第346話

数刻後、寝所で目を覚ました儂はまだ宴席での酒が抜け切れていない事を悟り、そのまま横になっていると、小十郎(片倉景綱)が険しい顔で儂の許にやって来た。


「藤次郎様(伊達政宗)・・・」

「如何した小十郎?」

「如何したでは御座いませぬ!!」

「う、もそっと声を落とせ、頭に響くわ!」


酔いが少し醒めてきたことで頭痛がする為、近くで大声を出されると頭に響き不快だから小十郎に声を落とすように言うと、不承不承という顔で言う。


「宴席の事は何処まで覚えておられますか?」

「何じゃ?宴席は・・・」


思い出して見ると途中から記憶が無い。

小十郎の顔色から考えれば何やら儂が失態を演じたのやもしれぬ。

覚えているのは二位蔵人殿の息子の帯刀(帯刀先生たちはきのせんじょう)殿(羽長)と図書(図書権助ずしょごんのすけ)殿(春長)とで語り合っていたが、彼らと兵法に話をしていたと思う。

噂では帯刀先生たちはきのせんじょう殿はかの柳生石舟斎殿を始め多くの兵法家に師事し、次世代の剣聖などと呼ばれている事を話ていたと思う。


「いや、いや、私などまだまだです」

「ほう!帯刀たちはき殿ですらまだまだと申されるか?次世代の剣聖とのお噂を聞き及んで御座るが?」

「あははははは~上には上が居りますし、春など日ノ本を飛び出して大きな熊とやり合う程の剛の者です。私なぞより末恐ろしい」

「ほう!図書殿は大きな熊と戦われたのか?」


和気藹々とそんな兵法談義をしていたのを覚えている。

儂の酔いが大分回り出す頃に二位蔵人殿の事についても話が上がり始めた。

チラリと見れば叔父上(最上義光)たちと楽しそうに何やら話しておる。

気に入らぬと少しだけその時思ったと思うが・・・

そこら辺から記憶が定かではないが、大熊を倒した剛の者である図書殿が親である二位蔵人殿だけではなく、自分たちの母親たちも兵法者としては自分達より上で、全く敵わないと言っておったのは少し覚えておる。

聞けば人とは思えぬ様な話が出て来る。

帯刀殿の実母は風すら操り二位蔵人殿とたった二人で千人程の軍勢を退けたなどというし、図書殿の実母は幻術も操り忍術にも精通しているという。

そう言えば、図書殿の双子の片割れの女子は剣聖の上泉伊勢守殿の最期を看取り、全ての奥義・秘伝を受け継いだ唯一の後継者などとも聞くが・・・

丸目家が兵法の大家であるのは間違いないが、朝廷の金の生る木とも言われておるし、商人どもも一目置く家だと聞く。

確かに、高々肥後の国人風情なのに各地の港に出資出来るだけの財を持つ事を考えれば相当な家であるのは間違いない。

そんな事を考えている内に記憶が無くなっていたような気がする。


「殿!!藤次郎様!!聞いてお出でで御座いますか!!」

「な、何じゃ?」

「ですから、丸目様方に謝罪をば・・・」

「はぁ~?謝罪とは何じゃ?」


小十郎の話を聞いていなかった・・・改めて説明を受ければ、儂は酔った際に図書殿と言い合いになる一歩手前だったという。

いや、帯刀殿と小十郎が慌てて止め、二位蔵人殿がその場を収めて宴席をお開きにしなければもっと酷い事になっていただろうことは用意に予想できた。


「小十郎・・・」

「何で御座いますか?」


呆れた顔で小十郎は聞き返してくるので「如何すればいい」とはとても言えなかった。

いや、冷静に考えれば謝罪が必要であろう。

しかし、言った本人である儂でも何故そんな事を言ったのか見当がつかぬ。

考えれば儂の本音なのやもしれぬ。

会う前から二位蔵人殿に対して少しの反感があった。

伝え聞く話を聞けば、己が自由を謳歌しておられる。

儂は伊達家の跡取りとして精一杯精進して来たが、周りからはあまり認められておらぬ。

「自由に出来たならば」そう思う事は何度もあった。

その思いが、その行き場のない思いこそが原因で、ただの八つ当たりだというのは何となくは理解できるが、認めたくは・・・


「それで、如何されるので?」


小十郎が聞いて来る。


「謝罪せねばな・・・」

「そうで御座いますね・・・」


主従供の暗い顔でどの様に謝罪するかを話し合う事となった。


★~~~~~~★


いや~羽(羽長)はまぁいいとして、春(春長)は相当腹に据えかねているようだ。

酒というのは恐ろしい。

俺も若い頃から酒での失敗が多いので正宗君には共感できるぞ!

