第341話

家さん(徳川家康)に今回の港拡張の作事方として任命された人物を紹介された。


「某、大久保新十郎しんじゅうろう(大久保忠隣ただちか)が作事奉行の任を承りましたで、よしなに」

治部大輔じぶたいふ様(大久保忠隣ただちか)の与力をしております大久保藤十郎とうじゅうろうと申しまする。丸目様お久しぶりで御座いまする」


大久保さんに2名が作事方の担当と副担当とのことで家さんに紹介された。

新十郎殿とは何度も会っており、伊賀越えの際も同行している家さんの家臣の中でも上位の方だと知っている。

もう一人、大久保藤十郎とうじゅうろうを名乗る人物は確かに何処かで会った覚えがあるような・・・無いような・・・いや、何となく顔は覚えている様な気がするけど・・・

そんな俺の疑問を藤十郎は答えてくれた。


「えらく昔の事で御座いますし、一度お会いしたきりですので覚えていらっしゃるか如何か解り兼ねますで申し上げますると、わたくしめは以前、甲斐武田家に仕えておりまして、最初、信玄公のお抱えの猿楽師をしておりました」

「武田家に・・・」


実に察しが良い人物の様で俺の疑問に解り易く答えてくれているようではあるが、まだ思い出せない・・・

そんな俺の様子を見て更に説明してくれた。


「丸目様とお会いした際は、金丸かなまる平八郎へいはちろう様(土屋つちや昌続まさつぐ)の下におりまして、丸目様と話させて頂いた際、「元猿楽師でも金山の事とか色々知ってたら重宝される」だろうと言う事を申されました。私めはその言葉に感銘され金山の事を学び、更に、信玄公の治水などを学び、武田家が滅んだ後は徳川様方に拾われて御座います」

「!」


何となく思い出した。

確かに師匠(上泉信綱)と共に武田家に滞在中に訪ねて来てそんな話をした人物が居た!!(46話参照)


「私めに「戦だけが活躍する場ではない」と丸目様はその時説かれ、私とそれ程年も変わらず、一兵法修行者なのに何と視野の広い方だと感じ入り、次にご挨拶する際は一廉の者になっていようと心に決め励んで参りました」

「おお!あの時の方でしたか!」


思い出した!

彼には他に何かとんでもない事を言った気がするが・・・


「「猿楽師なら大久保」でしたな」

「あ!・・・」

「「将来出世する人物」だとか」


彼はニヤリと笑いそういった。

彼の正体は恐らく大久保長安ながやす、将来、「徳川の金の生る木」と呼ばれる徳川幕府の最初期、金山奉行としてその辣腕を振るう人物だ。

そして、彼は武田家が将来は海を得た際に役立つだろうと先見の明で港の造営や運営についても学んだという。

その部分も含め彼らが大抜擢されたらしい。

勿論、彼らの担当していた甲斐国の運営が上手く行っているからこその大抜擢でもあるそうだ。

意外な人物?と旧交を温め、港の造営は全て彼らに任せるが、一つだけ注文を付けた。


「大型の船も停留出来る様に、喫水が深い船も数艘は停泊出来る場所をお作り頂きたい」

「将来を見据えてですな!!」

「はい・・・」


本当に察しが良い人物のようだ。

流石は大久保長安と言ったところだろう。

家さんの所ではそんな話し合いの後、宴会を開いて貰った。

俺たちを歓迎する宴で大盛り上がりだった。

徳川家の家臣とは仲の良い者が多いので、楽しく大騒ぎした。

でも、考えてみると、数年後には徳川家は関東に移されるんじゃなかったっけ?

あれ?・・・江戸、将来の東京に移り住むのに、今、開発資金を使っていいのかな?

