第350話

朝、何時もの様に朝日も昇らぬ内から鍛錬が始まる。

丸目家一同で何時もの様にその習慣が始まるのでが、そこに弟君(伊達政道)登場。

ニコニコとした何か企んでいる様な笑顔で俺の方にやって来た。


「二位蔵人様、おはようございまする」

「ああ、おはようございます。何か御用ですか?」

「是非とも拙者たちも鍛錬に参加さてて頂きたい」

「構いませんよ」

「忝い」


企んでいると思ったのは勘違い?

いや、捨て台詞で「覚えておれ!!」とか言ってたしね、勘違いなど思わずに警戒しておこう。

何処から聞き付けたのか、その後も数が増えて行き200人程集まって来た。

準備運動が終わる頃には300人程に膨れ上がっていたが、切原野では珍しくもない光景なので気にせず次の工程である立ち稽古へと移る。

すると、早速とばかりに「一手ご指南頂きたい」と声を掛けて来る者が居た。

その者に稽古を付けると直ぐに又「一手ご指南頂きたい」と声が掛かる。

100人位相手にした頃、中々の覇気を纏った武士が凄い獰猛な笑顔で寄って来て、「一手ご指南」と言って来た。

勿論、お受けして相対す。

年の頃は二十歳位であるが、中々の覇気を纏う彼は剣術もそれなりの腕で、若いわりに確りと鍛えられていた。

もしかしたら名のある武将かな?とか思い興味本位で立合い後に名を聞けば


「おお!これは失礼致した!!手前、伊達藤五郎とうごろう成実しげざねと申す」


お!伊達の二枚看板の一人、「武の成実」来たーー!!

興味を持ち少し話せば、弟君が家中の者に声を掛けていたと言う。

「天下に名高き丸目二位蔵人様の朝稽古に参加し、立ち稽古などお願いし立合って頂ければ誉であろう」などと言っていたらしい。

何か臭うなとか思ったけど、俺的によくある出来事なので気のせいかなとか思ってそのまま次々とお相手して行った。

何人も相手し皆が大分疲れたであろうタイミングで弟君が声を掛けてく来た。


「一手ご指南頂きたし」

「ええ、構いませぬよ」


何時もの事なので受けてサクッと指導稽古。

「そこはしゅう御座る」「隙が御座るぞ」「たいが崩れておる」と問題箇所を指摘しながら普通に指導していくのだが、若い弟君は剣の腕はまだまだといった感じだったので確りし指導してあげたぞ。


「はぁはぁはぁ・・・糞!覚えておれ!!」


激しい息切れしながら捨て台詞と吐いて顔を真っ赤にして去って行った。

あ~何となく解った気がする。

俺の得意分野で俺の事を打ち負かしてやろういう魂胆なのであろう。

何となく気になって指導中も弟君の様子を見ていたが、俺との立合いをする前までは適度に相手と立合い体を慣らしながら、適度に休憩を取り万全な状態を維持しつつ、全体の稽古が終わりに近いタイミングで俺に声を掛けて来たからね~