それにしても、どう収拾をつけるかというのが悩ましいな。

此方が折れるのもなんか違うけど、「熊襲くまそと呼ばれる末裔」等と呼ばれても事実の可能性が高いので何とも言えない。

正宗君は事実を述べただけ。

春の母たちは元奴隷だし、俺も熊襲の末裔かもしれないし、遠回しの言い方で匂わせただけだけど春の嫁のセドナちゃんは日本人ではないのも確か。

勿論、侮蔑の言葉で匂わせて使っているのでそこは問題だと思う。

結論から言えば、酔っぱらった正宗君が悪いし、そんな酔っぱらいにキレた春も多少は悪い。

官位官職持ちとは言え在野の俺たちと大名の正宗君・・・本当に落としどころが難しいよね~


「長様、出資の件も御座いますので如何されますか?」


皆を代表して美羽が聞いて来る。

うん!それが問題。

確かに金を出すのは俺たちの方だけど、港を実効支配しているのは伊達家。

このしこりを残したままとなると危ういと思う。


「どうしたものかね~」


今時点で良い考えも思い浮かばないので投げやりにそう言うと、春が意見して来た。


「父上」

「春、どうした?」

「今回の不始末は私の起こしたこと。私にお任せいただけませんか?」


まぁ春に任せる事としたよ。

春のことを心配してというのもあるし、ストッパーとしても羽がサポートについて正宗君との仲直り大作戦が行われることとなった。


〇~~~~~~〇


伊達政宗との件まだまだ続きます!!

さて、伊達政宗は有名なので何を語ろうか?と思いましたが、伊達政宗と言えばずんだ餅?でしょうかね?

ずんだ餅の発明者は伊達政宗という説があります。

正宗がある時、戦陣中に枝豆を陣太刀じんだちの柄で潰し餅に和えて食べたという説はあり、それが意外にも美味しく気に入り陣太餅じんだもちと名付けたのが始まりなどと言われます。

伊達家御用達の菓子であったのは間違いないようですが、正宗考案かは実際は不明です。

ずんだ餅は多少定かではないのですが、正宗自体は料理研究を趣味としていた様で、高野豆腐(東北地方のみ豆腐)や納豆、仙台味噌などは正宗考案という説もあります。

高野豆腐は高野山で木食応其によって製法が完成されたとも云われます。

同年代の人物なのでどちらもありそうですね。

さて、実際に伊達政宗と言えば「独眼竜」という言葉と「伊達者」という言葉が私は直ぐに思い浮かぶのですが、皆様はどうですかね?

「独眼竜」というのは江戸時代後期の儒学者が伊達政宗を題材に漢詩を詠んだことでそう呼ばれるようになったと云われます。

実は正宗の死後、それも相当後になってのニックネームだったようです。

「独眼龍」というものが元々あり、中国の唐王朝末期の当時最強とも呼ばれた李克用りこくようのあだ名が元ネタと云われています。

教養人である政宗自身も、勿論、李克用の事を知っていた様で自分もそれにあやかろうと黒備え(黒の具足を身に着ける)の部隊を作ったのはではと云われます。

李克用の部隊は黒衣を着用して鴉軍と呼ばれたそうですからそれを真似たのでしょう。

「伊達者」というのは、粋でおシャレな人のことを指してそう呼びます。

派手な服装で粋なことを好む人→風流を好む人→きでおしゃれな男性→ダンディーなどなどの意味合いでも使われます。

他にも「豪華」「華美」「魅力的」「見栄」等の意味でも使う言葉です。

ではこの語源は何時から?と思うと思いますが、京都の人々が街を歩く伊達軍の装束を見て「素敵!!」と感嘆したことからと云われますが、小田原征伐の後、豊臣秀吉の呼び出しに応じて伊達政宗が上洛した時に生まれた言葉と云われています。

最後に、正宗本人は酒が強くなかったらしく、酒は大好きなのに直ぐ酔っていた様で、二代将軍徳川秀忠との面会の約束を二日酔いが原因で仮病を使い反故にしたりもしたことがあるようです。

三代将軍徳川家光の御前で酩酊し眠りこけたこともあったという酒の失敗談を結構お持ち方でもあります。

今回の話はそんな逸話を基とした話でもあります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る