そんな疑問もありつつも、どうせ徳川家が天下を治める様になれば遅かれ早かれかなとか思いつつ宴会を楽しんだ。


★~~~~~~★


「十兵衛(大久保長安)!殿(徳川家康)より港の作事の任を承ったぞ!!」

治部大輔じぶたいふ様!誠で御座いますか?」

「勿論じゃ!!お主が港の事も学んでおることを殿は御存知で直々のお達しじゃ。それにしても・・・治部大輔じぶたいふ様?以前の様に新十郎で良いのだぞ?」

「いえ、折角官職を得られたのです。呼ばせて下さいませ」

「そうか?・・・なればらば・・・」


私を与力として引き立ててくださっておる治部大輔じぶたいふ様(久保忠隣ただちか)が以前の様に呼んでよいと言われたが、本人も得た官職名で呼ばれることは満更では無い様なので、あえてそちらを呼び名として使う事としている。

昔より人の敏を見るのは得意である。


「今回は丸目家が半分ほどの潰えを出して下さるで非常に助かる」

「丸目様がですか?」


噂には聞いておったが、本当に港の造営資金の半額を丸目家が持つ事を正式に知り驚いた。

丸目二位蔵人様とは以前、まだ丸目様は兵法修行者として剣聖の上泉様に学ばれていた際に少しだけ話す機会を得て話したが、そう変わらない年なのに視野の広さに驚かされた。

あれはまだ平八郎様(土屋つちや昌続まさつぐ)にお仕えしてい時分の話で、私がまだ大蔵おおくら藤十郎とうじゅうろうと名乗っていた時であった。

平八郎様が剣聖の上泉様を訪ねた際、待つことで暇を持て余していた私に丸目様が気遣って下さりお声掛け頂いたのが始まりだった。

最初の世間話などは何を話したか覚えていないが、丸目様が途中から離された言葉は未だに忘れない。

はっきりと覚えている。

丸目様は徐に自分が元猿楽師だと言うと聞いて来た。


「そう言えば猿楽師なら大久保って性の人居るよね?」

「大久保?・・・残念ながら某は知りませんぬ」

「そうか~・・・まぁいいや~将来出世する人物らしいよ~」


聞かれて「大久保」という名の者が居ない事は知っているのであるが、はっきりと言うと失礼かと思い濁して答えるとその「大久保」という者が出世する人物だという。


「その大久保殿がですか?」


今居ないと言う事は、将来そのような苗字を頂く者ではないかと予想できた。

どの様な者が出世してその苗字を名乗るかを少し考えていたが、思い浮かぶ人物としては何人も居たがどの方だかは解らず考え込んでしまった。

丸目様は一瞬躊躇われたように見えたが気のせいだったようで、その話題を続けられた。


「金山とかに詳しく活躍中だろうな~とか思って」

「金山ですか?猿楽師が?」


金山?猿楽師が?考えても繋がらないが、猿楽師はそれだけで食っていくのは難しい為、他の事を学び活かす者も多いので、そんな事もあるのかな?と思い改めた。


「そう、元猿楽師でも金山の事とか色々知ってたら重宝されるよね~」

「そう・・・ですね・・・」


確かにその通りだと思った。


「大蔵殿もせっかく武士になったんだから戦とかで活躍したいだろうけど、それ以外にも出世の方法はあるってことだよ」


武士なのに戦でなくそれ以外のもので出世する方法・・・目から鱗とはまさにこの事だった。


「それが金山の事など・・・ですか?」

「そうだね~皆と同じことをしてても目立たないってことかな~」

「左様ですな・・・」


丸目様の何気ない一言であろう、「皆と同じことをしてても目立たない」という言葉に感銘を受け、先ずは金山の事を知る事より始めた。

元々そのような事についての才があった様で、直ぐに覚えて行った。

興味を持ち学べば学ぶ程に重用され、気が付けば黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事させて頂く事となった。

