第367話
隠居宣言してから多くの者からお手紙が届く。
驚く者が殆どなのであるが、中には俺の新しい門出を祝いつつ時間が出来たならゆっくり語りたいなど言って来る者も居た。
そして、秀さん(豊臣秀長)からは詫び状が届いたが、それ以降も以前以上に書状が届くようになり、是非会いたいという旨の事が書いてあるので、次回、畿内方面に行く際は会う事とした。
しかし、そんな中、喜兵衛(真田昌幸)からの書状の内容に気になる点があった。
北条家家臣の
惣無事令違反としてお猿さん(豊臣秀吉)に届け出るが、北条と戦となるかもしれないとのことが書かれてあった。
あ!これって名胡桃城奪取事件だよね?大河で観たぞ!!
恐らくこの事件が引き金で小田原征伐が始まる。
北条にはお銀含め多くの藤林の者が入っているので、急ぎ長門守に状況を説明し、大戦となる事を知らせた。
長門守もお弓ちゃんも「お銀なら上手く立間回るでしょう」と口を揃えて言うので、大丈夫だとは思うが、心配だ。
俺は念の為に何処かの軍に陣借りしようと思って丁度良いと思い、秀さんの所に陣借りしようと考えて打診した。
勿論、快く応じてくれて返書には「相変らずの耳の速さに感服いたします」と書かれていた。
豊臣政権内部ではこのチャンスを待っていたんだろうね~
既に一部動きがあるようではあったけど、まだ諸大名とかには伏せられているっぽい。
俺の方の情報網では家さん(徳川家康)も水面下で北条と色々遣り取りをしているようだというのを知っているが、その努力も水泡に帰すだろう。
家さんと言えば、現在の正妻はお猿さんの妹の朝日さんなんだけど、病気に伏せっているという。
家さんの現在の状況は複雑で、北条家とも親戚関係なんだよね~
北条家の現当主・北条氏直の正妻が家さんの娘の督姫であるから、現在は調停で天手古舞みたいだけど、領土問題はね・・・
諜報からの報告では上手く行っていない模様だし、家さんも半ギレして「縁切るぞ」的な事を北条家に言っているとか。
それらとは関係無いが、朝日姫(駿河御前)の名を聞いて何か頭に引っかかる様なものがあるのだが、特に思い出せないので気のせいか?
何か重要な事を見落としている?
先の歴史をちょこちょこ知っているだけで、全部が全部知っている訳ではないのであるが・・・それで事前に動けることもあるし、事件が終わった後に思い出して後悔することもあるので先を知っていることも善し悪しだと思う。
知っている事のメリットは勿論大きいので、有効活用だけだな。
といっても、知ってても歴史を覆すことは中々難しいようで、防げないことが殆どだし、これが巷で言う強制力と言うやつなのかもしれないななどと考えを巡らしていると
「豊臣方に味方するという事で宜しいですか?」
我が参謀の一人、長門守がそう聞いて来る。
勿論、勝ち組に乗っかる予定だし、北条家に何か便宜を図るにしてもそっち側に居ないと何も出来ないので、今回は豊臣方に味方することを通達した。
「秀さんに陣借りを打診したら、耳が早い事でってさ」
「ふふふふふ~大和大納言様(豊臣秀長)だからその程度しか言われませんでしょうが、他の耳に入れば」
「まぁそうだな~一応は俺も考えて相手に打診しているぞ!」
考えて無かった・・・前だったらお猿さんに直で打診していたかもしれない。
丁度、最近、秀さんと頻繁に手紙のやり取りしていたから序の様に頼んだだけなんだよね~
危ない!危ない!!
「蔵人様が慧眼は知っておりますので、態々言われなくても解っておりまする!」
「いや、俺も見落としがある事もあろうから、今後とも気付いた時には教えてくれ」
「心得ました!!」
うん!こう言っておけば長門守が教えてくれるだろうし、何とかなるはずだ!!
