第347話

「父上」

「春(春長)、どうした?」

「今回の不始末は私の起こしたこと。私にお任せいただけませんか?」


今回の騒動は私が引き起こした事なので、父上にはそう言ってみたものの、解決の糸口など掴める気すらしない。

そもそもの原因は藤次郎殿にある。

思い返してみても怒りが込み上げて来る。


「元奴隷であったと」

「そ、そのように聞き及んでおります」


潮目は母たちの事を卑下するように元奴隷と言われた事だった気がする。

事実であるから認めたが、態々聞く事か?と思うので言い淀んだ覚えがある。


「二位蔵人殿も日ノ本では外つ国の方のような者ですから」

「ような者?」


何を言いたいのか解らず聞き返したが、今考えてみれば父上の事を卑下する為に発した言葉であろう。


「ああ、失礼、元は隼人、古く熊襲くまそと呼ばれる末裔ではないかと思いまして」

「そ、それはどういう意味でご座いますか?」

「元を辿らば朝廷に逆らった一族で、外つ国と同じ様な」

「何ですと?」


意味が解らない。

本当に意味が解らず意味を聞き返したが、「熊襲」という大昔に朝廷に歯向かった者たちを差し、父上を外敵や外つ国の者と同じと揶揄る為に発した言葉だった。


「ああ、同じ外つ国のような者ですから婚姻も問題な」

「無礼ですぞ!!」


本当に今考えても怒りしか湧いて来ぬ。

伊達藤次郎政宗、何が言いたかったのであろうか?

あの時は怒りで彼の言葉を遮って、羽(羽長)に止められた。

片倉殿(片倉景綱)に向こうも止められていたので、もしかすると決定的な何かを言う前に片倉殿が止めていたかもしれないが、あの先の言葉を聞く必要がある様な気もしないではない。


「よいか春?」


考え事をしており聞いていなかった。

父上も私が途中から考え事をし始めて言ったことを聞いていない様な気がしたので聞き返したようだ。


「すみませぬ・・・」

「ああ、よいぞ。もう一度伝えよう」

「はい・・・」


父上は「考え事をして人の話を聞かぬところは俺に似たのか?」などと言われている。

母たちも「そうでしょうね」などと言って何がおかしいのか笑っておられる。


「もう一度言うぞ。今回の件は春に任せる。羽はその補助を行うように」


私は頷き、同じく羽も頷いている。


「伊達家と決裂しても構わぬから春の好きにすればよい。しかし、2つだけ条件を付ける。一つ目は舐められるな!」


父上はそう言って私の方をジッと見詰める。

そして、私が頷くと続きを述べられた。


「もう一つは相手を怒らせるな」


取り合えず頷いたが、禅問答だろうか?

決裂しても良いのに相手を怒らせてはいけない上に舐められるな?

