第338話

来週は都合により掲載をお休みしますので再来週までUPありませんが、またUPした際は宜しくお願います。


◇~~~~~~◇


神との飲み会を堪能し、清々しい朝を迎えた。

神との飲み会は二日酔いの心配皆無で楽しめるでの実は結構楽しみにしている部分もある。

神々は別れる最後に息子たち夫婦の安産を確約してくれた。

何でも安産に絶大なご利益のある神に依頼するそうだが・・・

どの様な神に頼むのか聞いておけば良かったと少し後悔している。

とんでもない神様が出て来ないよね?とか考えてしまう俺って考え過ぎ?・・・

まぁ終わったことは終わったこととして次の機会があれば聞いてみよう。

さて、梵天様(ブラフマー神)はコタンカルカムイという蝦夷地の神を訪ねろと言われた。

どの様な神かよく解らないが、梵天様は「人くさい神」などと言っていたな。

蝦夷地の神という事はアイヌの神なんだろうと思う。

アイヌの人々に聞けば解るだろうが、行く間に名前を忘れないように何かに書き留めておくこととした。


「長様、おはようございます」

「おはよう、美羽」


起きて稽古に向かうと美羽に最初に出会ったので挨拶を交わす。

その後も奥さんや子供たち、藤林家の者たちに門弟たちと多くの者たちに会い、朝の挨拶を交わし稽古に入る。

もう子供の頃からの事なので習慣付いている。

陽も上がらぬ内から始まる朝稽古は自宅の庭先に設けた稽古場に守り神として小社を建立し摩利支天様を祀っているその社に陀羅尼だらにを唱える事から始ます。


「ナモアラタンナ タラヤヤ タニヤタ アキャマシ マキャマシ アトマシ シハラマシ マカシハラマシ アタンダナマシ マリシヤマシ ナモソトテイ アラキシャアラキシャタマン サラバサトバナンシャ サルバタラ サルババユ ハダラベイ ビヤクソワカ」


稽古の参加者が揃ったと見なしたら社に向かってこの陀羅尼だらにを唱えるんだけど、意味はよく知らん!!

高野山の秀尊さんに相談したらこれを教えて貰った。

秀尊さんは当時の高野山の偉いお坊様で、聞いたら快く教えてくれたのでそれを覚え唱える事とした。

陀羅尼というのは呪文の一種で、天竺の言葉そのままの音源の神仏を賛嘆する意味合いらしい。

天竺と言う事はインドだから、サンスクリット語の音源の摩利支天様を賛嘆する呪文と言う事だろう。

これを唱えてから稽古に入る。

先ずは体操から始まる。

ラジオ体操を参考に・・・いや、まるパクりして皆で体を解す。

最近は慣れたもので皆も手順を覚え「いち、に、さん、し」の掛け声で合わせて行う。

そして、二人組となりストレッチ。

これも何となく教えていたら定番化した。

それから素振りが始まる。

大体これで準備運動は終わる。

後は型を更に覚えたい者、筋力を鍛えたい者、立ち稽古をしたい者、等々の自分のしたい事を行うグループに別れ行動する。

俺は基本的に立ち稽古の監督と相手をすることがメインだ。

筋トレや走り込みなんてものは空き時間にでも行えば良いと考えて行っている。

さて、今日も立ち稽古で存分に皆を扱いてやった。

いい汗かいたので朝飯が美味しいだろう。

汗を祓い朝食を食べる。

その際に皆に伝える事とした。


「夢枕に神々がお立ちになった」


流石に神域で「結婚祝いの酒盛りを神々としてました」なんて言えないので、そういう事とする。

皆が注目して俺の次の言葉を待つ。


「摩利支天様にオーディン神、セドナ神が先ずお見えになった」


その言葉を聞き皆がそれぞれに反応を示す。

殆どの者が「フムフム」と言った感じだが、恵ちゃんとかは本当に驚いたといった感じだ。


「そして、梵天様と日天様もお見えになっていた」


新しき神の名を聞いて殆どの者が「おお!!」と感嘆の声を上げる。

治まった所で言葉を続ける。


「息子たち夫婦に安産の御利益を下さるそうじゃ」

「誠ですか!!」


嬉しそうに羽(羽長)が聞き返す。

俺は徐に頷き「誠じゃ」と答える。

全員が嬉しそうな様子が伺える。

そして、更に続ける。


「それと、蝦夷地の神に会う様にと言われたので会いに行く」


行く予定なら会ってこい的な感じだけど、神の啓示はこんな感じの方が良いだろうと「会うように言われた」という事にしておいた。

そして、そのように行動すること告げた。


★~~~~~~★


丸目家の朝食は浅稽古の後に始まる。

稽古は陽の登る前から行われ、それが終わってから皆で食す。

家人皆で集まって一斉に食事をすることに驚く事となった。

丸目家に来てから日が浅いのでまだ少し慣れないが、嫌いではない。

大坂では一人での食事だったのでその違いに戸惑っただけで、此方の方が食事自体美味しく感じるから不思議なものだ。


「恵、如何じゃ美味いか?」

「はい!羽様が以前言われておりましたが、丸目家の食事は素晴らしいですね」


一汁一菜の朝食を大坂でしていたが、ここでは一汁一菜は基本として出されるが、それ以外も数々のおかずが用意されており、好きな物を選んで食せる。

蔵人義父様くらんどとうさま考案の「ふりかけ」なるご飯のお供は私のお気に入りだ。

今回のふりかけは「鰹のふりかけ」で、鰹節を甘辛くした物に色々な物を混ぜ込んでいるが、鰹の味がしっかりとしたものでとても美味しい。

他にも色々と美味しいおかずが目白押しで、毎回迷ってしまう。

それに、美味しいせいで今日も二膳目をお代わりしてしまった・・・

朝から何と贅沢な事だろうと思ってしまう。

食事も殆どの者が終わらせ、食後のお茶を啜っていると、蔵人義父様くらんどとうさまが「パンパン」手を家ならされ皆の注意を集められた。


「夢枕に神々がお立ちになった」


噂に聞いていたが本当なのかな?