★~~~~~~★
「ゴホッゴホッ・・・長さんより書状が届いた」
「二位蔵人様は何と?」
重臣の一人、
彼はそれを読み進めていると、与右衛門(藤堂高虎)が私の咳を気にして聞いて来る。
「殿、ご体調が宜しくないのですか?」
「いや、少し咳き込んだだけじゃ」
「しかし、最近少しお痩せに・・・」
与右衛門(藤堂高虎)は私の事を気遣い、医者を進めて来たが、今はそれどころではない。
「お忙しいのは重々承知しておりますが、殿に何かあれば豊臣家の大事!ご自愛くだされ!!」
そう言うのは重臣の一人、六臓(羽田正親)であった。
そして、新助(小堀正次)も言う。
「然り然り!殿には替えが居りませぬよって何かあれば一大事ですぞ!!」
書状を回し読みしている間に重臣共が説教して来る。
確かに、最近、体の不調である日が多く、咳き込むこともよくあるが、特に動けない訳ではないのだがな・・・
「解った、解った、北条の件が片付いたら少しゆっくりしよう」
重臣たちをなだめる様に言うと「言質は取りましたぞ!!」などと言われる始末。
全員が読み終わると意見を出し合う。
与右衛門(藤堂高虎)と
「流石は藤林を抱える二位蔵人様ですな!」
「ほんに、千里を見通すとはあの方のような方のことを言うのでしょうな~」
六臓(羽田正親)は言う。
「危険な御仁ですな・・・豊臣家の天下を覆すはあのような方かもしれませぬぞ!」
その言を聞き、新助(小堀正次)も意見する。
「ほっほっほ~幸い、殿とも関白殿下とも仲が宜しいので、今は問題御座らぬな」
皆、その意見を聞いて「然り、然り」と言う。
しかし、兄者が変な対抗意識を持ち長さんに対して画策している事が不安である。
もし、私が死して兄者と長さんに溝が出来れば・・・
考えただけでも恐ろしい。
確かに、長さんの影響力は大きい。
仮に長さんが敵に・・・いや、そうならないようにするのが私の役目じゃ。
「大丈夫じゃ!我が目の黒い内は兄者を諫め、長さんとも仲良くするで心配致すな!!」
そう言って皆を和ませた。
〇~~~~~~〇
小田原征伐の切っ掛けになったと云われる、名胡桃城奪取事件が起こりました!!
主人公の蔵人は豊臣長秀の陣に陣借り予定としておりますが・・・
歴史に御詳しい方ならご存じだと思いますが、小田原征伐は色々な意味で豊臣政権のターニングポイントでした。
さて、豊臣長秀の重要家臣といえば最初に思い浮かべるのは藤堂高虎でしょう。
しかし、他にも中々に優秀な人物たちが顔を揃えていたようです。
今回登場した横浜一庵・羽田正親・小堀正次など御存知でした?
他にも、小川下野守・桑山重晴・黒田直之・尾藤頼忠・本多俊政・他などが長秀に仕えていました。
今回は豊臣秀長家臣団について!!
今回登場した人物で藤堂高虎は有名なので今回は省くとして、他の3人について語りたいと思います。
横浜一庵は羽田正親・小川下野守とともに秀長の三家老として内政を担当したと云われれ、一庵は和歌山城の普請奉行を藤堂高虎・羽田正親とともに勤めた重臣中の重臣の一人で、慶長伏見地震(1596年)で圧死した人物ですが内政のスペシャリストだったようです。
羽田正親も内政面で長秀を大いに助けましたが、戦上手でもあった様で文武両道といった感じでだったようです。
秀次事件の連座となり、越前国に追放されて自害して果てたと云われています。
小堀正次は小堀遠州の父です。
政治手腕を買われて、主に紀伊国・大和国の検地代官を務めた内政官だったようで、秀長の死後は秀吉に仕えて大和・和泉・紀伊の郡代に任ぜられた程の人物です。
今回ご紹介の3人の中では唯一、関ケ原の戦いまで生き残った人物です。
東軍に味方し、会津征伐に従軍し備中松山で大名となりました。
備中における徳川直轄領の管理も任された程の人物なので、内政官として本当に優秀だったと思われます。
1601年には伏見城の作事奉行も務め等、内政官として功績を積み上げて行きます。
残念ながら3年後の1604年に江戸への参勤途中に急死しています。
家督は長男の小堀政一こと小堀遠州に引き継がれますが、子孫が松平定信により改易させられ大名家としては1788年に断絶しますが、後に御家人として再興を許されたようです。
因みに、小堀遠州を知らない人の為に、茶人、建築家、作庭家、書家として有名なある種の芸術家です。
特に茶湯は千利休に師事し、古田織部にも茶湯を学ぶこととなり、茶道の遠州流の祖となりました。
この流派の特徴は和歌や藤原定家の書からインスピレーションを受けて美意識を茶の湯に取り入れた「きれいさび」と云われます。
ここら辺は機会があれば深堀したいのでここまでとし、彼は親父と同じく内政の才があった様で、駿府城普請奉行となり、その修築の功により、従五位下遠江守に叙任したことで遠州と呼ばれるようになります。
他にも作事系の仕事を多くこなしており、宮中造営の業績などもあります。
伏見奉行を務めていた際は多くの建築に携わり、彼が参画したと思われる遺構は多いようです。
特に、作庭と茶室建築には才があった様です。
勿論、彼も親父とともに豊臣秀長に仕えていました!!
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