第382話
俺はゆっくりと歩いて城の方に歩いて行くと城の城門の方からは
更に歩いて城との距離を詰めていくと、城門から二町(約220m)位の所辺りから少しずつ矢が俺のところまで飛んで来るようになった。
避けられる物は避け、更に一町(約110m)程近寄ると、矢と共に銃弾も飛んで来る様になった。
俺に当りそうな物だけは斬り、更に近付いて行く。
一人に対してそんなに撃つ必要あるの?と言いたくなる程に撃って来る。
まぁ予定通りなんだけどね。
実はこの戦では敵味方に俺の実力を知らしめることが目的だ。
剣豪としてはかなり名が売れているけど、戦では全くといっていい程名が売れていない為、最近では「名ばかりで大したことないのでは」「戦も出来ぬ名ばかりの兵法者であろう」等々と本当に舐めた事を言う輩も一部に出始めたので、この際なのでそれなりの実力を見せつけておこうという訳だ。
そうこうしている間に更に城との距離が詰り、大凡半町(約55m)位の距離となったのでそこで止まり、そこで敵方の的となった。
矢と銃弾の嵐の中、当りそうな物のみ斬り飛ばし続ける。
ほんの僅かな間に俺の周りは矢で埋め尽くされる。
敵の射手は
時間にして一刻半程かな?その行為を続けるといい感じに腹が減り、そろそろ昼餉の時間となった様なので、一旦後方に下がり昼餉とする事とした。
昼餉は事前に用意をお願いしているので、後方に居るであろう美羽たちの許に戻る事とした。
十五町(約1,650m)位後方で焚火のような煙が上がっているので恐らくはそこに美羽たちは居るだろうと目星を付けて行ってみれば、やはりそこに準備万端で待って居た。
当初の予定通りの行程なので美羽たちが美味しい昼餉を準備してくれている事であろう。
攻撃の切れ目、タイミングを見計らい後ろに下がる。
城から少し離れると城の城門を守る主将らしき武将が大声で何か言っておる、聞けば「二位蔵人様!!臆したか!!」ろ叫んでいるようだ。
答えてやる義理は無いのだが、「腹が空いたで飯食って来る!!」と返答し
チラリと千里眼で声を掛けて来た守将の顔を見れば唖然としたような顔をしているが、「腹が減っては戦が出来ぬ」て言葉を知らないのかな?
いや、そんなこと言うとは予想していなかったのかな?
まぁいいや、昼飯抜くとか健康に良くないので食いに戻るだけだから安心しろ!!
食って一服したらまた戻って相手してやるよ。
そんな感じで俺は一旦後方に下がった。
城から少し離れ矢も届かぬ位置に美羽たちがやはり待機しており、昼餉を用意してくれているのでそちらに向かった。
今日の昼飯が何なのか楽しみだ。
「長様お疲れ様です」
「腹減った!」
「それよりも!お怪我はありませぬか?」
「特に無いな」
春麗が声を掛けて来たのでそう答えて、見れば握り飯がずらりと並んで居る。
早速とばかりに握り飯を催促しようとすると、美羽が注意して来た。
「長様、手を清めてからの方が宜しいかと」
「お、おう・・・」
うがい手洗いの習慣は俺が我が家に根付かせたんだよね。
美羽たちと結婚する前から彼女たちには健康のためにと徹底させていたのであるが、最近は偶に俺の方が忘れて注意される始末だ。
しかし、そのお陰か、丸目家に関わる人々の病気に罹る割合は恐らく可成り多と比べて低いように感じる。
まぁ調査した訳ではないので「体感的に」という枕詞が付く程度のものではあるけどな。
準備良く水桶を用意してくれていた様で、手を清め、手ぬぐいを渡されたので手を拭き、ご丁寧に塩水まで用意されていたのでうがいをして口を
やることやったので文句は出ず、味噌仕立ての猪汁と漬物が膳に乗せられてやって来た。
そんな時に、休憩所横に縛られて転がされている捕虜が恨めしそうに俺に意見して来た。
「二位蔵人様、余裕で御座いますな~」
「え~と・・・大江?太郎?・・・・」
「江川太郎左衛門英吉に御座る!!」
「おお!そうであった、そうであった!!その方、生きておったか!安心したぞ」
まぁ大丈夫なのは何となく解っていたけど、お約束の文言なので言っておいた。
「・・・はい・・・命長らえましたが・・・」
悔しそうにそう言う太郎左衛門。
生きてて良かったじゃん!!
