第373話
豊臣秀吉擁する豊臣軍主力は黄瀬川(静岡県の一級河川)周辺に集結し、そのままゆっくりと沼津三枚橋城(静岡県沼津市大手町)に向けて軍を移動させ到着、二日後には小田原城に向け進撃を開始した。
行く手を阻む山中城には羽柴秀次・徳川家康を中心とした軍を差し向け、もう一つ邪魔となる韮山城(静岡県伊豆の国市韮山)には織田信雄を中心とした軍を差し向けた。
山中城は半日で陥落したのに対し、韮山城では攻撃側の10分の1の城兵にも拘らず、包囲持久戦となった。
守将の北条氏規は非開戦派であった事から秀吉は開城交渉策に切り替え、徳川家康にこれを依頼した。
家康は家臣の小笠原丹波を使者として交渉するが北条氏規はこれを拒絶した。
交渉失敗した小笠原丹波は何を考えたのか、勝手に韮山城に攻撃を始めた。
同じく、家康より交渉役の任を命じられ小笠原丹波とともに韮山城に来た徳川家家臣・江川英吉は慌てて小笠原丹波を止めようとするが、小笠原丹波は言う事を聞かず城攻めの号令を出した為、江川英吉は仕方なく小笠原丹波と戦い討取った。
この知らせを聞いた家康は慌てて秀吉に事の顛末を報告するとともに、北条家と懇意の丸目蔵人に交渉役を委任することを伝えた。
★~~~~~~★
「家さん(徳川家康)の頼みなら仕方ないな・・・助五郎(北条氏規)は知っているし、まぁ・・・説得してみるよ」
「忝い・・・御頼み申す・・・」
家さんの依頼で韮山城に籠る助五郎を説得に行くこととなった。
いや~一応は弟子?助五郎の異母弟である源三(北条氏照)が俺の正式な弟子となった事で興味を持ち、稽古を付けてやった仲で、俺が北条家滞在中には仲良くさせて貰った人物の一人だし、源三からも「北条家の者を一人でも多く生き延びさせたい」という内々の書状が届いている。
源三はお猿さん(豊臣秀吉)には勝てないと考えているらしく、戦後の事を考えて行動してる様であるし、出来れば彼は助けたいと思い俺も動いている。
家さんがお猿さんに報告して俺がネゴシエイター《交渉人》となった事を伝えると、黒官さん(黒田官兵衛)が同じく交渉人として送り込まれて来た。
「蔵人殿、ご一緒させて頂きます」
「宜しくお願い致す・・・」
ニコニコの笑顔だし、俺は彼から何かされた訳ではないんだけど、何だか笑顔が黒いんだよね~
それに、最近は「様」付けで呼ぶのも気になる。
以前は「殿」だった気がするんだけど、何時の頃からか俺に「様」付けるんだよね~
何か黒いこと考えていそうに感じるのは何故だろうね?
黒官だけに?いや、違うから!!
さて、小田原征伐において落ちなかった城と言えば、推し城、違った、忍城!!
小説にも映画にもなった有名な城で、石田三成が水攻めをした城として有名。
しかし、今回交渉に行く韮山城も実は豊臣軍の重要攻略地点だったにもかかわらず4か月以上の間抗戦するという善戦をした城として有名であった。
何故、交渉をとお猿さんが考えたかと言うと、北条家の当主に代わって上洛し、豊臣方と数度の交渉に当たった彼を評価しての事らしい。
これは黒官さん情報だけどね~
「蔵人様には何か策が御座いまするか?」
「いえ、特には・・・官兵衛殿には何かお考えがありまするか?」
「はい、この大戦が終わった後は北条家の主だった者たちには責任を取って頂く事となるでしょう。その後には彼に北条家を継いで頂ければと・・・」
仲良し北条家だし、助五郎も御多分に漏れず、兄弟たち(氏政・氏照)や現当主である甥(氏直)との仲は良いし、裏切るようなことはしないと思うんだけどな~
いや、恐らく、そんな事を言っていたから説得に4カ月もかかったんじゃないのか?とすら思う。
うん、説得に張り付く気は無いぞ。
俺も手柄立てて源三を中心に助命嘆願を戦後はお願いしようかと思っている。
手柄立てないと認められないと思うから今回の説得交渉は渡りに船と思い受けた。
「その内容では何時までも助五郎は頷かないと思いますが?」
「はい、小田原が落ちるまでに交渉できれば良いのですよ」
「左様ですか・・・」
うん、やっぱりその笑顔が胡散臭く感じる。
何か悪い事でも考えていそうな黒い笑顔に見える・・・
★~~~~~~★
徳川様のご使者が来た。
「左馬助殿(北条氏規)、貴方様は非開戦派だったと聞き及んで御座います」
目の前にて俺に意見するのは徳川様の家臣で小笠原丹波という者だ。
副使としてもう一人いるが名を名乗った後は黙って控えておる。
名を江川肥前(江川英吉)名乗っておったな。
「さすれば、貴方様が此方にお降り頂ければ戦も早う終わりましょう」
「おい!確かに拙者は非開戦派ではった。だがな、戦が始まれば戦わぬとは言っておらぬぞ!!そこもとは拙者が戦いが始まっても戦いを避ける様な腰抜けだとでも言うのか?」
「いえ、そのような事は・・・」
「では、何が言いたいのじゃ!!」
「それは・・・」
小笠原丹波というこの者は儂を愚弄したいのか?
