第372話

出陣式的なものが終わると早速とばかりに各方面に別れて先ずは戦地に移動して戦が始まるのであるが、孫七郎が羽柴秀次と呼ばれていたのに少し驚いた。

石田三成が「山中城責め、総大将、羽柴秀次権中納言様」って言って、孫七郎が「

はっ!」とか返事した時には「マジか!」とか思ったよ。

My生体Wikiこと長門守に後ほど確認したところ、お猿さんが関白になった頃からそうな乗っておられますよと教えてくれた。

うへ~知らなかったぞ・・・いや、恐らくは報告はされていると思うけど、日々膨大な報告があるのでそれに隠れて見逃していたと思われる。

と言う事は、彼が次の関白で・・・

まぁ今は考えるのはよそう。

さて、孫七郎こと羽柴秀次には家さん(徳川家康)が指南役に抜擢され、山中城を責める事となった。

通常は家さんがこの城攻めの総大将を任されるのが通例なんだけど、お猿さん(豊臣秀吉)の願いで孫七郎(羽柴秀次)が総大将となった。

家さんは位も動員の兵士数も一番多いので、総大将になるのが通例だし主張していいんだけど、お猿さんの命に従った。

家さんの家臣たちは勿論の如く不満を口にしていると聞く。

しかし、家さんがそれに同意している訳だし、何か理由を説いて家臣たちを抑えたことで一応不満は徐々におさまった。

俺も仲良い連中なので一声かけておいたけど、家さんから「助かりました」と言われた。

何を言ったかと言えば


「落とせる城は沢山あるんだから一々一つの城の総大将じゃなかったからと揉めてたら時がもったいないぞ。早く城落として次の城に取り掛かり、戦功を積む方が良くないか?」


と言ったんだけど、それを聞いた連中は「あっ!」と今気づいたと言う様な顔をして「そうですな」的な回答をしていた。

でも、不満はまだある様だったんだけど、久さん(堀秀政)がいいタイミングで


「徳川様と治兵衛様(羽柴秀次)のご家臣方が揉めておられる間に我が方で戦功を頂戴いたしまする」


とか心にもない事言って俺の後押ししてくれてたよ。

流石は名人久太郎、出来る男は違うね~

三左衛門殿(池田輝政)も「おお!!それは良いですな!!」などと言ってさらに後押ししてくれた。

いや、あれは本気かもしれない・・・いやいや、後押ししてくれたんだよきっと・・・

うん、本当に出来る人間と言うのは空気読むのも上手いな~

そんな一幕もあったが、上が揉めることが無かったので自ずとその件は沈静化して行った。


「松田兵衛大夫殿(松田康長)が城主で、北条左衛門大夫殿(北条氏勝)、北条新左衛門殿(北条繁広)等が加勢に来ておるようで御座います」


流石は藤林!と言いたいけど、今回の情報は風魔が主に調べ流してくれている。

風魔一族は先々の事を考えて俺の傘下に入ることを決めたとお銀からの報告を受けた。

無謀な戦いを挑んだ北条家を見限った様で、小田原征伐後は正式に配下に加わってくれるそうだ。

城の縄張なんかも事前に風魔から情報を得ていたのでうちは有り難く情報を売りましたよ。


「蔵人様の所の忍びは優秀ですな」

「誠に!」

「流石じゃ!!」


賞賛の荒しです。

まぁ優秀なのは間違いないので頷いて賞賛を受け入れる。

そして、長門守に続きを話す様に促す。


「城を含め四千程の兵で守っておるようです」


それを聞いて皆が、「たったそれだけ?」「像が蟻を踏み潰すようじゃ」などと緩み切った発言をする。


「各々方!油断召されるなよ!油断しておれば勝てるものも勝てぬ」


家さんが吼える。

全体を見回して更に言葉を紡ぐ。


「相手も必死で御座れば、それ相応の覚悟をこちらも持って事に挑まねば、足元を掬われましょうぞ!!」


うはっ!流石は将来の天下人!!

