第348話

「伊達小次郎政道と申す。以後お見知りおきを」

「丸目蔵人長恵と申す・・・」


ニコニコと笑顔で相対している彼は政宗君の弟で、家督争いを過去に起こしている。

藤林家の諜報からの知らせでは、先年、蘆名家の後継者問題が起こった際に彼が当主候補に上がったらしい。

しかし、「蘆名の執政」とも呼ばれる金上盛備もりはるが異を唱えたことで、佐竹義重の子が蘆名家の家督を継ぐ事となり、蘆名義広が当主となった。

簡単に言えば、蘆名家の当主のコンペに負けて伊達家に出戻って来た訳だ。

大人しくしておけばいいのに未だに伊達家の家督を狙っているらしい。

何しに来たかといえば


「兄が大変ご迷惑をお掛け致しました」

「いえ、大したことでは御座らぬよ」

「いえいえ、朝廷で従二位の位を授かる方に対し失礼な言い回しをしたと聞き及んでぞ座います」


政宗君の代りに謝罪しに来たって感じだろう。

当主が不甲斐無いから代りに謝ったぞというマウントを取りに来たんだろうと予想できる。

表向きは彼らの父である前当主の伊達輝宗が政宗君に当主の座を正式に譲り渡しているのでお家騒動は無かったことになっているが、水面下ではバチバチで、未だに骨肉の争いをしている模様。

俺の知る前世での歴史では、小田原征伐の前後位に急死する。

対立が激しく政宗君が暗殺したなどと語られていたようだが、この世界線でもそうなる可能性はありそうである。


「ご用向きはそれだけですかな?」

「え?」

「謝罪は失礼を働いた者が行うべき事で、他の者が謝罪しても何の意味もありませぬよ」

「それは・・・」

「それで?他にご用向きは?」


兄弟といえども他の者が首を突っ込んで来ればややこしくなるのは間違いないので丁重にお引き取り頂きたいところだけど、感じからすれば引き下がる気は無いようだ。

それでも、俺の「この件に関わるな」という思いは伝わったようだが、お付きで一緒にやって来た者たちが黙っていなかった。


「無礼者!!」「何たる言い草じゃ!!」「此方が下手に出ておればつけ上がりよって!!」


あ~面倒臭い!

この手の腰巾着たちって都合が悪くなると吼えるよね~

お前らの頭が「朝廷で従二位の位を授かる方」とか言って持ち上げているんだから敬えよ!!と思うが、こういう輩はそんな事は考えないらしいから質が悪い。

それに、止めることはせずに応援団の応援を一身に受けて弟君はどや顔してるし・・・


「二位蔵人殿」

「おい!小僧!!」


俺は少しだけ頭に来たので弟君にガンを飛ばし、殺気を当てると「ヒッ」とか言っている。

そして、後の金魚の糞たちにも殺気を飛ばした。

そうすると、同じく「ヒッ」とか言って固まってるよ、おい!


「敬うか舐めるかどっちかにしろ!敬ってくれるならそれなりの敬意を払ってやるが、舐めるなら容赦はせぬ!!」


そう言うと見る見る顔を赤くして立ち上がった。


「覚えておれ!!」


そう言って逃げるように去って行った。

何だかな~


★~~~~~~★


一方その頃、春(春長)と羽(羽長)は伊達政宗とその片腕たる片倉景綱の4人で話し合いがもたれていた。


「先日は大変失礼致した・・・謝罪申し上げる」

「いえ・・・此方こそ声を荒げ失礼致した、此方も謝罪申し上げる」


場の空気は重い。

酒癖の悪い藤次郎様(伊達政宗)は案の定、何を言ったのか覚えていなかった。

説明すれば頭を抱え「拙い・・・」などと言われておられた。

私に如何すればいいかを聞かれたので謝罪をすべきだとはっきり申し上げた。

二位蔵人様と面会をと考えていた矢先、言い争いの当事者である図書様(春長)と付き添いとして帯刀様(羽長)が藤次郎様に面会を希望された為、今現在、お会いしている。

言い争うの当事者同士で話すのは拗れる恐れもあり、出来れば二位蔵人様と話した上で謝罪をと考えていたのであるが、先方から先に打診があれば受けざるをおえない。

場の空気が重いのもあるが藤次郎様も図所様も一言だけ発した後は沈黙して居るので余計に空気が重くなっていく。

空気に耐え兼ねたのか、帯刀様が言う。


「春、黙ったままだと話が進まん」

「う・・・そうだな・・・」


藤次郎様も黙ったままで本来は此方から動くべきであったが、渡りに船、図書様の動きを待とう。


「藤次郎殿、お聞きしたき儀が御座います」

「な、何で御座る?」


藤次郎様が珍しく慌てふためいている。

何を言われるかと考えておられるのやもしれぬ。

恐らく、何故侮蔑の様な態度を取ったのかを聞かれることであろう。

平時の藤次郎様なら思い至るのであろうが、今回は焦りに焦り見当もついてお出でに無いのやもしれぬ。


「何故、あのような事を言われたのですか?」


やはり!

