第359話
慶さん(前田慶次)は実に自由人の様で、俺とともに京にやって来ると早速とばかりに色街に姿を消して行った。
4日程して家に顔を出せばそのまま俺や竜様と茶を飲んだりしていたかと思えば、歌会や色々な催し物に参加して回ったりと気の向くままに行動している。
本当に雲のような男だ。
「慶さん宛てに書状が届いているぞ」
「おう!」
慶さんの家の様に郵便物が普通にうちに届く。
滞在先が家なので当たり前と言えば当たり前なのだけれど、前世の感覚もほんの少しだけ残る俺はほんのちょっとだけ違和感を感じてしまう。
「それで又左殿(前田利家)は何と?」
「叔父貴から関白が面会を求めているから一度顔を出せだってさ~」
「ふ~ん」
来た!前世で小説等で取り上げられ有名となった、「傾き御免状」だろうとピンと来た。
恐らくはお猿さん(豊臣秀吉)は京に慶さんが居ることを知り、噂の傾奇者を見て見たいと思って又左殿に打診したんだろう。
又左殿も慶さんの性格知っているから事前に話して無礼を働かせないようにと考えているんだろうな~とか勝手に予想したぞ。
慶さんは物語で描かれる程の破天荒ではない。
確かに傾奇者なので派手を好むし、無礼を働けば武士であるから面子を守る為に行動するが、物語で描かれるような型破りでは・・・いや、少しは型破りだな・・・
でも、言って聞かない様な人物ではないし、ちゃんと長い物に巻かれるという空気を読むことも出来る。
そうでなければ、織田殿(織田信長)や謙信公(上杉謙信)に斬られているぞ。
まぁそんな慶さんだけど、時分から好んで権力者に近付こうなどしない。
「それで行くの?」
「いや、行かぬぞ。俺の勘が行くな危険と囁いておる」
「野生の勘は怖いね~」
「ほう!何か知っておるのか?」
「まぁ大凡予想はしてる」
慶さんは一瞬驚いたが、「長さんだからな~」とか言って気にも留めない様子で又左殿の書状で鼻を噛んで塵箱にポイした。
ああ、もったいない!
後世に残しておけば一級資料だろうに・・・でも、慶さんの鼻水塗れの書状とか要らない・・・
さて、数日すると又左殿が訪ねて来た。
「蔵人殿・・・慶次郎の奴から何か聞いておりまするか?」
「いや・・・特には・・・」
恐らく、鼻水塗れで塵箱に投げ込まれたあの件だろう。
流石に適当に読んで鼻噛んでポイしてましたとは言えないので、知らない振りを決め込んだ。
「慶次郎が居ないとは・・・」
又左殿は今や押しも押されぬ大大名で、本来は呼びつける立場なんだろうけど、昔から俺を立てて訪ねて来てくれる。
今回は慶さんに会うという趣旨で前触れでお知らせがあったんだけど、肝心の慶さんは雲隠れした。
叔父の又左殿が来ると聞いた瞬間に姿が見えなくなったので色街にでも行ったのかもしれない。
余程に会いたくない様で、そんな感じだ。
「実は関白殿下より慶次郎に会いたいと打診ありまして・・・」
「あ~書状にはその事を?」
「はい、書いておりました。関白殿下からは叔父甥の関係なので某に頼めば叶うだろうかと言われましたが、その際は上杉家に居りましたので・・・」
「ああ!京に戻って来て居るなら会わせろと言われましたか?」
「左様です」
お困りの所悪いんだけど、慶さんは追えば逃げるんだよね~
面倒臭いの大嫌いだし、面白そうなら関係無くても首を突っ込んだりする自由人だからね~
「素直に避けられたと言えば良いのでは?」
「そうですな・・・正直にそう言うしかありませんな」
そう言ってとぼとぼと帰って行かれた。
そうこうしていると、又左殿と慶さんが仲が悪いと言う噂が経った頃に慶さんは色街から戻って来た。
「変な噂が出回っているけどいいの?」
「わははははは~噂とは虚実内混ぜで出回る物ぞ。一々気にしておっては身が持たぬわ」
「他人事だね~」
「どうでもよいから気にも留めぬ」
実に慶さんらしい。
しかし、時の権力者の我儘と言うのは絶大で、叶わないことは無いと言える程に傲慢まものだと言う事を思い知る。