見渡さば皆は疑いなぞ全くない様で、次の言葉を待っているようだ。

蔵人義父様くらんどとうさまは皆の顔を見渡してから次の言葉を発せられた。


「摩利支天様にオーディン神、セドナ神が先ずお見えになった」


摩利支天様は解るが、おー・・・、せどな神?どんな神なのだろうか。

しかし、複数の神々が夢枕に立たれるなどと本当に驚きである。

見回せば驚いているのは私位?

少し恥ずかしくなってしまった。


「そして、梵天様と日天様もお見えになっていた」


蔵人義父様くらんどとうさまの続く言葉に驚く。

梵天様に日天様まで・・・

今聞いただけで五柱んお神が降臨されたこととなる。

流石に今回は「おお!!」と感嘆の声が上がった。


「息子たち夫婦に安産の御利益を下さるそうじゃ」

「誠ですか!!」


私たちに安産の加護?

驚いたのは夫の羽様もらしく、直ぐに聞き返しておられた。

蔵人義父様くらんどとうさまは徐に頷き「誠じゃ」と言われた。

神の加護を頂けることは光栄なことであるが、本当に凄い所に来てしまったという思いが強く、私はそこで思考停止してしまった。

後から続きの話を羽様に確認すると、蔵人義父様くらんどとうさまは、今度、蝦夷地へと向われるらしい。

神に会いに行くという。

私は神話の世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまう出来事であった。

程なくして私は子を授かった。

初産なのに驚くほど簡単に産まれた。

安産の加護というのは実に素晴らしい。

噂等に聞く産みの苦しみという苦痛は感じる間もなく長男を授かった。

実父の一字を頂き、「よし」と名付けられた我が子、実に愛らしい。

そして、私は不思議体験を数々することとなるが今はまだ知らない。


〇~~~~~~〇


真言宗のお寺でよく耳にする陀羅尼だらにですが、え?聞いたことない?

そうですね、「般若心経」や「真言」、「理趣経」と比べ聞く機会は少ないと思いま

す。

それに、真言宗での常用される陀羅尼だらには「仏頂尊勝陀羅尼ぶっちょうそんしょうだらに」「一切如来心秘密全身宝篋印陀羅尼いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに」「阿弥陀如来根本陀羅尼あみだにょらいこんぽんだらに」の三陀羅尼となりますので、摩利支天の陀羅尼を聞くことは稀でしょう。

陀羅尼はサンスクリット語でダーラニーと発音し、「忘れてはならない」「記憶すべき物」等の意味を持つ言葉だと云われています。

本来は仏教の修行者が覚えるべき教えや作法がダーラニーと呼ばれたそうですが、仏教においての神仏を一定の形式を満たす呪文で麗賛したものを指してダーラニーと呼ぶようになります。

ダーラニーは中国に渡ると漢字表記され「陀羅尼」と書かれました。

音を中国において漢字で音写したものなので重要な呪文自体も漢字表記されました。

陀羅尼は意訳として総持そうじ能持のうじ能遮のうしゃと訳されるそうです。


総持そうじとは総てを修め保持することで忘れないという事。

能持のうじとはく保持して忘れないという意味から一切の言語説法を記憶して忘れないという事。

能遮のうしゃとはさえぎるという意味から総ての雑念を祓って無念無想になる事。


陀羅尼は元々が「記憶すべき物」ですので繰り返し読み暗記し、暗記したら繰り返し唱え、唱える事で雑念を払い、無我の境地に到達する為に唱えられます。

内容としては仏や三宝などに帰依する事を宣言する句より始まり、タド・ヤターに続くと云われます。

タド・ヤターとは「即ち」という意味で、本文に入る慣用句みたいなものです。

本文は神仏への呼びかけや賛嘆、等々が書かれています。

最後に「薩婆訶そわか」という聖句で締まられます。

この聖句はスヴァーハーという音を取ったもので、スヴァーハーは願いが神々に届くことを祈る聖句としてヒンドゥー教の儀式などで用いられた言葉です。

日本語の意味で言うと「成就」「幸あれ」みたいな事です。

密教に於いては真言の末尾に多く用いられた語句ですし、最も有名なお経である般若心経も「~婆嚩賀そわか般若心経」で締められます。

薩婆訶そわか」「婆嚩賀そわか」もサンスクリット語の当て字なので漢字自体の意味より音が重要な聖句となります。

般若心経出たので序に、このお経は真言宗では「仏説摩訶般若波羅蜜多心経~♪」から始まり、「♪~即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経!!」で一巡しますが、二巡目は最初の「仏説」を外し「摩訶般若波羅蜜多心経~♪」から唱えますし、神の場合は最初から「仏説」を外して唱えます。

「仏説」というのは、仏様が説くにはという意味なので神には使いません!!

「神説」というのが付けません!!

何故なら仏陀の言葉だからです。

え?仏陀の言葉なんだから付けてもおかしくないんじゃないの?と私は思いましたが、「そういうもの」として教えられたので詳しくは解りませんが、作法として覚えるものの様なので神様の場合は覚えておきましょう!!

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