流石に200人以上を相手にした俺の疲れた所を狙っているのは見え見えだったよ。

まぁ正直言えば、過去にもその手の者は何人も居たので気にしていないが、捨て台詞吐くと言う事は前回の意趣返しなのだろう。


「小次郎様は何やら怒られたおりましたな?」

「まぁ負けて悔しかったのでしょう」

「わははははは~面白き事を申されますな!天下にその名を轟かせる二位蔵人様に勝とうなぞ中々に小次郎様も剛毅ですな!!」


事情を知らない藤五郎殿は本当に面白いと言った感じでそう言われた。

藤五郎殿は俺の滞在中は稽古して欲しいと懇願されたので朝稽古へ何時でも参加して貰って構わないことを伝えた。


★~~~~~~★


「小十郎(片倉景綱)居るか?」


朝、身支度を整え執務所へ足を運び、今日も何時もの様に書状を開き呼んでおると、藤五郎が俺の所に訪ねて来た。

彼とは藤次郎様(伊達政宗)を支える事に意気投合し、「殿」の敬称を廃し呼び合う仲である。


「藤五郎何じゃ?用か?」

「ああ、少し気になることがあったでの~」

「気になる事?」


藤五郎は朝、二位蔵人様の朝稽古に参加して二位蔵人様に稽古を付けて頂いたという。

何と羨ましいと思うたが、そこで不穏な出来事があったという。


「小次郎様が・・・」

「ああ、小十郎は何か聞き及んでいるか?」

「ああ、聞き及んでおる・・・実は・・・」


藤五郎に昨日、小次郎様(伊達政道)が二位蔵人様の所へ行き一悶着あったことを聞き及んでいたが、昨日の今日でまた仕掛けるとは思っておらなんだ。

事情説明すると何とも面白そうにしておる。

藤五郎は「小次郎様のお手並み拝見じゃな」などと言って面白がっておるが、既に藤次郎様が失態を犯しているのに更に小次郎様も二位蔵人様に失礼を働いたと聞き頭の痛い思いなのに小次郎様は逆恨みをして何かを仕掛けたと言う事じゃ。

仕掛けた内容は大したことではない様に思うが、小次郎様の事じゃまた更に良からぬ事をするのではないかと不安が過る。


「小十郎は心配性じゃの~」

「お主が考えなしなだけじゃ!」

「いや、いや、ちゃんと考えておるぞ!」


どうせろくでもな事を考えておるのであろうと白い目を向ければ、やれやらと言う様な態度でやはりろくでもない事を言う。


「いや、小次郎様の悪だくみを三位蔵人様がどの様に対処されるか見物じゃと思うてな」

「お前は・・・」

「一応は藤次郎様に報告する必要があろう?」

「そうじゃな・・・」

「では、参ろうか」

「ああ・・・」


二人して藤次郎様の元へと出来事を伝えに向う。


〇~~~~~~〇


伊達藤五郎とうごろう成実しげざね登場!!

伊達家出すなら登場させたい武将でしたので早速登場させました。

伊達成実は伊達政宗の家臣の中でも武を象徴するもので、「知の片倉景綱、武の伊達成実」等とも言われる程の武将です。

鬼庭良直(左月斎)とかも出したかったのですが、1585年に討取られ戦死しているので残念ですが・・・

さて、伊達成実は伊達家一門で烏帽子親は伊達輝宗(政宗の父)が務めた程の人物です。

伊達政宗とは従弟いとこの関係です。

葛西大崎一揆の際は鎮圧の為に政宗とともに従軍しましたが、一揆煽動が露見して政宗が豊臣秀吉に上洛を命じられると人質として国分盛重と共に蒲生氏郷への人質となったりもしております。

彼の武勇以外で有名なのは秀次事件の後、何故か政宗の許を出奔するという事件を起こしています。

その際には激しい戦闘があった様で成実の家臣30名程が討ち取られています。

その事で成実の家臣団は解体し伊達家から完全離脱します。

1600年、関ケ原の戦いの時には上杉景勝から5万石で召し抱えの打診があったようですが、「家臣筋の家に仕えるつもりはない」とこれを拒絶したと云われます。

上杉景勝というより、この時の上杉家ではなく元の長尾家という関東管領上杉家に仕える家を指しての事でしょうが、名門伊達家としての主張だったと思われます。

成実は名の知れた武将でしたので出奔中には大久保忠隣を介して徳川家康からも誘いを受けたそうですが、政宗の奉公構により破談したなどの経歴がある武将です。

そして、片倉景綱らの説得によって伊達家に帰参したという経歴の持ち主ですが、彼の戦兜が実に面白い!!

兜の前立ては毛虫が着けられていたそうです。

毛虫には前進しかしないという習性があることを「決して後ろに退かない」として自分の覚悟を示したものだと云われます。

私は初めて見た際は「ムカデ」かな?と思ったのですが、「毛虫」でした・・・

あまりにも面白いので理由を調べてみたら、かっこいい理由で納得してしまいました!!

兜には昆虫を前立にすること多いのですが、毛虫は中々居ないので実に面白いです。

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