
兵法、兵法と言うても所詮は個の力であろう?何を恐れる必要があろうか。
人が一人で成せることなぞ高が知れておる。
しかし、その考えは韮山での出来事で考えを改めるべきだと痛感させられた。
あれほどに「脅威と成り得るのですから今の内に力を削ぐべき」と裏で長さんの事を敵視しておった官兵衛(黒田官兵衛)ですら、韮山の件以降は「蔵人様存命中は敵対すべきでは御座いませぬ」と言って来おった。
儂は元から敵対する気は無い。
ただ、長さんに一度でよいから負けたと思わせたいだけじゃ。
そんな事を考えながらも風呂へと近付いて行くと賑やかに話す声が聞こえて来る。
闇の中、風呂の方の明かりで風呂に入る者たちが見える。
長さんに傾奇者、伊達に真田の小倅、立花飛騨守(立花宗茂)に北条左馬介(北条氏規)と何とも奇妙な集まりの様に見える。
いや、長さんの恐ろしい所じゃな。
人たらしと儂の事を言う者もおるそうじゃが、本当の人たらしとは長さんの事じゃ。
その賑やかに話す者どもを見詰めていると一瞬長さんと目が合うた。
気のせいかもしれぬが・・・いや、長さんなら気が付くやもしれぬな。
近くの木陰にて脱衣し更に風呂に寄って行くと、「猿」という儂が嫌う言葉が聞こえた。
いや、「猿」と言われても全部が全部気に入らぬ訳ではない。
馬鹿にされるのが嫌なのじゃ。
現に長さんに「猿」と言われても不思議と腹が立たぬ。
「楽しそうじゃな~仲間に入れて欲しいがー」
「「「「殿下!!」」」」
長さんと傾奇者はどうやら気が付いていた様で、驚きはしなんだ。
しかし、他の者は驚いちょるがー。
「関白様、御一献」
そう言って酒を入れた器を儂に渡して来る傾奇者。
儂は躊躇わずにそれを受け取り、一気に飲み干す。
「うまい」
「それは重畳」
そう言ってまた酒を並々と注がれた。
今度はゆっくり味わいなが尋ねる。
「それで?何を話しておったのじゃ?」
「おお!関白様にも是非とも長さんとの話を聞かせて頂きたい」
「ほう!長さんの話か!」
傾奇者は我が意を得たりというように長さんとの思い出話を強請る。
長さんをチラリ見れば居心地が悪そうじゃ。
傾奇者以外の者は困惑顔ではあるが、儂の話を聞きたそうな感じでもある様じゃ。
どれ、昔語りをしようかの~
「長さんと初めて会ったは尾張で信長公にお仕えし始めて少し経った頃よ」
今も鮮明に覚えちょるがー。
長さんと初めて会うたのは行き付けの酒屋。
偶に行き酒を飲みくだを巻く。
そんな酒屋に見知らぬ武芸者がおった。
飄々としており何とも興味深き者と思い話し掛けてみた。
一度目は何を話したか?
