第343話

一人の青年が荒ぶっていた。


「忌々しい!!」

「殿!・・・いえ、藤次郎様、落ち着いてください!!」

「小十郎・・・しかしの~叔父上が来るのじゃぞ?」

「はい、解っております。源五郎様は丸目二位蔵人様にお会いしに来られるのですから・・・」


青年は眼光鋭き眼差しで小十郎という名の家臣に諫められるも納得いかないようで、不承不承と顔を背ける。

彼の名は伊達政宗、現伊達家当主で、片目を失っていることから後々の世では独眼竜等とも呼ばれた後の英傑であるが、今はまだ20歳を過ぎたばかりの若者だ。

彼の武勇伝はまだ始まったばかりに過ぎず、これより先、多くの逸話を残す事となるが、まだその片鱗の一部しか見せていない時期であった。

彼を諫めたのは近習の片倉景綱である。

彼の生涯は正宗と共にあり、最も主君正宗に重用される家臣であり、既にその兆しが見え、気性の荒い主君を諫められる数少ない家臣の一人としても知られたいた。

そして、正宗の言う叔父と言うのは最上義光のことで、丁度先頃、世に言う大崎合戦で敵味方に分かれ戦い正宗が敗れている為、忌々しく思っている次第であった。

その戦いの際、実母の最上御前(最上義光の妹)が両軍の間に自分の乗った駕籠を置かせて停戦を懇願したことで和議となり、事無きを得ていたが、それすらも気に入らなかった為、荒ぶっていた。


「ふん!叔父上(最上義光)も隼人の蛮族の末裔なぞに尻尾を振りよってからに!」

「それは仕方なき事かと・・・」

「何?高々魚であろう?」

「源五郎様の鮭好きはお知りで御座いましょう?」

「・・・」

「徳川様を通じ鮭の増産の法を教えられたことに大変恩義を感じられている御様子、その教えを伝授した張本人の丸目二位様が此方まで来れれるのです、挨拶したいのは心情ではございませぬか?」

「ふん!気に食わぬ!」

「藤次郎様・・・丸目二位様は今回、我らにも旨味有るお話を下さるのです。そのような態度は決してお出しになりませぬよう」

「わ、解っておる!!その件については感謝しておる・・・」


蔵人の日本を一周する大型船の海路構築の足掛けとして各地に喫水の深い船を停留出来る港を作る為、各地に打診し、援助を申し出ていた。

その一つが伊達家所有の港で、その件も含めて蔵人は立ち寄る事となり、伊達家の主だった者出でお出迎えする予定であったが、話を聞き付けた叔父、最上義光も蔵人に会いたいと正宗に打診して来た。

先頃まで矛を交えていた相手だけに正宗は難色を示し納得いかないが、叔父甥の関係性からも無下にも出来ない為、これを受け入れた次第で、正宗は納得しつつも気に食わないという心情を右腕とも言うべき家臣に対して愚痴を溢しただけであったが、意外な反撃にあい更に機嫌を損ねた。


「藤次郎様、丸目二位様御一行に対してはそのような態度を出さぬよう、お願い申し上げまする」

「・・・」

「お願い申し上げまする・・・藤次郎様?」

「相分かった・・・」


そっぽを向き答えた正宗に対し、家臣の片倉景綱は溜息を吐きつつ主人の合意を取り付けたことで少しだけ安心を得た。


★~~~~~~★


「源五郎様!いよいよですな!!」

「おお!典膳、お主も準備は出来ておるのか?」

「勿論で御座いまする!!」


そう言って典膳こと鮭延秀綱はニコリと微笑み主の最上光義に答えた。

彼らは大の鮭好きで知られる主従で、鮭の増産に繋がる手法を教えてくれた蔵人に大変感謝していた。

ここ数年で成果が表れ、何と今年は以前と比べ漁獲高が五割増しとなり大喜びをしていた。


「しかし、我らに港があれば・・・」

「言うな典膳!無い物強請りをしても仕方なかろう」

「さ、左様でしたな」

「忌々しい上杉め!!」


先頃、上杉家との領土争いで庄内平野は戦で荒れた。

その庄内平野には酒田の港があるのだが、戦により荒されたことで機能不全に陥った。

丸目家としても戦の係争地で今後ともキナ臭くまた荒される恐れのある場所に投資は出来ないと判断して今回の計画からは外した。

その事で最上家は港開発の計画が頓挫する事となるが、少し後に秀吉の命で庄内平野の主権を上杉家に奪われる為、計画から外された事は幸運だったのかもしれないが、この段階では損をしたと印象が強いようであった。


