第349話

兄が宴席で失態を犯した。

これは千載一遇の出来事じゃと思い神仏に感謝した。

早速とばかりに丸目二位蔵人様にお会いすべく面会の打診をすると直ぐに会えることとなった。

兄上の腹心の小十郎(片倉景綱)が邪魔して来るものと思うたが、どうやら兄と小十郎は二位蔵人様の息子たちと会う事となりそれで隙が出来た様じゃ。

二位蔵人殿は眼光鋭き御仁であったが、儂が今まで見た剣豪などと呼ばれる者の中では最も穏やかな方の様に見える。

儂が会ったことある剣豪たちは抜き身の刀とでも言うような鋭さがあった。

しかし、二位蔵人殿からはそのようなものは感じんしが、そこに明かりが灯っちゃような存在感ある方のようじゃ。


「伊達小次郎政道と申す。以後お見知りおきを」

「丸目蔵人長恵と申す・・・」

「兄が大変ご迷惑をお掛け致しました」

「いえ、大したことでは御座らぬよ」


二位蔵人殿は兄の失態を気にしないという風な言を発せられた。

怒ってはおられぬ?

いや、嫁たちを卑下し、更に二位蔵人様本人も馬鹿にされたような事を言われたのにそんなはずはないと思いその事について言葉を発した。


「いえいえ、朝廷で従二位の位を授かる方に対し失礼な言い回しをしたと聞き及んでぞ座います」

「ご用向きはそれだけですかな?」


「それだけ」とはどういう言い草であろうか?

兄の失態は本当に気にも留めていないと言う事か?

返しの言葉があまりにも予想外過ぎて言葉が出て来なかった。


「え?」

「謝罪は失礼を働いた者が行うべき事で、他の者が謝罪しても何の意味もありませぬよ」


正論じゃな・・・しかし、それでは困る。

何か言おうと考えるが言葉が出ぬ。


「それは・・・」

「それで?他にご用向きは?」


言い淀むと二位蔵人様は再度聞いて来た。

まるで「この件に関わるな」とでも言いたいような素振にも感じる。


「無礼者!!」「何たる言い草じゃ!!」「此方が下手に出ておればつけ上がりよって!!」


儂が言葉を発するより先に伴って来た儂の支持者たちが声を上げた。

そうじゃ!!

謝罪しに来たのだから受けるべきじゃ!!