聞き返そうか迷ったが止めておいた。

父上は日頃より「好きに生きよ」と言われるし、「好きに生きるというのは苦労を伴う」とも言われる。

そして、「長い物に巻かれる事も重要だが、自分の信念を曲げてまで従うのならそれは自分を殺す事」等とも言われたいた。

父上の生き様なのかもしれない。

父上はかつて大友宗麟殿とも揉めたと聞く。

それから、本願寺や三好家の一部の者などとも揉めたと聞く。

私が生まれる前の話で、それが原因で里子姉様の母上が犠牲になったという。


「なに、拗れたら拗れたで問題無いが、とりあえずやってみよ」

「承りました・・・」


父上はそう言って何時もの調子に戻られた。

笹蒲鉾ささかまぼこはあるのかな?」などと何時も通り訳の分からぬ事を言われておる。

そして、補助の羽と共に問題解決の為動くこととした。


★~~~~~~★


「そんな事を儂が言ったのか?」

「ああ・・・やはり覚えておられませぬか・・・」


藤次郎様に状況を説明するとやはり酒に酔って覚えていない御様子。

頭を抱えて困られておる。

途中から目が座って居たのでもしやと思うておったが、やはり泥酔されていた様じゃ。

藤次郎様は酒好きで酒をこよなく愛されているので酒を自分の好みに作りたいなどともよく言われている程の酒好きな方だ。

しかし、酒に強くない・・・いや、弱いといった方が良いだろう。

酒が原因で失態を犯すであろうと思うてはおったが、まさか今回そのような事になるとは・・・


「小十郎(片倉景綱)・・・如何したものか?」

「先ずは図書ずしょ様(春長)と和解せねばなりますまい」

「そ・・う・だな・・・」

「何時もの強気な態度は如何されました?」

「いや・・・今回は流石に・・・」

「だから日頃より申し上げておりますよね?」

「う・・・」

「酒極まれば、即ち乱ると司馬遷しばせんも申しております。かような事が続けば伊達家も乱れましょう」


苦言を呈せば一瞬顔を歪めてきまり悪そうに頷かれた。

さて、問題は先方が今回の件をどの様に捉えられたかと言う事だ。

港の拡張に資金をお出し頂ける話は今回流れるやもしれぬが、今後の付き合いを続ける事は必要で、丸目家の主導で行う廻船の航路確定後は丸目家に睨まれたままとなれば恐らくは伊達家の衰退は明らかであろう。

何としても関係修復をして今後に繋げなければならぬが、今の所、糸口は見えぬ・・・


「とりあえず、藤次郎様の酔いが完全に抜けてからの話となりますが、先ずはお会いしてから謝罪せねばなりますまい」

「う・・・そう・じゃな・・」

「明日でも面会出来るように取り計らっておきますので、謝罪の言葉などをお考え下され」


そう言うと、「相分かった」と申されたので、「お休みの所、失礼いたしました」と述べてからその場を離れた。

面会の件を先方に伝えるとすんなりと応じて頂けたので、少しだけホッとした。

さて、正念場となるであろうから気合を入れ直し、届いた文を見つつ配下の者に指示を出し、早めに仕事を終わらせて、再度、藤次郎様の許に向かう為の時を捻出することを心掛けた。


〇~~~~~~〇


伊達政宗の話はまだまだ継続です。

さて、笹蒲鉾ですが、伊達政宗の家紋が竹に雀ということで仙台藩の笹にちなんだものとして有名で、伊達政宗考案などと言う偽情報を以前聞いたことがある程に笹蒲鉾も伊達政宗とセットで語られる食品ですが、昭和に入ってから仙台の蒲鉾店さんが考案した商品なので伊達政宗は考案していません!!

さてさて、前話のうんちくで伊達政宗は酒に弱かった事を述べましたが、酒の失態は伊達政宗だけではありません。

昔から「酒は飲んでも呑まれるな」の標語の様に酒にまつわる注意勘気はされていた様で、本文中で取り上げた司馬遷の「酒極まれば、即ち乱る」の様な事は多くの文献に見受けられます。

司馬遷は中国前漢時代の歴史家で、「史記」の著者です。

「酒は飲んでも呑まれるな」以外にも「法華経」というお経の中で「一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む」という言葉が出て来ます。

意味としては同じようなもので、酒を飲むほどに人は乱れるので程々にという教えです。

戦国武将で最も酒の失敗談が有名なのは福島正則だと思います。

しかし、伊達政宗も負けていません!!

前回は将軍と言う自分の目上の者に対しての失敗談を書きましたが、実は目下の者にもやらかしています。

宴席で酔っぱらって家臣の刀の鞘を殴ったそうです。

この時代の武士の価値観としては刀は身を守る道具でもありますが、命を預けるという意味で脇差など常に持ち歩く物で、切腹にも使う事から最も大事な物の一つでした。

それを殴ったのですから最大の侮辱です。

勿論、素面に戻ってからその家臣に対して謝罪文を認めたそうです。

それが原因かは解り兼ねますが、正宗直筆の「伊達政宗鷹狩掟書」というものが残っているそうです。

マイルールを書いたものなのですが、掟書の内容には酒にまつわる物もあるそうで、「朝食に酒は小盃に3杯、例外で場合によっては5杯までOK」「晩は思うまま飲んで良いが、大酒は禁止」と言う事が書いてあるそうです。

戦国時代は酒は飲めないとかありえないといった価値観の世界でしたので「下戸なんで」とか通用しなかったようですが、ほんの20年前くらいまでは現代でもそれに近い状態でした。

戦国以前から続く日本文化だったんですね~私は下戸ではないですがあまり飲める方ではないので、現在の「無理に飲ませない」という風潮には助けられています。

最後に、お酒大好きな方は注意ですね!

「酒極まれば、即ち乱る」です!!

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