第356話
伊達家では色々あり意外と日数が嵩んだ。
本来は2~3日の滞在予定が気が付けば20日間ほどの滞在となってしまった。
次に行く予定だった蠣崎さん家には詫びでお酒を贈答しておいたよ。
先方もこういった時代だから待ってくれると思うけど、ほうれん草は大事!!
え?字が違うって?おっと、報連相は大事!!
伊達家ではお家騒動に夫婦問題も何となく解決し、今後の話も出来たので上々ではあるが、蠣崎家では面倒なことないよね?
フラグ立てない様に考えるのはよそう!!
伊達家を後にした俺らは一路、北海道を目指す。
ああ、この時代は
蠣崎家は渡島半島の極一部の津軽郡(北海道松前郡松前町)とその周辺を押さえている。
寒冷気候の現在は米など殆ど取れない地域なので可成り貧乏だ。
最上さんとこと同じく鮭を中心に、昆布等々の海産物を買い付けて日本全国に流通させようという魂胆で今回は取引打診の為に向っている。
取引打診と言っても現在でも取引しているので、取引拡大というのが正しいだろう。
伊達家を離れて一日も掛からずに蠣崎家の治める港へ到着した。
ここも拡張予定であるのでその件も話す予定だ。
「ようこそお出で下さいました!手前は蠣崎新三郎
「これはご丁寧に、某は丸目蔵人長恵と申す。宜しく申し上げる」
お出迎えしてくれたのは蠣崎家現当主で、態々迎えに来てくれたようだ。
息子たちも紹介し今日の宿へと向かう事となった。
新三郎殿は同世代の四十代だ。
え?同じ四十代でも前半と後半では雲泥の差?いや、いや、見た目三十代の俺は同世代と言えよう!!
見栄を張るな?・・・相変らず天の声さんは俺に厳しいな。
事実を言っているだけ?・・・
さて、彼は三男なのだが上二人が亡くなったので家督を得た。
ほんの6年程前の話で、現在も前当主は健在だ。
前当主は蠣崎
そして、今、俺たちの案内をしている現当主の新三郎殿は宗家の安東家に協力して安東家の支配地域拡大に貢献したと言う事でその発言力を増している今北の最果てでブイブイ言わせている人物なのである。
「親父殿も二位蔵人様とお会い出来ることを楽しみにしております」
「左様ですか」
「はい、会ってやってくだされ」
「それは、勿論!!」
そして、その日の歓迎の宴で、早速、会う事となる。
★~~~~~~★
時は少し戻り、蠣崎家。
「して、二位蔵人様は何時参られる!!」
「何でも伊達家にて少し長めにご滞在となると言う事で、以前連絡頂いておった期日より遅れるとの事で御座いまする」
「左様か・・・」
「知らせて参った者の話では伊達家の騒動に巻き込まれておるとか」
隠居した儂がでしゃばるのは良くないと思うが、噂に聞く二位蔵人様とは是非ともお会いしたいと思い息子に我儘を言った。
「新三郎」
「何でしょう?」
「お主は関白殿下の直臣じゃ。関白殿下と竹馬の友とも言える程の仲の良い二位蔵人様とは是非とも仲ようせねばならぬぞ」
「勿論!心得ております。それに、それ以外でもかの方と懇意に出来れば良いと思うとります」
そう、今回は港の拡張を含め多くの取り決めが為される前段階での顔見世で二位蔵人様が直々にお出でになる。
手抜かりなぞ出来ぬ。
「解っておると思うが、二位蔵人様の計画では日ノ本の海の大動脈を成すとの話じゃ。有難い事にその一端を担う場所として我が領の港が選ばれた」
「はい、誠に運の良いことで御座います」
「うむ、安東家が茶々を入れて来た時には焦ったが、運良き事に北天の斗星が落ちた」
「左様ですな。
「左様じゃ!藤太郎様(秋田
「はい、豊島の九朗(安東
「そうよな~奴が乱を起こさねば
「左様です。藤太郎様の家臣どももそうですが由利十二頭の者どもも此方に介入して来たやもしれませぬな」
あ奴らは寄り合い所帯ではあるが、侮って良い存在でもない。
だが、運が良いことに豊島の九朗の阿呆が反乱してくれたお陰で此方は難なく話がまとまりそうじゃ。
二位蔵人様は蝦夷地は富の源泉とも仰ったという。
寒く荒れた土地で貧しい我らにとっては「何を言う」という思いがあるが、噂に聞く二位蔵人様の事じゃ何か秘策でもあるのやもしれぬ。
「二位蔵人様が来れれるのが待ち遠しいの~」
「誠に」
親子揃ってまだ見ぬ栄華を夢に見つつ二位蔵人様より遅れる事への侘びとして贈られた澄酒を煽る。
〇~~~~~~〇
次はいよいよ蝦夷地(北海道)です。
本文中に「北天の斗星」という言葉が出て来ましたが、後の文章で解ると思いますが安東
安東家の最盛期を築き上げたと云われる彼は「斗星の北天に在るにさも似たり」と評される程の名将だったようです。
斗星とは北斗七生のことで、北の大地で北斗七星の様に目立つ存在だったことを表したものでした。
嫡男の
さて、豊島の九朗(安東
檜山安東家と湊安藤家との間で起こった抗争を総称したもので時代的には1544年の一次、1570年の二次、1587年の三次の抗争ですが、三次は惣無事令違反と豊臣秀吉に見なされたらしいのです。
しかし、秋田
勿論、
実季はその代官も務めたそうです。
当時、実季は13歳なので家臣さんが頑張ったんだと思われます!!
さてさて、「
数えてみて、1・2・3・4・・・15・・・あれ?数多くないと思いますよね?
十二という数字は鳥海山の本地である薬師如来の眷属である十二神将から取っただけの縁起物的な数字なので数多くても少なくても縁起良いから十二にしちゃいました的なやつです。
仁賀保、赤尾津、滝沢、打越、岩屋の5家は「由利五人衆」とも呼ばれましたが、文禄の役では大谷吉継の指揮下に入り、関ヶ原の戦いでは秋田実季と行動を共にしておりますが、仁賀保が大坂の陣での功績により仁賀保藩を創設して唯一の大名となりました。
しかし!仁賀保藩はわずか1年で廃藩となった知る人ぞ知る藩なのです。
改易ではなく、三兄弟が分封されて旗本となったのでご安心ください!!
いや、一番所領の大きかった長男家が無嗣断絶しますが残り二家は明治維新まで頑張りました!!
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