腹が減っているからそんなネガティブ思考になるのだろう。
「何じゃ?腹が空いたか?」
太郎左衛門は「何言っているの?」みたいな顔でこちらを見詰め、何だか無言だ。
何故彼がここで縛られているかというと、城攻めする前に長門守に依頼して、もし城門から打って出て来る者たちが居たら件の新技を使うからと言う事を言い含めていた。
そして、気を失った者たちを保護するようにと命じておいたのだ。
放っておくと邪魔だし、場合によっては他の者に討取られる恐れもなるからね。
交渉の上での賭け事なので出来れば死者は少ないに越したことは無いという俺の考えで依頼していた。
長門守の報告では16名が運悪く首をやったり、打ち所が悪かったりで亡くなったそうだ。
32名が骨折等の怪我、殆ど無傷が3名とのことで、幸運な3名の者だけここに残し、他は更に後方に移動させ、怪我している者は治療している者は治療しているとの事だ。
「怪我していないなら縄を解いてやり、飯でも食わせてやれ」
「よいのですか?」
「よい」
長門守は速やかに俺の指示に従い3名の縄を解いて、握り飯と猪汁を渡している。
太郎左衛門は驚きながらも言って来た。
「縄を解いてもよいのか?」
「よい、というかもう解いているだろ?」
「そうで御座るな・・・隙を突き逃げ戻ってまた歯向かうかもしれぬぞ?」
「そしたらまた倒すのみよ」
「・・・襲い掛かるかもしれぬぞ?」
「ははははは~この場で返り討ちにしてやるまでよ」
太郎左衛門はその言葉を聞くとポカーンと口を開けたまま固まる。
何をそんなに驚くのか?と不思議に思ったが、折角、美羽たちが作ってくれた温かい猪汁が冷めるので声を掛ける。
「折角の温かい猪汁が冷めるぞ」
「え?」
「腹は空いておろう?食ってからお主の聞きたいことは聞いてやるから先ずは飯を食え」
そして、何がおかしいのか大笑いした後に「馳走になる」と言ってにぎり飯一口、そして、猪汁を啜る。
一口啜ると目をカッと見開きその後は物凄い勢いで食べ始めた。
余程にお腹が空いていたらしいね。
さて、俺も2個目の握り飯に手を伸ばす。
梅干しの次は何が入っているか!!
〇~~~~~~〇
告知通りに望遠鏡・双眼鏡の話をしましょう!!
望遠鏡・双眼鏡の話の前にその発想の原点である眼鏡は13世紀後半にイタリアで発明されたと云われています。
世界初の眼鏡は
日本にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが持ち込み大内義隆に献上したと云われており、それが事実なら1551年となりますが、その献上品は残念ながら現存しません。
さて、望遠鏡はオランダ人のハンス・リッペルハイという人物が水晶でできた凸レンズの対物レンズと、凹レンズの接眼レンズを組み合わせた屈折式の遠距離観察器具として世界初の望遠鏡を作り出しました。
1608年の出来事でこの望遠鏡はガリレオ式望遠鏡と呼ばれます。
実はそれに先駆けて1590年に作られたという話もありますが、証拠が無い為認められていません。
国会に対し30年間の特許申請をしたらしいのですが、この時代にヨーロッパでは特許があったことにこれを知った時には驚きました。
そして、この望遠鏡が何故開発者の名ではなく「近代科学の父」「天文学の父」として有名なガリレオ・ガリレイの名が付くかというと、「オランダで望遠鏡が発明された」と聞いたガリレオはしばらく考えた後に望遠鏡の仕組みを思いついた上、倍率は平凸レンズの焦点距離を平凹レンズの焦点距離で割った数値になるだろうと割り出し、更に性能の良い9倍望遠鏡を自作し、政府高官の前で実演したと云われています。
ガリレオはその功で年俸を獲得し終身大学教授の栄誉を賜っています。
天才は凄いですね。
因みにガリレオさんはこの望遠鏡を使い、木星の衛星、月面のクレーター、太陽の黒点などを発見しています。
それらの事から何故か開発者ではなくガリレオ式望遠鏡と呼ぶ様になった様です。
ハンスさんドンマイです!!
17世紀(1611年)になると更に優れたケプラー式望遠鏡が発明されます。
天体観測の進歩で更なる高倍率が求められる様になったことが望遠鏡の発展に繋がった様で、ヨハネス・ケプラーというドイツの天文学者さんが対物レンズ、接眼レンズの両方に凸レンズを用いる形式の望遠鏡を自作し天体観測したそうです。
因みに「ケプラーの法則」のケプラーさんです。
ケプラーは「宇宙の神秘」という書物を書き、太陽を中心に六惑星(水星・金星・地球・火星・木星・土星)が、つぎつぎと外接・内接することによって、その距離が保たれていると言う事を提唱し、ニコラウス・コペルニクスの唱えた地動説(太陽中心説)を全面的に支持しました。
天文学者の中でコペルニクスの説を全面的に支持したのはケプラーが初めてで、案の定この事が原因で職を失っています。
丁度アニメ化で人気放映中(2024/11/29時点)の漫画家・魚豊先生の漫画「チ。-地球の運動について-」がここら辺を題材とした話ですね。
ケプラーは・・・おっと!ネタバレ厳禁なので話を戻し。
ケプラーはコペルニクスの説を全面的に支持したことが影響して彼の母が魔女裁判に掛けられたそうです。
無罪判決を勝ち取る事は出来ましたが、裁判と弁護に奔走したり、迫害されたりで大変だったようですが、晩年に神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の勅命で天文表の「ルドルフ表」を作成、完成させています。
この天文表は。ケプラーの法則に基づいて計算され、その数値は従来の星表の30倍の精度を持ち、地動説の優位性を決定的な物となったと云われています。
この人もマジ天才ですね。
上記に挙げた望遠鏡はレンズの屈折を利用した仕組みなので屈折望遠鏡と呼ばれました。
望遠鏡の話から大分逸れてる?逸れてません!!
更に時代が進むと、「ニュートン力学」で有名なアイザック・ニュートンが1668年にニュートン式望遠鏡を考案します。
この望遠鏡は反射望遠鏡と呼ばれるもので、当時からケプラー式よりも性能が良くて好評で、 広く普及することとなり、現在もこのタイプの望遠鏡が人気です。
天文学においては更に星を詳細に観測する為に倍率を上げる事が求められ空気望遠鏡等々のどんどん高倍率の望遠鏡が考案されていくのですがまだまだ奥が深いのでここまでとします。
次回は双眼鏡かな?
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