そして、次に武田家の欲する海を手に入れた時に何が必要かを考えた。

港の事について学び、それだけではなく、堤防復旧や新田開発、等々の多くの事を武田の臣たちに教えて頂いた。

残念なことに武田家は滅び、武田家で活用する機会は失われたが、運良く殿(徳川家康)に拾われた。

直ぐに治部大輔じぶたいふ様の与力として配属された。

「大久保」という苗字を聞きまさかと思うたが、治部大輔様は生粋の武士で、産まれた時から松平家に仕えている家柄だったことから、大久保姓ではあるが金山・猿楽師とは結び付かなかった。

仕え始めて少しして、私は「大久保」を名乗ることを許された。

噂では丸目様は神仏と会話し先の世をも見通すとも聞く。

もしやすると、大久保という名の元猿楽師で金山に詳しい者というのは自分の事だったのではないかと考える様になった。

そして、今その丸目様が目の前にいる。

聞けるかどうかは解らぬが、実に楽しみじゃ。

私は、治部大輔様に続けて名を名乗る。


治部大輔じぶたいふ様(大久保忠隣ただちか)の与力をしております大久保藤十郎とうじゅうろうと申しまする。丸目様お久しぶりで御座いまする」


〇~~~~~~〇


仕込んでおいた伏線的人物のストーリー回収がまた一つできました!!

46話で登場させ、やっと回収できました。

さて、大久保長安という人物は江戸時代最初期には徳川家康に最も重用された家臣の一人とも云われる人物で、作中でも書いておりますが「徳川の金の生る木」等とも言われたほどの人物です。

甲州征伐の際に徳川家康の逗留用の仮館を建設したのが件の人物で、この時に家康がその館を使い長安の作事の才能を見抜き、仕官を許したと云われています。

金山に関する才能に恵まれていることを家康に売り込んだとも云われますが、徳川家に仕えた後は直ぐに大久保忠隣の与力としてその辣腕を振るったようです。

この際に名字を賜り、姓を大久保に改めたと云われます。

大久保長安は武田の元家臣という事で、甲斐の再建を担う庶務方に配属されたとも云われ、堤防復旧や新田開発、金山採掘などに尽力し、数年で甲斐の内政を再建された事で更に信認を得ます。

小田原征伐の後は徳川家康が豊臣秀吉の命で関東に土地替えで移るのですが、そこでも持ち前の能力を生かし活躍、家康の直轄領の事務差配の一切を任された一人だったそうです。

関ケ原の戦い以降、豊臣家の持つ金山・銀山が徳川家の直轄領になった事で、さらにその能力を活かし重職を兼務していたと云われます。

家康が将軍に任命されると、大久保長安も特別に従五位下石見守に叙任される程に重用される人物になっており、家康の子供で六男の松平忠輝の附家老に任じられたそうです。

絶頂期とも言える時期で、「天下の総代官」とも呼ばれる程だったようです。

しかし、晩年は全国の鉱山からの金銀採掘量の低下で家康からの寵愛を失ったとも云われます。

実際に兼務していた重責を相次いで解任されましたのでそう言われても不思議は無いかもしれませんが、中風(脳卒中の後遺症で半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れなどがあったのでは?と云われます。)に掛って職務遂行が難しかったのではとも思われます。

実際に、家康からは烏犀円うさいえんと呼ばれる家康オリジナルの中風に効果があると家康が思っている薬を自ら調合して大久保長安に下げ渡したと云われますのでそこまで関係が悪かったとも思えません。

しかし、その中風が原因で亡くなった際、生前の不正蓄財の嫌疑がかけられます。

世に言われる「大久保長安事件」なのですが、とんでもない額の隠し財産が見つかり、連座で大久保長安の息子たちは悉く切腹を命じられ家は断絶してしまいます。

政敵である本多正信・正純の讒言が主因とも云われますが、その煽りでなのか大久保忠隣もその後に改易と相成ります。

西国大名と親しく、和平論を唱える可能性のあった大久保忠隣を家康が遠ざけたとする説などもありますが、真相は闇の中です。

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