そう考えて再度言い募ろうとすると雰囲気が変わる。


「二位蔵人殿」

「おい!小僧!!」


雰囲気が変わった途端に喉元に刀を当てられた様な、目の前に猛獣がいるような、そんな錯覚にとらわれ、「ヒッ」と小さく叫んだ。

二位蔵人様はその儂の様子を見た後で、控えて居た他の者たちにも睨みを効かせれば、後より複数人の「ヒッ」という小さな叫びが聞こえた。

そして、二位蔵人様は言う。


「敬うか舐めるかどっちかにしろ!敬ってくれるならそれなりの敬意を払ってやるが、舐めるなら容赦はせぬ!!」


蛇に睨まれた蛙というのはこういう事を言うのであろう。

身動ぎすることも出来ぬ。

しかし、儂から目線を後の者たちに移した一瞬の隙を突き立ち上がり捨て台詞を吐き早々に退去した。


「覚えておれ!!」


西の最強剣豪との噂は嘘偽りはないと身にしみて感じた。

一部の者には古今東西最強の剣豪と言う者も居る。

噂だけが独り歩きしていると思うておったが・・・儂が見た事のある者の中であれほどに恐ろしい者は居ない。


「正直・・・舐めておった・・・商人の真似事をする様な者だから大したことなしと判断したのは過ちであった・・・」


独り言を言いつつ次の一手を考える。

恐らく、今回の行動は兄たちに伝わるであろう。

その前に動かねば・・・


★~~~~~~★


男たちが右往左往としている間、女性たちは大いに語らっていた。


「美羽様、春麗様!素晴らしい!!」


そう言って感嘆の言葉を発するのは伊達政宗の正妻・田村御前(愛姫めごひめ)であった。

彼女は田村清顕きよあきの一人娘で、数え12歳で又従兄弟に当たる伊達政宗に嫁いで来た。

しかし、政宗が暗殺未遂にあうと、その嫌疑が田村家に係った。

内通者は彼女の乳母と村田家より共にやって来た侍女たちとされ全員死罪となった。

その事で夫婦仲は悪くなり一時は離縁も取りざたされたが、その危機を乗り越え少しであるが夫婦仲を取り戻しつつあるが、まだ若干の隔たりがあり子に恵まれていない。

やる事を遣っていれば産まれそうに思うものであるが、気持ちというものは重要なようでその兆しすらない。

そんな折、丸目蔵人とともにやって来た美羽と春麗は過去、豊臣秀吉の正妻の寧々に伝えた房中術の事を少しだけ掻い摘んで説明したことで田村御前の興味を引き、感嘆の声を上げた次第であった。


「寧々さんに教えた結果、見事ご懐妊され恵が御生まれになったのですよ」

「ああ!母(寧々)より聞き及んでおります!!」


春麗が自慢げに言った言葉に恵が相槌を打つ。

そして、美羽が追加情報を述べる。


「房中術を使えば妊娠も思いのままなのですが・・・最も詳しい者が今は九州で留守をしており・・・」

「もしや噂に聞く莉里典侍てんじ様で御座いますか?」

「いえ、千代という長様(蔵人)の義理の妹御で御座います」

「その千代殿が御詳しいと?」

「はい」


戦国時代において、女性、それも身分ある女性にとって子を成すというのは自分の地位を盤石にするとともに、務めとして認識されている為、不仲だったとはいえ子を成していないことを周りの者らか嫌味のような形で問われることも多い為、田村御前も悩みの種となっていた。

その打開策を持つ者が目の前に居り、話を聞けば実績もありというではないか。

飛び付かない者など居ない事であろう。


「その方にお会いすることは・・・」

「そうですね・・・次の機会にお連れ致しましょう」

「ま、誠ですか!!」

「はい、長様にお願いすれば恐らくは・・・」


縋り祈る様に田村御前は頼むこととなる。

そして、それが縁で丸目家の女性たちはまた縁を広げる事となる。


★~~~~~~★


「フィエ~クション!!」

「千代、風邪?」

「いや、誰かが我の噂話をしている様な・・・」


その頃、今日もご機嫌で縁側でおやつを食す千代がクシャミをしたとかしなかったとか・・・


〇~~~~~~〇


伊達家の話は少し長めになって来ました。

さて、田村御前こと愛姫は伊達政宗の正妻として知られる女性です。

作中に結構うんちく的な話は盛り込んでいますが、1579年に12歳で嫁いで来て初子が生れたのは何と1594年という中々子に恵まれなかった女性です。

戦国時代頃の価値観としては女性の仕事は子を産むこと的な社会で、嫁いで3年程子供が生れなければ肩身の狭い思いをすることもありました。

勿論、そういう女性ばかりでもないのですが、27歳位で初子を産んだ田村御前は実家の田村家が嗣子が居なかった為養子を取ったのですが、運悪く改易となります。

改易の原因は小田原征伐の際に田村家が伊達家の旗下所属と自認していたので参陣しなかったようで、その事が豊臣秀吉の勘気に触れ改易とされました。

田村御前は田村家の名跡復活を政宗と息子の忠宗の仙台藩主二代に渡り懇願したようです。

田村御前の願いだったお家再興は忠宗が母・田村御前の遺言を容れて、彼女の亡くなった年に宗良(忠宗の子)を当主として田村家を再興したそうです。

さて、田村御前は初子は遅くかったのですが、五郎八姫いろはひめという姫を先ず産み、その後も3人の子を産みました。

彼女の最も有名だったのは豊臣政権の際に人質として聚楽第の伊達屋敷に住み、伊達家の京での差配を彼女が取り仕切っていたそうで、政宗に多くの情報を伝えた優秀な女性だったようです。

その際、「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな。匕首あいくちを常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という何とも勇ましくも夫の政宗を気遣った文を送っていることが有名です。

この文からも解る様に戦国時代のお姫様の覚悟が凄過ぎですね~

中々の才女だったようで、政宗との遣り取りの文に書かれた内容は風靡で高尚なものも数々あった様です。

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