第358話
蠣崎家との商談は上手く行った!!
じゃがいもとかぼちゃの生産を引き受けてくれて、うちに一定数卸してくれることが確定した。
将来の北海道こと、蝦夷地に合った作物なんで恐らくはそれなりの収穫量を確保できると思うし、もしかすると飢饉対策に一役買う様な物になるかもしれないと何となく考えている。
戦国時代が終わっても飢饉というのは多くて、情勢不安などの原因になるので出来るだけ潰して行こうと考えている。
前世が未来の人間だったとしてもやれることなどたかが知れていると思うが、しないよりましなので少しだけそういう部分で歴史改変していけたら良いと考えている。
「では父上、セドナの里帰りに行ってまいります」
「おう!あちらにも宜しく伝えといてくれ」
ここで春(春長)とセドナちゃんとはお別れだ。
という事で、快速帆船から従来の廻船舟に乗り換えたが、やはり快速帆船はこの時代のアーティファクトだと実感したよ。
スピードの違いが歴然で、乗り換えた船に対しての感想は「
さて、次の目的地は佐渡島。
配流の地として有名な島で、順徳天皇、日蓮、日野資朝、等々の著名人が島流しにあった場所であるが、鎌倉時代に本間一族という守護代を務めた一族が少し前までこの島を牛耳っていた。
しかし、俺が謙信公に金のありかを匂わせたことで本来の歴史に魁て本間一族が追い出され、開発が進んでいるのであるが、場所的にも丁度良いので廻船の係留地としても開発することとした。
勿論、関係良好な上杉家はもろ手を挙げて協力的で、今回も予算の半分を出すと言ったのに「流石に蔵人様に甘え過ぎです!!」などと上杉家の方が言う始末。
いや、そこは旨味もある話なので穏便に半額を丸目家で持つ事で何とか合意した。
「よく参られました!!」
「おお!与六、久しいな」
「はい、お久しぶりです」
俺たちをお出迎えしてくれたのは、与六こと直江兼続。
現在は上杉家当主の上杉景勝殿の懐刀にして上杉家の家老の一人である。
朝廷からも従五位下山城守の官位官職を賜わる人物となっている。
昔から知っているので未だに与六と気楽に呼ばせて貰っている。
「山城守殿、父が何時も済みませぬ」
「いやいや、帯刀殿、幼少の頃からお付き合いさせて頂いておりますので蔵人様が某の事を与六と呼ぶは当然のことで御座るよ」
「そう言って頂けると・・・」
おい!羽(羽長)、何故に困った顔をする!!
本人がいいって言ってるから良いんだよ!!
まぁそんな自分の主張を言わない程度には場を弁えているので赦して欲しい。
そして、世間話などして旧交を温めていると与六が言う。
「そう言えば、伊達家の内紛にも関与されたと聞き及んでおりますが、相変らずですね」
「ん?相変らずとは?」
「いえ、蔵人様と関わると福が舞い込んでくるというお話ですよ」
「そうか~?よく解らんが、まぁ誉め言葉として受け取っておこう」
与六はそんなこと言うが、奥さんたちにはトラブルメーカーだと思われている節がある。
まぁ「長様らしい」というだけで特に怒られたりする訳ではないけどね。
「上様(上杉景勝)もお会いしたいと申しておりましたが、何分忙しく、申し訳なく存じます」
「あ~喜平治殿(上杉景勝)も大身の身、色々と忙しいだろうから、某の事をそんなに気にしなくても」
「何をおっしゃいますか!!蔵人様は我が上杉家の大恩人、何を置いてもお出迎えするのは当然です!!」
「お、おう・・・」
圧が凄いよ!