予想通りに侮蔑の態度を取った理由を聞かれた。

藤次郎様も言われた瞬間に落ち着かれた様で、一呼吸入れて語られる。


「侮蔑する気は本来無かった・・・しかし、叔父上(最上義光)たちを優先し蔑ろにされたような気がしてしまい、つい魔が差した・・・」


二位蔵人様も源五郎様(最上義光)、典膳殿(鮭延秀綱)に詰め寄られて鮭談義されたことで動くに動けなくなったことが予想されるし、藤次郎様も当初はそう思っていたが、酔いが回り思考が鈍ったことでそのような考えに及んだのやもしれぬな。

親戚筋だけに強くも言えぬし頭の痛い事じゃ。

それを聞いた図書様は言われる。


「それは・・・父の配慮が足りず申し訳御座らぬ」

「いえ、あの場は仕方無き事かと・・・二位蔵人様も配慮され、図書殿たちを拙者に着けられたので御座ろうから・・・」


そう、二位蔵人様は配慮された。

藤次郎様が酒に酔って蛮行に及んだのが悪いと家来の私でも思っている。

しかし、図書殿は申される。


「いえ、父上は自由過ぎるのです!本来は藤次郎殿を優先してお相手すべきはず!それを我らに回して己は鮭の話を・・・」


図書様は更に言う。


「この際です!我が父に何か言いたき事あれば承りまぞ!!」

「いえ・・・」

「遠慮は無用!!」

「されば・・・如何にすれば自由に苦も無く労も無く生きられますか?」

「ああ・・・それは私も聞きたいですな」


二人は意気投合した様にお互い頷き、二位蔵人様について話始められた。

藤次郎様が大友宗麟殿との逸話や本願寺との対決について二位蔵人様がお取りあそばした行動を賞賛すると、図書様と帯刀様は言う。


「父上は摩訶不思議な方ですから・・・その場、その場で思い付きで行動していたと言われても、計画的に行ったと言われたも驚きませぬよ」

「そうそう!!行き成り神と酒盛りしたなどと言う始末ですからな!!」

「あ~それは・・・セドナも一度神と邂逅したと言うたからな~・・・それにその時父上と会ったらしいぞ」

「誠か!!」

「ああ、何でも摩利支天様やセドナ神とお会いしたらしい」

「一応は信じていたが、父上の妄想では無かったのじゃな・・・」

「まぁ・・・セドナに聞くまでは俺も半分は妄想と思っておったからな・・・」

「だよな!!」


どうやら巷で語られる二位蔵人様の神との邂逅は息子たちでも半信半疑だったようだ。

しかし、「セドナ」という名は図書様の奥方の名であったな・・・

かの方も神と邂逅を・・・


「お二方は神の末裔と聞き及んで御座いますが、お会いしたことは無いのですか?」


つい口を挟んでしまった。


「ああ、私は神が飼う狼の血を引いているそうです」

「某は天狗ですね」


それはそれで驚きだ!!

藤次郎様も興味を持ったようで、色々と聞かれ始めた。

何にしても和解が成って安堵した。

しかし、この会談の裏でとんでもない出来事が起こっていたことを私と藤次郎様はまだ知らない。


〇~~~~~~〇


伊達政道登場!!

まだまだ一波乱ありそうです。

さて、政道は伊達輝宗の次男として生まれ、幼名は竺丸じくまると名付けられました。

政宗と政道の実母である最上御前(義姫・保春院)は政宗より政道を愛したと云われ、それが原因で家督争いが起こったと云われ、政宗を主人公にした物語の多くで政宗と最上御前の不仲は多く書かれていますが、不仲ではなかった説もあり、実際どうであったかの詳しいことは解っていません。

政宗が朝鮮従軍中に母に贈り物や手紙(和歌)など贈ったりしています。

最上御前の方から文が届き、それに感激した政宗が朝鮮木綿とともに「ひとたび拝み申したく念望にて候(もう一度母に会いたいです)」と認められた書状を母宛に出しているのは有名ですね。

しかし、1594年に伊達家から出奔し最上家に出戻ったりもしていますので、最上御前の方は政宗にあまり良い感情を持っていなかったという理由付けでよく使われますが、政宗の方は母親に対して大変愛情を持っていたようです。

慶長出羽合戦が勃発すると、最上義光より援軍を請われ、最上御前からも援軍を急かす書状が政宗の許に届きました。

片倉景綱は政宗に両軍が疲弊するのを傍観して待つよう進言したらしいのですが、母の事を気遣い援軍を出しています。

最上家が改易になると、最上御前は行き場を失います。

そして、政宗を頼って仙台に行ったと云われます。

さて、話を戻し、道正君の方についてですが、一度目の家督相続の御家騒動の際は父親の輝宗が政宗に家督を譲ったことで落ち着きます。

その後、本文中でも書きましたが蘆名家の家督相続チャンスがありました。

しかし、これは佐竹とのコンペで敗れます。

そして、二度目の騒動は、1590年、政宗が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣する挨拶の為母の許を訪ねた際、母・最上御前と弟・政道によって政宗は毒殺されそうになったと云われます。

政宗は毒を口にしたが、解毒剤のおかげで難を逃れたそうで、その後、弟は急死しているのでお返しをされたのではと云われています。

それ以降も母・最上御前は伊達家に留まっていますので、毒殺が母親主導かは不明です。

ただし、そのような出来事から政宗と母・弟の対立構造が多くの物語で描かれております。

当物語も・・・次回は伊達家で騒動に巻き込まれる?

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