「徳川様を通じて庄内の主権を主張しておる件はどの様になっておるのでございますか?」

「うむ・・・上杉の直江(直江兼続)が動いた様で、治部少殿(石田三成)にあちらは掛け合っておるという事のようじゃ・・・」

「後は・・・関白殿下の采配まちじゃ・・・」


それを聞いた典膳(鮭延秀綱)は言う。


「丸目二位様は関白殿下とも懇意と聞き及んで御座います」

「丸目二位様に御すがりしてみよと?」

「はい・・・」

「ふむ・・・しかしの・・・これ以上の借りを作るはよくなかろう?」

「確かに・・・鮭の件でも多大な恩義御座いますれば・・・」

「今は徳川様にお頼みしておるから、そちらで、と言う事じゃな」

「左様ですな」

「それよりもじゃ!丸目二位様に鮭を見て頂く事が重要じゃ!!」

「そうで御座いますな!!今年は特に良い鮭が取れてございますれば、恐らくは、いや、必ずお喜び頂けましょう!!」

「うむ!!」


主従の鮭談義は続くのであった。


〇~~~~~~〇


伊達と最上の話でした!!

さて、またも港の話ですが、酒田港は山形県内を縦断する一級河川である最上川の河口に位置する港で、古くは藤原秀衡(奥州藤原氏3代目当主)の妹(後妻とも)の徳尼公とくにこうという人物がこの地に落延びた際に随伴していた家臣たちが開いた港で、その家臣たちは酒田三十六人衆などと呼ばれたそうですが、その子孫たちがそれぞれ大商人となり栄えて行ったことから一時は「西の堺、東の酒田」とまで言われたそうです。

史実では江戸時代に入り最上義光が上杉から奪い返した後に酒田港を最大限に活用すべく外道整備などをした事を下地に、1672年、河村瑞賢(豪商)により西回り航路を開かれると大発展を遂げたようです。

松尾芭蕉が一句詠んだほどの素晴らしい場所の様です。

さて、港の話はこれ位として、最上義光は秀吉と因縁ある人物となるのでそこを押さえておきましょう!!

今回、本文中に書きました庄内平野は丁度物語の語られている時期は上杉家との係争地で、秀吉の裁可待ちでした。

実際には実効支配していたのは最上家に与する国人が所有していましたが、隙を突かれ上杉方の大宝寺義勝らに奪われた様で、戦いは続いていたようですが、私戦禁止令である惣無事令を基に裁かれたようです。

この時は秀吉の裁可で上杉家に軍配が挙がり庄内地方は上杉の物となりました。

豊臣家と最上義光の因縁は更に続きます。

1591年に九戸政実の乱という大規模な乱が奥州で起こります。

この乱の鎮圧を奥州再仕置等とも言われますが、豊臣秀次を総大将に乱鎮圧が行われました。

この際に豊臣秀次が山形城(最上義光の居城)に立ち寄ったらしいのですが、義光の三女・駒姫の美貌に一目惚れしたらしく、側室に差し出すよう執拗に迫ったと云われます。

義光は度重なる要求に仕方なく渋々娘を差し出すことを決めました。

駒姫の成長を待って欲しい(15歳まで)という事で差し出すのを引き延ばします。

そして、秀次事件が起こります。

駒姫も連座して京三条河原で処刑されたのですが、駒姫は京に到着し、最上屋敷で長旅の疲れを癒していたところ捕らえられ、11番目に処刑されたと云われています。

まだ実質的な側室になる前だったことや父の義光が助命嘆願の為奔走したことや各所から秀吉に助命嘆願が届いたことで秀吉も無視できなくなり、「尼になる様に」という命令書が出され処刑取り止めの使者を送ったそうですが、時すでに遅く処刑されたそうです。

その悲報を聞いた義光は数日間食事を摂ることもままならず落胆し、駒姫の母もこの時のショックが原因で亡くなったらしく、義光は更に落胆したようです。

秀次事件では秀次と懇意にしていた者たちは秀次への加担を疑われ謹慎処分を受けています。

義光もそうですが、伊達政宗などもその嫌疑がかけられたそうです。

謹慎は解かれますが、それ以降、義光は秀吉に恨みを持ったとも云われ、慶長伏見地震の直後には秀吉ではなく家康の護衛に駆けつけたり、秀吉から茶に招かれた際は同じく招かれている家康を自発的に護衛するなどしたと云われ、徳川へ傾倒して行ったとされます。

徳川家康が元から義光と懇意にしていましたし、庄内の嘆願や娘の件などで家康が協力していたので当たり前と言えば当たり前ですね。

次回はご対面です!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る