その文言に聞き入る、痺れる、惚れちゃうだよ。

今まで余裕ぶっこいていた面々が、「左様ですな」「注意せねば」等々考えを改め、心を入れ直したのが見ていて解る。

その後も油断なく軍議は行われ、戦の火ぶたは切って落とされた。

心を入れ直し、引き締められた諸将は奮戦した。

そのお陰か、半日程で落城しちゃったよ。

一番乗りの戦功は孫七郎の所の孫平次殿(中村一氏)が挙げた。

彼の家臣の渡辺勘兵衛(渡辺了)という人物が大活躍したそうだ。

中村家の旗を掲げた彼の軍が誇らしげにその戦功を捲し立てていたらしい。

しかし、訃報も届いた。

市助殿(一柳直末)が銃弾にて討死したと伝令にて知らせがあった。

そして、この戦では大軍で攻めてるのに総大将の孫七郎が先陣に立ち戦う始末。

え?大将って後でドンと構えているものじゃないの?

御蔭で俺も最前線に居ましたがな。

孫七郎に「前に出過ぎ!!」とか「総大将が前線に出るな!!」とか注意したけど、聞く耳持たんがな~

仕方無いので、俺と孫七郎に当りそうな弾丸は全て斬り落としたし、弓矢も薙ぎ払ってましたから、孫七郎は無傷です。

でもな~恐らく、俺が居なかったら孫七郎は・・・

兎に角、孫七郎は猪武者のようだ。

この報告を聞いた家さんは指南役として「大将が最前線で斬り合うなぞもってのほかで御座いますよ」と注意したけど、やっぱり孫七郎には響いていないようだった。

うん、俺が着いて来て良かったんじゃね?

後日、お猿さんはこの活躍を島津家の龍伯殿に「中納言(秀次)自らが突入し、城主以下、首二千余討ち取り候」とか書状に認めたらしいけど、横で見ていて思ったけど、孫七郎はそんな戦〇無双みたいなことしてないからな!!

一対一でやっとって感じだったぞ。

何にしても初戦の戦は勝った。


〇~~~~~~〇


小田原征伐開始!!

さて、今回の題材の中山城の戦いでは羽柴秀次の軍の活躍が目立ちますが、史実でも実際に大活躍したようですが、岱崎出丸だいさきでまるという出丸に攻め手が殺到したそうです。

この出丸を守っていたのは間宮康俊という人物で、北条氏勝の配下の者で、歴代の相模玉縄城主(北条綱成・氏繁・氏舜・氏勝)に仕えた一族の一人ですが、この戦いでは猛攻を猛烈な銃撃による抵抗で食い止め、時には手勢を率いて突撃・退却を繰り返し奮戦したようですが、2時間ほどでこの出丸を落とされたようです。

この際の一番乗りの戦功が作中で書かれた渡辺勘兵衛(渡辺了)の活躍です。

三の丸攻略の最中に一柳直末が銃弾にて討死も作中で取り上げましたが、全てに於いて羽柴秀次の力攻めの指示の下での結果だった様な気がします。

功を焦った羽柴秀次が無策でひたすら力攻めを命じたとも云われていますので・・・

豊臣方は秀吉が関東に到着する以前から、山中城周辺について調査を行っており、その調査を基に軍議を重々行っての戦開始だったそうで、攻略の糸口を掴んだ上での攻略だったので、本当は可成り余裕があったとも云われますが、結果は半日も掛からず落城でしたが、秀次の力攻めの方針により豊臣方に結構な損害が出たそうです。

うん!こういうことが残る所が秀次は戦下手と言われる所以でしょうね~

でも、北条陣営に大きな衝撃与えたとも云われますので結果的に被害以上に敵に予想を上回るダメージを与えた事にもなるので取り様ですね。

徳川勢は山中城落城の同日に別働隊にて鷹ノ巣城を落としたと云われますので、この時期の家康は優秀だな~と感じます。

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