初めて会った者に言う話ではないと思うが何故か話した。
大殿(織田信長)に「禿げ
「禿げ鼠」ではなく「猿」だと言われたな・・・
禿げ鼠と猿と何方がましな呼び名かと問われたな。
確か・・・
「今川の松下に仕えておる」と言うたら「信長に仕えているんじゃないの?」と驚かれた。
渋々と「仕えてる?」と何故か疑問形で答えておったな・・・
いや、正直言えば、あの時は誰に仕えておるのかすら自分でよく解らなくなっておった。
「間諜か?」と聞かれたで、渋々と「そうだ」と確か答えたな・・・
今川と織田何方に仕えるか天秤に掛けておった。
長さんは「信長一択」と自信ありげに答えた。
大大名の今川と比べ何故に織田?と思い聞けば
「今川の方に味方してもお前の手柄ってどれほどよ?」
「それは・・・」
言い淀みながらも考えを巡らせた。
巡らせるまでも無く、直ぐに思い当たった。
手柄になる事は殆ど無いと思えた。
間諜の手柄なぞ信じられぬ程に無い。
苦労の割に報われぬ。
「それよりも逆に信長に有りの侭の事を話して」
え?何を言うておる?正気か?・・・いや、酔っぱらいか・・・
その時は慌てて言葉を遮り言い返した。
「そ、そんな事したら殺さるわ!!」
「まぁ聞け!」
自信ありげに長さんがそう言うものだから、気圧されて聞くこととしたな。
「お、おう・・・」
「さっきの事を信長に話した後に即座にこう提案しろ。逆に今川の内部情報を流しますてな」
「え?それは~・・・」
何やらえらい事を言いだすが・・・確かにそれなら上手く行きそうじゃと思うた。
「どうせ数年の内に尾張に今川が攻めてくる時の為の案内要員か何かだろ?」
「うう・・・」
一介の兵法者がそこまで情勢を読めるものなのかと驚愕したことが今思い出された。
そうじゃ!あの時思うたのじゃ。
この者には一生逆らわずにおこうと・・・
「そんなのやっても手柄なんて雀の涙」
「解っちょるが・・・」
間諜が寝返っても前より少しだけ取り分が増えるだけじゃ。
まぁそれでも増える分得じゃが・・・
「いいや、解ってないね~信長が勝てばお前の立場どうなる?」
「立場?」
そんな事は今まで微塵も感じておらなんだな・・・
「おう!今川に味方しても立場は変わらんが、信長に味方して信長勝てば」
「勝てば?」
「間違いなく上から数えた方が早いほどの大手柄よ!!」
「おお!!」
「俺の予想だと間違いなく信長が勝つぞ!!」
「なんぞ理由でもあるんけ?」
その話を聞かせて居る途中に長さんは逃げる様に風呂からあがって行った。
話題は尽きぬ。
墨俣の一夜城に、上洛後に京で大抜擢、本能寺後に天下取りへの支援の数々。
考えてみればみる程に長さんの御蔭で儂は天下人へと上り詰めた。
何故?どうして?長さんへの感謝の気持ちを忘れておったのじゃ?
一つ一つ話度、最後に儂が口にしたのは
「長さんの御蔭で今の儂がある」
ああ・・・改めて思い出したような気がしてならぬ。
この時より再度考えを改め、儂は長さんに感謝しよう。
〇~~~~~~〇
お風呂回続でした。
回顧録的に相当前の話が出て来たので覚えていない方の為に、28話での内容となりますので、覚えてない方はそこをご参照ください。
さて、隆慶一郎先生原作、原哲夫作画の漫画「花の慶次 -雲のかなたに-」でも豊臣秀吉とのお風呂シーンありましたことを書いてて思い出しました。
豊臣秀吉の温泉好きは知っていましたので何処かで入れたいな~と思っていましたが、タイミング的には小田原征伐時が一番しっくりくると思い入れました。
秀吉に限らず、大名は風呂好き多いです。
最も有名なのは武田信玄で、病気がちだった信玄は暇さへあれば湯治で体を癒していたそうです。
戦国時代は恩賞として温泉へ行かせることもあった様なので、温泉へ湯治へというのはある種のステータスだったようです。
さてさて、他にも風呂好き武将・大名で有名な人物としては明智光秀なども居ます。
光秀は吉田兼見という公家と懇意にしていたらしいのですが、彼は吉田神社の神官も務めていた人物で、筆まめな方だったようで、日記を付けていたそうです。
その日記は「兼見卿記」として残っているのですが、その中には明智光秀が何度登場し、吉田兼見の自宅を訪ねた際は必ずといっていい程「石風呂を所望された」と書き残されているそうです。
ここでの「石風呂」は石を焼いて水を掛けて蒸気で体を温める物を「石風呂」と言っております。
現在のサウナの事ですね。
島津家久を城へ招待して風呂を貸すといった逸話も残っています。
京都の妙心寺には「明智風呂」というものがあるそうですが、これは光秀が建てたものでは無いですが、
風呂好きの明智光秀にはぴったりの供養かもしれませんね。
他にも風呂好きキリシタン大名として蒲生氏郷なども有名です。
そして、健康マニアの徳川家康も・・・
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