又左殿は言っても大大名だし、無下に出来ない相手なので今度は俺の方に面会希望を言って来た。
「ご苦労な事だな、石田殿(石田三成)」
「いえ、関白殿下の御下命ですから・・・」
そう言っている割には苦虫でも噛み潰したような顔ですねとは言えないな。
配下の左近殿(嶋左近)とやって来た。
左近殿は我関せずといった感じで「この茶菓子美味いですな」とか言っているぞ、おい。
「二位蔵人様、何卒よしなに」
「何をよしなにするの?」
「それは・・・」
俺が石田殿たちと会っている横の縁側で煙草を吹かせている慶さんを横目にそう言うと、石田殿が顔を引き攣らせている。
「それで、会いたいのは前田慶次郎利益にですか?それとも傾奇者の前田慶次ですか?」
俺がそう石田殿に問いかけると、「何を聞いているんだ?」と言う様な顔の石田殿と、それとは対照的に今までは興味無さげに煙草を吹かしていた慶さんが凄く興味深げにこちらを見ている。
「それは勿論」
「勿論?」
「殿!!確認いたしましょう!!いや、蔵人様後日ご回答いたします!!」
答えようとした石田殿を遮り左近殿がそう言って石田殿を無理やり立たせ逃げるように帰って行った。
俺の言う趣旨を理解していない石田殿は「左近!殿下は傾奇者を」とか言っていたのを口を押え無理やり黙らせていたのは中々に面白かった。
翌日、お猿さん(豊臣秀吉)直々に傾奇者・前田慶次との会見を望む旨が書かれた書状が届いた。
「慶さん~傾奇者の前田慶次に会いたいってよ?」
「ほう!それはそれは」
気持ち良い程の笑顔の慶さんが俺から書状を受け取りその内容を読み、少し考えてから言う。
「叔父貴は断わりを入れた旨も書かれておるな」
「まぁ又左殿も素行の悪い甥が何をやるか不安に思ったんだろうね~」
「わははははは~人を呼び付けて見世物にしようと言う輩なぞろくでもないわ」
「確かに!!それで?何か仕掛けるの?」
「そうじゃな~何か良い考えあるか?」
その光景を見た家人はまるで悪餓鬼二人がとんでもない悪だくみでもしているようだと後に語ったというが、人を見世物にする奴が悪いと俺が言うと、「限度がありますよ」と言われたが、解せぬ。
〇~~~~~~〇
前田慶次と言えばこの話無くては語れないだろうと言う事で、「傾き御免状」の逸話を基とした話が展開される予定です。
前田慶次郎利益の代名詞と言えば、「大ふへん者」の旗指し物と「傾き御免状」だと思います。
「大ふへん者」の逸話も秀逸なのでここで取り上げましょう。
前田慶次はある戦で「大ふへん者」と書かれたマントだか旗指物だかを着け戦場を駆けたそうです。
「大ふへん者」というのは漢字で書くと「大武辺者」と通常は書きます。
武辺者というのは戦において果敢に戦う者を指してそう呼びます。
それに「大」を付け態々戦場で喧伝するのは「この場で最も武辺者は俺だ」という意志表示となります。
ここから先が前田慶次の前田慶次たる所でしょう。
「大武辺者と自分で名乗るなぞ随分調子に乗っておるな」と見方からも野次られたそうですが、前田慶次は「これは大武辺者と読むのではなく大不便者と読むのじゃ」と言い返したそうです。
「どういう意味だ?」と聞かれると待ってましたとばかりに「俺を見れば敵が逃げて行くから討取るのも苦労する不便で不便で仕方がない」と言ったとか何とか。
これは結局は自分こそが「大武辺者」と言っているのですが、洒落が効いてて面白いですね。
そんなサプライズ大好きな傾奇者ですから「傾き御免状」の話でも色々と天下人・豊臣秀吉に対しては失礼千万な逸話が残っています。
しかし、秀吉はその行動を讃え、「傾き御免状」を与えたことで、前田慶次は「天下御免の傾奇者」とか「日ノ本一の傾奇者」等と呼ばれるようになりました。
さて、前世で少しその事を知っている蔵人が何をアドバイスして何を行うか!!
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