第384話

江川太郎左衛門英吉という人物は話して見ると中々に面白い。

仲良くなると孫太郎と呼ぶように言われたのでそう呼ぶことにしたのだが、太郎左衛門というのは江川家の家督相続者に付けられる別名となるそうで、そろそろ息子に譲ろうと思っているそうだ。

正確には太郎左衛門らしいのだが長いので省略して「尉」を外したらしい。


「変わらんだろう?」

「蔵人から蔵人に変えられた貴方様がよく言われますな~」

「いや、官職名で賜わったからな・・・」

「ははははは~冗談ですよ」


話し込んでいたら腹がこなれて来たので再出陣することとした。


「もう行かれるので?」

「今日中に城を落とさねばならぬからな」

「左様でしたな・・・」


孫太郎と別れ再出陣した。

さて、韮山城は、山上の部分と下の平城の部分とが融合した城郭で、下の部分の周囲には水堀が築かれており、俺が矢玉を受けていた場所は水堀に囲まれた城門前と言う事になる。

俺に弓矢・鉄砲が通用しない事は十分に見せたし次の工程に移ることとした。

現段階では脳筋力押しで、俺の個人武力を敵味方に喧伝したといったところだ。

五十騎の騎馬武者を一瞬にして無力化し、弓矢も鉄砲も通じないと見せしめたし、次は俺の知能を見せる時だ!!

はぁ~?俺が猪脳筋だろうと?・・・否定はしない・・・確かに某有名戦国ゲームでのステイタスは武力寄り・・・いや、武力以外に取り柄が無い程に知能面が低く設定されていた。

しかし、無い頭でもある程度策は考えられるのだよ!!

山上の城内最高所に当たる場所を目指す事となるのだが、そこに助五郎(北条氏規)が居ると思われるくるわがある。

丁度良いことにこの韮山城の各郭は横並びしていて、態々1つ1つの廓を攻略しなくても攻められることに頭脳明晰な俺は気が付いた。

そう!山の側面から断崖絶壁を登れば助五郎の居る一の廓に到達するのだ!!

と言う事で、隠形おんぎょうの技で身を隠し移動して一の廓横の断崖下に現在移動して来ました!!

ここから潜入するとは思われていないようで、兵の姿は確認できない。

そうそう、長門守の息子・長門介ながとのすけは隠形を使い城門から普通に潜入して隠れながら山を登って一の廓の助五郎の寝所に到達したらしい。

「凄いな~」と褒めたら、長門守に似た風貌の彼が照れながら、「隠形は得意ですので」と言っていたよ。

長門守は「まだまだですが、今後はよしなに」と言っていた。

寂しい事であるが、長門守は隠居する事となり、藤林の頭領の座を彼の息子・長門介に譲ることとしたそうだ。

この戦が終わり次第、家督交代をすると言う。

既に隠居を決めているので剃髪して深哲しんてつと号している。

彼の事を長門守と呼ぶのもこの戦が最後となる・・・まぁ本人は切原野で隠居生活を楽しみにしているようだ。

藤林の頭領は彼の息子に移るが相談役として残り、少しづつ息子に仕事を移していくそうだ。

基本的に今後は俺の側付きとして息子の方が行動する事となる。

さて、話を戻し、城攻め!城攻め!!


「よう!助五郎」

「蔵人様・・・どうやって此方に?」

「そこの崖を登って来た」

「へっ?・・・崖をですか?」

「そう」


ロッククライミングみたいなことはしないぞ。

どんな崖であろうと仙術使えば余裕です!!

