第374話
「助五郎(北条氏規)さ~どうすればお前は降伏するの?」
「え?・・・」
第二回目の交渉は挨拶の後、早速とばかりに俺が交渉担当として開始されたんだけど、確認の為にも助五郎に聞くと戸惑ったような顔をしてチラリと黒官(黒田官兵衛)の方を見るので、横目で俺も見てみれば、「此奴何言っているの?」とでも言いたそうな顔で俺を見て、俺に視線を返して来る。
「あ~いやさ~交渉する上で相手の要望を聞いておくの重要でしょ?」
そう俺が言うと、助五郎は「確かに!」と言いつつ思案し始める。
黒官は困惑顔で不安そうにこちらを見詰めて来るけど、何故に?
「そうですね・・・先ず、北条家と和睦頂けるのなら・・・」
助五郎がそう言うのを聞いた後、目線を黒官に向けると渋面で首を横に振る。
うん、ここで回答できないだろうね~お猿さん(豊臣秀吉)に要確認だろうけど、ぶっちゃけこんなんで赦してたら関白の沽券に係わるだろうから無理。
「まぁそれは難しいと思うよ~」
「左様ですか・・・いや、考えてみれば無理な話でしたな」
「まぁ行き成り聞かれても思いつかないだろうから、次までに考えておいてよ」
「・・・あの・・・」
「ん?何か質問?」
「本来、交渉役が降伏の条件を提示するのではないのですか?」
「そうだね~でも、交渉を持ち掛けられる側が条件出して話した方が合理的じゃないの?」
助五郎はそう俺が言うとまた考え込んで「考えておきます」と言った。
その後は助五郎と雑談したのだが、久しぶりに会った助五郎は俺の欧州見聞の話を聞き違ったので話してやった。
「蔵人様!!」
「何でしょうか?」
城を退去し味方の陣に戻って来ると、凄い剣幕で黒官に詰め寄られた。
「交渉とはですな!!〇×△#$~」
凄い剣幕で捲し立てるものだから聞き取れないし、いや、聞いても意味無さそうな気がしたので聞き流して、落ち着いたところで、俺の意見を述べる。
「此方の都合ばかり押し付けても交渉は長引くだけですよ?」
「ですから!最初にご説明したと思いまするが、この戦が全て終わる頃に降伏して頂ければよいのですよ!!」
「悠長なことですな」
不満タラタラと言った感じの顔で俺をジッと見詰めて「はぁ~」と溜息を漏らす。
俺の事をまるで物わかりの悪い事もを見るような目で見詰めて「交渉の何たるか!!」みたいな口舌を言う黒官。
「蔵人様にお任せできませぬな!」
「次は官兵衛殿の番ですのでご随意に」
「・・・解りました・・・」
交渉は三日置きに行われることとなっている。
その間にも豊臣方は小田原城以外の城を攻めているようで、刻々とその状況の知らせが届く。
そして、小田原城はお猿さん率いる主力に包囲されたことで、北条方は小田原城と他の城との分断により、統制が取れないようで、各個撃破される未来が見える様な気さえした。
まぁ結果を知る俺としては特に驚く事ではないのだけれど、北条側は慌てふためいているという。
豊臣方は小田原城に向かい合うような形で巨大な街のような物が形成されて行った。
最近は黒官に会うこと多いので、雑談として話していてギョッとされた。
「最近、小田原城に面するように街のような様相の陣を作られているとか」
「はい、長対陣をすることになるであろうと言う事で、出来るだけ殿下が快適に暮せる様にと申されまして」
「ふ~ん、お猿さんが快適にね~」
「いえ、殿下がではなくて、兵がで御座るよ」
「そうですか・・・そう言えば、小田原城に見えるように、いや、見せつける様に何やら作られているとか?」
「その様で御座いますね」
「あ~もしかして、籠城している小田原城の者たち全てに対して見せつける事が目的ですか?」
「な、・・・何のことでしょうか?」
黒官がギョッとした顔の後、笑顔を張り付けてとぼけた。
うん、前世の小説か何かで見聞きした様な気がする。
小田原城の方は多くの兵を詰め込んで籠城しているので今はまだましだけど、食料や色々が枯渇して来る。
それに対し豊臣方は潤沢な補給で物資は枯渇しない上に快適生活を満喫できる。
その様を北条方に見せつける事で心を折る作戦なのだろう。
「遊郭なども作られる予定とか」
「お、お耳が早いですな・・・」
おうおう、黒官が顔を引き攣らせながらも長門守をチラ見している。
うん、うちの諜報担当の統括だしね~そりゃ見るよね~
長門守も何時になくどや顔です。
いや、わざと黒官にそう見せている?