確かに豊臣家は強い。
多くの諸大名を引き従えて大軍で攻めて来よった。
如何な大領土を持つ北条家と言えども太刀打ちするのは分が悪い。
しかし、戦は始まってしまった。
負けるにしても一矢報いてからではないと和睦交渉するにしても分が悪すぎる。
今は耐える時じゃし、そもそもがこの目の前に居る小笠原丹波という者が気に食わぬ。
「用件がそれだけなら帰られよ」
小笠原丹波は色々と言っておるがもう話すことはない。
五月蠅く騒ぎ立てた小笠原丹波を抑えて江川肥前という者は「また参りまする」とだけ言って交渉の場を去った。
彼らは何度か交渉に現れたその度に話だけ聞き追い返してやった。
これはいい時間稼ぎとなる。
そう思っておると、何を考えたのか交渉中にも拘らず韮山に矢を射かけた馬鹿が居った。
その馬鹿者は味方の兵に討取られた様であるが、どうやら例の小笠原丹波であったようだ。
討取ったのは江川肥前であったと聞き、何となくだが納得した。
馬鹿が正使だったので彼も大変であったであろうと敵ながら憐れんだ。
そして、少しするとまた交渉人がやって来た。
「よう!久しぶりだな」
「これは!よくお出でくださいました!!蔵人様!!」
何と驚いたことに蔵人様が参られた。
そして、一緒に豊臣家の懐刀である黒田官兵衛殿も参られた。
「この大戦が終わった後は北条家の主だった者たちには責任を取って頂く事となるでしょう」
「左様ですか・・・」
確かに負ければそうなるであろうが、北条家としては何とか引き分けて和睦へと持って行きたいと思うておる。
「その後には貴方様に北条家を継いで頂ければと・・・」
「・・・」
何を馬鹿な!!と叫ばなかっただけ我慢したと我ながら思う。
兄弟や甥を売ってまで家督を継ぎたいとは思わぬ。
ジッと睨み付けると黒田殿も此方をジッと睨んで来る。
昔にも彼と相対したが、何を考えておるのかよく解らぬ。
しかし、彼は切れ者じゃ。
儂は落ち着いて答えた。
「拙者は兄弟や甥を追い落としてまで家督を得ようなぞ思うて御座らぬ」
「左様ですか・・・」
「先に申しておきますが、何度来れれようと拙者の意見は変わりませぬぞ」
そして、二人揃って帰られた。
蔵人様は帰り際に「次は俺の番だからまた来るぞ」と言って帰られた。
相変らず飄々として黒田殿と違った意味で何を考えているのか解らぬ御仁じゃ。
しかし、蔵人様がどんな事を言って来られるか楽しみでもある。
儂は「お持ちしております」と答えて彼らの姿が見えなくなるまで見送った。
〇~~~~~~〇
次は韮山城です。
史実でも小笠原丹波が問題を起こしております。
そして、徳川家康と黒田官兵衛が交渉役となり最終的には開城していますが、次々に北条に所属していた城が落とされていく中での交渉で、交渉時には城がどんどん落城している事なども交えて北条氏規の心を折って行ったようです。
小田原征伐が終わり戦後は、高野山に蟄居処分となった北条氏直に従って高野山に赴いて蟄居したようです。
その後、河内で領土を得、子孫は、狭山藩藩主として明治維新まで存続しています。
さて、小田原征伐のおいて前話の山中城は丁度、箱根峠の中腹位にある城でした。
そして、小田原城から見て箱根峠を挟んで反対側斜面にある城でした。
そこを早々に落とされた訳ですから、慌てたことだと思います。
韮山城は山中城から見たら小田原城と反対の位置にある城ですが、この城を落とすか抑えを置く事で後ろからの奇襲などを防げるため、豊臣軍としては是非とも抑えておきたい城でしたが、大軍で包囲するのも無駄だったので交渉になると織田信雄の軍などは小田原城包囲の方に移動させたと云われています。
信雄はこの当時は内大臣の地位にあり豊臣秀吉に次ぐ官位を持っていた為、大将格として戦に参加しましたし、動員人数も1万7千と中々の規模だったようですが、活躍らしい活躍したか?と考えると・・・
さて、小田原征伐が終わると、論功行賞の場で、秀吉は北条の領国だった関八州を徳川家康に与え、家康の旧領を信雄に与える事を決めたのですが、信雄はこれを固辞して先祖相伝の地である伊勢・尾張をこのまま領していたいと願い出たそうです。
これを受け、秀吉は激怒して、信雄を追放に処したそうですが、追放と言っても下野国に捨扶持が2万石を与えていますので追放と言うより減俸?
この当時の家康の持つ5カ国は約120万石位でしたから・・・
「常山紀談」という江戸時代に書かれた逸話集には、戦後の酒宴の席で、信雄は舞上手で有名でしたので秀吉が一曲舞を所望したそうですが、信雄は自分を侮った行為だと思い、不吉な詞の替え歌で舞ったのですが、これが秀吉の怒りを買って追放になったと書かれているそうです。
家康の尽力により、信雄は赦免されて帰還を許されたと云われています。
面白いのが忍城主であった成田氏長が信雄に替わって烏山城2万石を与えられたそうですが、それには裏があり、娘甲斐姫が秀吉の側室に召し上げられた褒美として与えられたとか何とか。
信雄は関ヶ原の戦いでも親子で西軍に与したことで領土を失っています・・・
大坂の陣にて再興し大和松山藩主になったりと中々のジェットコースター人生を満喫しています。
細かく見て行くと巷で語られる戦国馬鹿大将と言うだけではない人物なので、また彼については深堀したいですね~
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