ネタばらしとしては天翔けで普通に崖を駆けて来ました。

気で空気中に足場を作る必要も無いので簡単でした。


「さて、お主に太刀を突き付ければ俺の勝ちであったな」

「左様ですね・・・」

「それで?戦うか?」

「勿論!!」


そう言うと助五郎を守る様に彼の配下の者が刀を抜き、「敵が潜入してここに居るぞ!!」「出合え!!出合え!!」と叫んだ。

すると直ぐに兵が駆け付けて来て俺は兵に囲まれた。

さて、どう対処するべきか。


★~~~~~~★


二位蔵人様はまるで食後の散歩にでも行くように城攻めに向かわれた。


「蔵人様は今度は知略を使った攻めをするそうですよ」

「知略・・・ですか?」

「左様」


藤林殿は笑いを堪える様にそう言われた。

恐らく、二位蔵人様がどの様に攻められるか事前に知らされているのであろう。

そして、「知略を使った攻め」と言いつつもまたとんでもない事をされるのではないだろうかと思えてならぬ。

二位蔵人様と話してみて思ったのであるが、やはり珍妙な物の考え方をされる御仁だと思った。

出された漬物が実に美味しく、「酒に合いそうだ」と口にすると、酒の話になった。

二位蔵人様は国元で酒を造られたという。

そう聞かされれば儂も黙っていられなかった。

鎌倉幕府第五代執権の北条時頼の時代に江川家はこの韮山の地を治めており、ここで作られた酒を献上した。

その献じた酒は賞されて江川酒と言われた事を語って聞かせた。

現在でも名酒として知られていることを自慢すると、お互いに酒を出し合い飲み比べを提案されたのでこれに応じることとした。

何時首を刎ねられてもおかしくない捕虜に飲み比べの提案とは実に面白き方じゃ。

しかし、現状を置いておけば誠に楽しみな事じゃ。


「これを」

「これは何で御座る?」

「蔵人様考案の双眼鏡という遠見の道具で御座る」

「遠見の・・・」


二つの筒が横並びした様な物を渡された。

使い方を説明されると、その筒に目を当て覗くという。

遠見等と言うが、どの様な物かと訝しがりながらも覗いて見ると


「何と!!」

「どうですかな?」

「遠くのものがよく見え申す」


何と恐ろしき事じゃ・・・

この道具一つで戦の概念が変わる・・・


「この戦が終わってからとなると思いまするが、売り出す予定です」

「へっ?・・・良いので?」

「良いも悪いも蔵人様のご判断にて・・・」


ああ、恐らくは秘匿して使いたいというのが本音なのかもしれぬ。

藤林殿の顔色は変わらぬが口が振りが重い。


「主が全てに寛容だと大変ですな」

「いえ・・・まぁその分は配下として楽もさせて頂いておりますので・・・」

「左様ですか・・・」


仕え易い主であるという事であろう。

確かに見ておれば配下の者たちの顔は穏やかである、しかし、緩んでいる訳では無いようだ。

藤林殿と話していると二位蔵人様の奥方の一人が声を掛けて来た。


「蔵人様が動かれた」


指さす方に藤林殿が双眼鏡を向け確認された。

儂も同じく双眼鏡を除くと、断崖絶壁を駆け上がる?


「流石、蔵人様!あそこから攻め入るとは城兵も思いますまい!!」

「いや、いや、あそこは人どころか獣すら・・・」


言ってて思った。

だからこそ誰もあそこから攻めて来るなぞ思わぬ。

儂の考えを見透かしたように藤林殿と二位蔵人様の奥方がニヤリと笑う。


「あれは知略とは言いませぬ・・・」


藤林殿たちも頷いているので解っていて先程「知略」などとおふざけを言われたのであろう。


〇~~~~~~〇


やはり主人公は脳筋でした!!

さて、韮山城は後々廃城となり、今は静岡県伊豆の国市韮山に城址として残るのみです。

天啓的な平山城(平地小山に作った城)なのですが、初代堀越公方・足利政知の家臣、外山豊前守が城を造り、北条早雲が関東経略の拠点として整備し、居城として使った城として有名です。

小田原征伐以前の1570年位の頃には北条氏規が城主となっており、伊豆支配の中心地という位置付けで運用されていたようです。

1570年には武田信玄の駿河侵攻の際攻められらしいのですが、北条氏規が守り切っていることや小田原征伐でも城攻めでは落ちなかったことを考えると守りの堅い城であったようです。

徳川家康が関東転封された時には家臣の内藤信成の居城とされていたようですが、1601年にに廃城となりました。

養珠院こと於万方おまんのかたが江川英長の養女として徳川家康の側室となってからは江川家は隆盛を極めた様で、伊豆韮山代官職を家職とし韮山城の土地と周辺は江川家の所領となったようです。

徳川家康の奥さんは正室の築山殿、継室の駿河御前(朝日姫)よりも側室の方が重要で、次男の結城秀康を産んだ於古茶おこちゃ(長勝院)、三男の秀忠、四男の松平忠吉を産んだ於愛おあい(竜泉院)等を筆頭に多くの側室が居ました。

その中でも於万は以前のうんちくで語った様に紀州徳川家の家祖徳川頼宣、水戸徳川家の家祖徳川頼房の母となる人物なので有名な側室の一人といえます。

因みに、伊豆韮山代官職というのは伊豆国および周辺国の徳川家直轄領(天領)を支配経営する役職でしたので於万方の御蔭で江川家は本当に幕府の要職を得たといえますね。

作中で書きました酒造りですが、大坂の陣以降に造酒の室の修理を許され鎌倉時代以来の酒造りを活かし名酒を作り、家康・秀忠に献上しているようです。

そんな感じでよく酒を献上した家なので江川さん家は私の中で酒を献上する家の人のイメージです!!

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