何か今回の小田原征伐前の難癖付ける際に用いられた名胡桃城事件って黒官が関与して要るっぽいんだよね~
確たる証拠はないけど、丁度事件が起こる時期位には黒田家所属の忍びの者が頻繁にあの地域で見られたらしいからね~
黒官は藤林の諜報網を便利使いしている反面、可成り警戒しているようで、自分の所で
忍者育成を始めた。
何処の家も忍者を雇っているんだけど、黒田家はうちのグループから弾かれたような者に声を掛けて集めたらしいからね~
さて、第三回の交渉が始まった。
〇~~~~~~〇
小田原征伐は国内最大の大名である北条家を屈服させることが目的の戦と言われていますが、それだけではなく、未だに豊臣家に従わない者たちに見せしめる意味もあった様で、小田原征伐の後に行われた奥州仕置では反抗的であった伊達政宗ですら膝を折っています。
この話はまたいずれしたいので、話を戻し、小田原征伐について話します。
小田原城包囲は早い段階で行われた様で実際に包囲後から豊臣方の陣は街のようになっていったとも云われます。
豊臣秀吉が住む館が出来、兵たちの長屋が出来、市が立ち、遊郭まで備え付けた陣が出来たと云われます。
小田原城からはその様子が丸見えで、街のような物が出来ると夜遅くまで賑やかな喧騒まで聞こえ、小田原城に籠る者たちの心にダメージを与えたようです。
因みに、秀吉の館というのは、小田原城を見通せる石垣山という場所に山の名前そのままに石垣山城という城を建造しました。
千利休を主催とし大茶会などを連日開いたとも云われますし、茶々を始めとする妻女や
御伽衆というのは権力者の側近に侍して相手をする職名なのですが、秀吉の場合は慰安の為の女子たちです。
この時期で有名な話は多く残っていますが、千利休繋がりで山上宗二という弟子一人の話が中々に秀吉の残忍性を伝える話として残っています。
山上宗二は堺の豪商でもあり茶人としても利休の高弟でした。
以前は秀吉にも茶人として仕えていたのですが、理非曲直発言で秀吉に怒りを買い私財没収で追放されました。
その際は前田利家を頼り前田家に仕えましたが、また秀吉を怒らせて高野山に一旦逃げた後に北条家を頼って北条家に仕えました。
小田原征伐時に小田原城から抜け出し秀吉に謝罪し、千利休の取成しもあり、再登用されます。
亡き北条幻庵に義理立てし、また秀吉に怒りを買い、耳と鼻を削がれた上で打ち首となりました。
秀吉の残忍性の逸話として語られますが、これだけ何回も怒りを買っている人物も中々居ないので、余程に相性が悪かったのかもしれませんね。
彼は「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」等の茶道に関しての重要文献を書き記した人物として有名でした。
「山上宗二記」中には師である千利休も批判するような内容を書き記しており、「山を谷、西を東と茶湯の法度を破り、物を自由にす」と書いているようです。
利休の急激な侘びへの傾斜が原因と云われますが中々に激しい性格の方だったのだろうと推察できますね。
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