まぁ大歓迎されているのは伝わるし、悪い気はしないので程々にとだけ言っておこう。
さて、佐渡も大分開発が進み、金も取れているとの事でそれなりに盛況なようだ。
中々の活気に頬が緩む。
流石に謙信公に助言した立場なので解ってはいたけど金が出て街も盛況な姿を見ればホッとする。
「宴の準備もして御座います」
誘われるままに宴会場に・・・
見知った顔が既に酒を飲んでいた。
「よう!長さん久しいの~」
「慶さん(前田利益)!どうしてこっちに?」
天下の傾奇者、前田慶次が酒を飲んでいた。
又左殿(前田利家)の下を出奔したとは噂に聞いていたが、ここで出会うとは思わなかった。
彼の義父・前田利久が亡くなって正式に前田家に仕えるかと思いきや、織田殿(織田信長)から貰った褒美がそれなりにある事を理由に前田家を辞したそうだけど、前世知識あったから慶さんに「前田家を出奔する時は馬鹿な事をするな」とアドバイスをしていたので世に語られるような水風呂事件とか起こさずに円満に辞している。
破天荒であるけど、礼儀も弁えた
「上杉家に陣借りして居っての~」
「ああ、何か聞いた気がする」
そう言えば、藤林の方から慶さんが新発田重家の乱で上杉家に陣借りして功績が認められたとか何とか聞いた気がする。
聞けば、上杉家で客将として与六の下で働いているという。
まぁ気が向くままに振舞っているようだけど、与六も与六で慶さんの事を美味い具合に使っていると聞く。
この二人は気が合うみたいなので上手く回っていると言う事だろう。
上杉家に慶さんと俺ら一行で楽しい宴を楽しんだ。
「長さんは上方の方に行くんだろ?」
「ああ、一度、京に戻るよ」
「それなら、俺も連れて行ってくれ」
「それは構わないけど・・・」
与六の方を見ると「慶次殿又何時でもご訪問くだされ」と言って送り出しOKのようだ。
俺たちは敦賀(福井県敦賀市)の港に行き、そこから京を目指した。
今回の旅路では付き合いのあまり無かった伊達家と蠣崎家に繋ぎをつけ顔合わせできたことは中々の大収穫だったと思う。
特に、蝦夷地でのじゃがいもとかぼちゃ栽培は時代に先駆けての試みなので、結果が楽しみだ。
京に到着すると、竜様(近衛前久)がうちの家で寛がれていた。
「お帰り」と言われたので「只今戻りました」と返しておいたが、竜様は九州と京を行き来しているという。
家の廻船問屋として立ち上げた場所を拠点に動き回っているそうで、竜様には可成り好評のようだ。
そして、現在は京に戻って来たので天子様の雑事などを賜わっている日々らしい。
何とまぁ悠々自適な隠居生活だろうかと思う。
そして、京に滞在していると、難題を言って来る者が現れた。
〇~~~~~~〇
前田慶次再登場です!!
次は慶次が関わる話となります。
さて、佐渡島と言えば佐渡金山ですが、1587年に豊臣秀吉の後ろ盾を得た上杉景勝が佐渡を侵略しました。
惣無事令に関わらず、佐渡・出羽両国は上杉家の切り取り勝手とされたことがその根拠となります。
その後に金山が発見され、1595年に秀吉から越後・佐渡の金銀山の支配を任せられたとされています。
上杉領における金山・銀山からの収入は他の大名家と比べて断トツだったようで、金は日本全体の約30%、銀は日本全体の約60%を産出していたようです。
そういう理由で、上杉家というのは富豪大名で五大老に恥じない資産家だったようです。
徳川家康が上杉家に目を付けたのもそこら辺の理由が大きいだろうと云われます。
さて、上杉景勝は五大老の一人と云われますが、当初は徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景の5人がその任に就いていたので含まれませんでした。
小早川隆景が亡くなったことで繰り上がりで五大老となったのはあまり知られていませんかね?
さて、五大老というのは末期の豊臣政権の政務を取り仕切ったシステムの一つで、秀次事件を受けて政治危機を克服する為に考え出されました。
秀吉を中心に五大老が合議し施策し政治を取り仕切る為に「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条を発令した際に連署した秀吉以外のメンバーが五大老と呼ばれます。
秀吉が耄碌していくと共に豊臣家吏僚のトップ、五奉行と合議制で政治を行ったと云われ、秀吉死後はその権威は上がったようですが、元々この五大老のシステムは秀吉が徳川家康の力を抑える為に家康に対抗・牽制しうる人物を含めて構成させたと云われます。
前田利家死後以降は家康が自分以外の大老を帰国させ自分を掣肘する存在が居なくなるように仕向けたようですので、秀吉の目論見はうまく躱されてしまったようですが・・・
次回はトラブルの種が舞い込みます!!
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